のらぼう菜(のらぼうな)は、あきる野市、青梅市など東京都西多摩地方、埼玉県飯能市、比企郡小川町付近、などで多く栽培されるアブラナ科アブラナ属の野菜で、江戸東京野菜の一つ[注釈 1][1][2][3]である。江戸時代初期に、各地で栽培されていたと伝えられる[4][5]。耐寒性に優れ、天明の大飢饉と天保の大飢饉の際に人々を飢餓から救ったという記録が残る[1][3][5]。かき菜などの「なばな」と同系統だが、在来種のアブラナ(和種 なばな)ではなくセイヨウアブラナ(洋種 なばな)に属する[1][5][6]。目次 のらぼう菜がいつ頃から栽培され始めたのか、来歴は不明[1][4]である。闍婆(じゃば、現在のジャワ島)を経由してオランダの交易船が持ち込んだセイヨウアブラナ(洋種なばな)の1種で、「闍婆菜」(じゃばな)という品種を原種とする説がある[1][7]。この闍婆菜は各地で栽培が広まり、すでに江戸時代初期は、西多摩地方でも栽培されていた[注釈 1][1][3][4]。 のらぼう菜を含むなばな類は、油を採る目的の他に食用として葉や蕾が用いられ、栽培地の気候や風土により様々な特質が見られる[4][5]。西多摩地方は「のらぼう」または「のらぼう菜」と呼んでいた[4]。「のらぼう」は「野良坊」の漢字表記がしばしば見られるが、この名で呼ばれるようになった経緯は定かではない[1][7]。
1 歴史
2 品種の特徴
3 調理法や利用
4 脚注
4.1 注釈
4.2 出典
5 参考文献
6 外部リンク
歴史