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出典検索?: "はじめ" お笑い芸人
はじめ
本名大井 肇
(おおい はじめ)
別名義中田 はじめ
(旧芸名)
生年月日 (1963-07-23) 1963年7月23日(60歳)
出生地 日本・大阪府岸和田市
血液型A型
職業お笑い芸人、喜劇役者
ジャンル舞台
活動内容吉本新喜劇
配偶者既婚
備考
身長:162cm・体重:79kg
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はじめ(1963年7月23日 - )は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優、元漫才師である。本名は大井 肇(おおい はじめ)。
吉本新喜劇の座員。旧芸名は中田 はじめ(なかた はじめ)。吉本興業所属。また正道会館貝塚支部長も務めている。
大阪府岸和田市出身。血液型はA型。大阪府立佐野高等学校卒業。 芦原英幸主宰の芦原会館に入門し「世界最強」を目指して極真空手の稽古に明け暮れていたが、21歳の時に出た試合で緑健児に敗れて「店をやりながら空手して結婚」という人生設計の根底が崩れる[1]。たまたまこの時期に漫才ブームが到来し、中田カウス・ボタンのボタンに弟子入りすることとなる[1]。 1986年に「中田はじめ・圭祐」を結成し数々の賞を受賞するも、頂点の賞をとることができなかったため、申し合わせ通りに解散[2]。相方を変えて1991年にNSC9期生の後輩・山口幸治(現在は廃業)と「ラッキースター」を結成し、再び賞を受賞するも解散とあいなる[2]。 二度目の解散後に進路について悩んでいた時、東京に進出前の今田耕司に勧められていたこともあってボタンの許可を得たうえで1995年に吉本新喜劇に入団[2]。 2007年に、糖尿病を患ったのをきっかけに、大阪府貝塚市内に空手道場を開いた[3]。あまり似てないが石原裕次郎の物真似をする。 自分から生み出すギャグは自身のキャラクターには合っていないとして、自分がいじられて生み出されるギャグを重視しており、主要なギャグイメージは島木譲二。[4] この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
略歴
ギャグ
出典検索?: "はじめ" お笑い芸人
短い首をネタにされ、他の人に触れると同様に伝染するというギャグ。淀川吾郎の首振り、中山美保の老化など、伝染するギャグの派生型である。
登場時や退場時にこけ、起き上がった後、「危な?っ! もうちょっとでコケるとこやった」と言い、「コケてましたよ!」と共演者に突っ込まれる。
サングラスを着用して「あ、石原裕次郎や!」と言われ、ワイングラスをまわす真似をしながら「こ?れ?でおよ?しよ?」と石原裕次郎の「ブランデーグラス」を歌いだすが、すぐ続けて「フフフフフン…」とハミングになってしまい、「(歌詞を)知らんのかい!」と突っ込まれる。
サングラスを外すと「何もあれへん顔や、素うどんみたいな顔」といじられる(元々は、古くからある帯谷孝史のいじられギャグである)。