ねじ
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その他のねじ・ネジについては「ねじ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ねじ(螺子、螺旋、: screw)とは、円筒円錐の面に沿って螺旋状の溝を設けた固着具。
概要

主として別個の部材の締結に用いられる。また、回転運動と直線運動との変換などにも用いられる。

ボルトのように外表面にねじ山がある「おねじ[1]」(雄ねじとも書く)とナットのように内表面にねじ山のある「めねじ[1]」(雌ねじとも書く)がある。多くは、おねじとめねじの組み合わせで使用される。なお、後者がなく木材や薄い金属などの部材に穴を開けながら締結するもので、タッピングネジ、木ねじ(もくねじ)と呼ばれる[1]ものがある。

これらの他にも、ぜんまいやぜんまいを巻く装置もねじと呼ばれる[2]。言葉の比喩として「ねじを巻く」とは、ぜんまいに動力を与えるところから、誰かを、何かを『追い込む』の意味として使われる。

長方形の一対角を直線で結び、この長方形を巻いて円筒とした時、対角線は「つる巻き線 (helix)」と呼ばれる三次元曲線を描く。ねじは、このつる巻き線に沿って溝を形成したものである。

今日ではねじはあらゆる用途で大量に使用されており、その多くはボルトナット、木ねじなどによる締結用途である。また、ねじは各種の機械の運動や位置決めなどでも欠かせないものとなっている。このため「産業の塩」と呼ばれることもある。ねじメーカーの日東精工は本体直径0.6ミリメートルというねじも開発しており、これを世界最小としている[3]「木ねじ」など、ナットを使わないねじ類多種多様なねじボルトとナット
名称

ねじは、漢字で「螺子」(ねじ、らし)あるいは「捻子」「捩子」「根子」と書かれることがあり、JISでは「ねじ」が正式な呼称になっている。また「ねじ」は動詞「捩づ」(ねづ)の連用形であり、「ねじ」の他に「ねぢ」と表記されることがある[2]
ボルトとナット

ねじと同様の名称として「ボルト」があるが、JISでは以下のように定義している。

ボルト:一般にナットと組んで使われるおねじ部品の総称

ナット:めねじ部品の総称

実際には、ナットと組んで使わないものをボルトと呼ぶことや(この場合はねじ込み対象にめねじが切られていることが前提。でないと止まらない)、ナットと組んで使うものもねじと呼ぶことがあるため、これらの用語の使用には揺らぎが存在する。昔の米国自動車整備マニュアル上での表記
boltとscrew、studの違いが分かる。

英語ではねじ山を持った円筒や円錐全般をscrew(スクリュ)やscrew thread(スクリュ・スレッド)と呼び、これが日本語のねじに相当する。「おねじ」はexternal threadと呼ばれ、「めねじ」はinternal threadと呼ばれる。ボルトやナットのように部品の一部にねじを持った締結用の部品はthreaded fastenerと呼ばれる。英語圏でもscrewとboltの区別には混乱がある(1970年代の米国自動車整備マニュアル上での表記を参照)[注 1][2]
ビス

ビスはぶどうを意味するラテン語vitisフランス語でねじを表すvisとなり、英語のviseになった[4]。特に「すりわり」や「十字穴」を持つおねじ部品を指すことが多く「小ねじ」とほぼ同義である。
歴史
ねじの起源と黎明

ねじの起源は明確には分かっていない[5]。ねじの発明のヒントは巻貝だったのではないかという説と木に巻き付くつる植物だったのでないかという説がある[6]

また、発明者については、現代の歴史家によれば、アルキタスが発明したとする説と、ペルガのアポロニウスが発明したとする説がある。ギリシャの学者エウスタシウスはアルキメデスが発明したと主張した。実際、円筒状の筒の中に大きなねじを入れた揚水用のアルキメディアン・スクリューはアルキメデスの発明といわれ、今まで知られている限り、最初に螺旋構造を機械に使用した例だとされている[7]。水ねじは古代、灌漑や船底の水の汲み上げ、鉱山に溜まった水を排水することなどに使われ、労力に比べ極めて効率的に水を揚水することができた[7]。当時は他の揚水手法に比べて効率性が高く、現代でもねじ式コンベアーとして使われている。シケリアのディオドロスはこの発明がアルキメデスがアレキサンドリアで学んでいた青年時代に行われたと記している。ねじ構造はアルキメデスのような天才機械学者によってのみ思い描くことができたとする者もおり、実際「ねじは中国で独自に生み出されなかった、唯一の重要な機械装置である」とも言われる。

ギリシア時代には既に機械として使われていた事が知られている。例えば西洋では、木の棒で作られたねじを利用してオリーブブドウなどの果汁を搾るねじ圧縮機(スクリュープレス)として使われていた[8]
ルネッサンス期と産業革命

ルネッサンス期にあたる1500年頃には、レオナルド・ダ・ビンチによってねじ部品を使った様々な装置が製作され、締結用のねじ部品の利用が広がった[5][9]。ほかにも実際に作られたかどうかは不明ながら、ねじ切り盤[10]やタップ、ダイス[9]のスケッチも見られた。

フランスの数学者ジャック・ベンソン(1500?1569)もねじ切り盤のスケッチを残しているが木製の機械で実用的でなかったとされている[6]

ドイツ人のゲォルク・アグリコラ(1494?1555)の著書にある(ふいご)の図から、1500年前後には金属製のボルト、ナット、小ねじ、木ねじ類は出現していたと考えられている[6]。15世紀にはフランスのルイ11世が金属製のねじで組み立てた木製ベッドを使用していた[6]

16世紀半ばになると、ねじは様々な場面で使われるようになった。懐中時計用の小さなねじや、銃に使う大きなねじ、甲冑用のボルトなどにねじが使われた。当時のリヨン近郊のフォレの町は、ねじ作りを専門にした町で、イングランドのミッドランド地方でも家内工業としてねじが作られた。ねじの作成には原始的な旋盤が使われていたが、1760年ミッドランド地方のジョブとウイリアムスのワイアット兄弟は手で刃を動かしてねじを切る代わりに、カッターで自動的にねじを切れるようにして、数分掛かっていた作業をわずか6,7秒で作ることができるようにするという画期的なねじ製造法を開発した。ワイアット兄弟は「鉄製ねじを効率的に作る方法」で特許を取り世界初のねじ工場を作ったが、事業は失敗に終わり、工場の新しい持ち主が事業化に成功し、その後蒸気機関の活用など各種の改善を経て、船や家具、自動車、高級家具などの需要の高まりとともに大量のねじが作られることになる。

18世紀の終わりまで、旋盤で物を作るのはヨーロッパ貴族の趣味の一つとなっていた。1762年にヨークシャで生まれ、ロンドンで精密機械を作っていたジェシー・ラムスデンは、当時天体観測用や航海用として使われていた精密機器の精度を上げるため、手作りで作る代わりに、より精密な旋盤を作ることによって達成するプロジェクトを始めた。ラムスデンは木製旋盤の代わりに金属製の旋盤を作り、カッターの先端にダイヤモンドを使用し、11年かけて旋盤を使って旋盤の部品を作り、それを使ってさらに精密な旋盤を作り上げて旋盤を次第に精密にしていき、最後には千分の4インチという精度のねじを作り上げた。彼が作った高精度のねじは顕微鏡や天文学といった科学分野で活用された。船の経度と緯度を300mの誤差で割り出せる航海用観測機器ができ、キャプテン・クックなどの航海上の偉業が達成されることになる[2]
モーズリーによる発明

量産方法を追求したワイアット兄弟と、精密さを追求したラムスデンは偶然にも同じ時期に活躍したが、両者の業績を統合したのが、英国のヘンリー・モーズリー (Henry Maudslay 1771-1831) であった。1800年に彼は、それまでの旋盤をさらに改良し鉄鋼製のねじ切り用旋盤を開発した[5]。モーズリーはフランス人マーク・イザムバード・ブルネルと組みポーツマスに世界初の完全に自動化された工場を作った。この工場は10人の工員が44台の機械を使い、年間16万個の滑車を作ることができたという。1825年には、ブルネルはテムズ川の下をくぐる365mのトンネル工事を受注した。モーズリーはブルネルが発明した矩形のトンネル用鋳鉄製シールドを製造してトンネルを完成させた。これがシールド工法の始まりである。モーズリーは他に印刷機、プレス機、貨幣鋳造の特殊機械、ボイラー板穴開け機などを作ったが、最も有名なのは蒸気機関であった。


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