はたけんじ
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はた けんじ
本名畠中 茂
(はたなか しげる)
[1]
生年月日 (1948-02-21) 1948年2月21日(76歳)[1]
出身地 日本東京都江戸川区
血液型A型[1]
身長163 cm[1]
言語日本語
出身『しろうと芸能大賞[2]
芸風ものまね
事務所はた企画
活動時期1968年[3] -
過去の代表番組『お笑い大集合
ファミリー寄席
配偶者あり
公式サイト ⇒はたけんじ プロフィール
受賞歴
日本放送演芸大賞部門賞(1979年)
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はた けんじ(1948年2月21日 - )は、東京都出身のものまねタレント漫才協会会員[4]
来歴

江戸川区出身。1967年、20歳の時にフジテレビの「しろうと芸能大賞」で優勝したのをきっかけに、1968年から太田プロダクションに所属して芸能界入り[2]。当初はバーブ佐竹菅原洋一の歌謡ショーの前座や司会を担当していたが[1]、1973年、三波春夫のものまね「三波春夫でございます。お客様は神様です」でブレイクし[2]、当時の流行語にもなった[3]。以降は佐々木つとむ堺すすむらとともに「モノマネご三家」と呼ばれ[2][5]、1978年にピンクレディーの演歌カバー曲『演歌ペッパー警部』(エルボンレコード)[6]をリリース。1979年、日本放送演芸大賞部門賞を受賞[3]、1980年には片岡鶴太郎川口ひろし北口光彦らと「ものまねヨイショ軍団」を結成、テイチクより『がんばれ ライパチくん』をリリース[7]。ものまね芸人としてのステージやテレビ番組の他、ライオンズクラブロータリークラブで話し方講座の講演もしている[2]
主なものまねレパートリー

三波春夫 「三波春夫でございます。お客様は神様です」

はたけんじの代表作。ある日楽屋で立川談志から「三波さんがショーで言ってウケてるらしい」と聞いて舞台で演じたところ、獅子てんや・瀬戸わんやから「右や左のお客さんのところに歩いて行って言えば」とアドバイスを受けて完成した[3]


北島三郎

五木ひろし

石原裕次郎

森進一

前川清

尾崎紀世彦

加藤茶

田村正和

田中邦衛

田中角栄

大平正芳

[3]
ディスコグラフィ

『あなたあっての私です』(
フィリップス・レコード、作詞:千田是也、作曲:彩木雅夫、編曲:馬場良、1975年)

B面『男の嘘』(作詞:千田是也、作曲:チャーリー石黒、編曲:馬場良)



『花のキャバレー・スター編』(ミノルフォンレコード、1977年)

B面『浅草物語』



『演歌ペッパー警部』(エルボンレコード、編曲:竹村次郎、1978年)※元ネタはピンクレディーペッパー警部

B面『カラオケ』



『演歌SOS』(エルボンレコード、編曲:竹村次郎、1978年)※元ネタはピンクレディーのS・O・S

B面『カラオケ』



『がんばれ ライパチくん』(テイチク、歌:はたけんじ、片岡鶴太郎川口ひろし北口光彦、1980年)※「ものまねヨイショ軍団」名義、ウグイス嬢の声は秋ひとみ

B面『凸凹ブルース』※かまやつヒロシの同名曲のカバー。


脚注[脚注の使い方]^ a b c d eはたけんじ プロフィール はた企画。
^ a b c d e 「あの人は今こうしている」ベテラン芸人はたけんじさん 「仕事よりゴルフ」で豪華な人脈 日刊ゲンダイDIGITAL、2015年6月8日配信。
^ a b c d e 「あの人NOW!」はたけんじ、モノマネ芸のパイオニア ZAKZAK夕刊フジ)、2010年8月3日配信。
^漫才協会新入会者発表! - 一般社団法人 漫才協会 2019年3月29日
^ のちに団しん也を加えて「ものまね四天王」となる。1990年以降の清水アキラビジーフォーグッチ裕三モト冬樹)、栗田貫一コロッケによる「ものまね四天王」と区別して「元祖ものまね四天王」と呼ばれた。
^演歌でペッパー警部 レコードショップNAKA2号店ブログ、2015年5月30日更新。
^ オムニバスエンタの歌道 Chronicle(クロニクル)オフィシャルサイト(テイチクエンタテインメント)、2018年7月9日閲覧。


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