ねじまき鳥クロニクル
著者村上春樹
発行日第1部: 1994年4月12日
第2部: 1994年4月12日
第3部: 1995年8月25日
発行元新潮社
ジャンル小説
国 日本
言語日本語
形態上製本
ページ数第1部: 308
第2部: 356
第3部: 492
コード第1部: .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-10-353422-8
第2部: ISBN 978-4-10-353423-5
第3部: ISBN 978-4-10-353425-9
ウィキポータル 文学
『ねじまき鳥クロニクル』(ねじまきどりクロニクル)は、村上春樹の8作目の長編小説。
ノモンハン事件当時の壮絶な皮剥ぎリンチのシーンが話題を集めた。 本作品は3つのパートから成る。 タイトル出版社出版年月日備考 1991年、村上がプリンストン大学に客員研究員として招聘された際、滞在1年目に1部と2部が執筆された。その後、加筆と推敲をあわせて、第3部までが出版されるまでに4年半の歳月が費やされている[1]。村上の小説としては初めて、戦争等の巨大な暴力を本格的に扱っている。村上は第3部刊行直後の1995年11月、心理学者の河合隼雄に向かって「『ねじまき鳥クロニクル』を書くときにふとイメージがあったのは、やはり漱石の『門』の夫婦ですね」と述べている[2]。 表紙の絵は新潮社装幀室の橋千裕がバリ島の古い美術館で見つけたものである[3]。I Dewa Ketut Rungunが描いた「Burung babgau terbang」。 2002年時点で、単行本・文庫本を合わせて227万部が発行されている。 1996年2月に第47回読売文学賞を受賞した。1999年、英訳版『The Wind-Up Bird Chronicle 法律事務所の下働きを辞めて日々家事を営む「僕」と、雑誌編集者として働く妻「クミコ」の結婚生活は、それなりに平穏に過ぎていた。しかし、飼っていた猫の失踪をきっかけにバランスが少しずつ狂い始め、ある日クミコは僕に何も言わずに姿を消してしまう。僕は奇妙な人々との邂逅を経ながら、やがてクミコの失踪の裏に、彼女の兄「綿谷ノボル」の存在があることを突き止めていく。 1984年6月から1986年の冬が主な舞台。作品を通して「水」のイメージで書かれている[1]。
概要
第1部 泥棒かささぎ編新潮社1994年4月12日『新潮』1992年10月号 - 1993年8月号に掲載された。
第2部 予言する鳥編新潮社1994年4月12日書き下ろし
第3部 鳥刺し男編新潮社1995年8月25日書き下ろし
評価
他の作品との関係
第1部の冒頭部分は短編小説「ねじまき鳥と火曜日の女たち」(『パン屋再襲撃』所収)を改稿したものである。
短編小説「加納クレタ」(『TVピープル』所収)の主人公・加納クレタとその姉・加納マルタが本作にも登場する。ただし「加納クレタ」と本作では人物設定が微妙に異なっている。
短編小説「トニー滝谷」(『レキシントンの幽霊』所収)の主人公・トニー滝谷も本作に名前のみ登場しており、本作の主人公・岡田亨の住む家の近隣に滝谷が住んでおり最近妻を亡くしたと、本作中で笠原メイが語っている。ただし文庫版ではそのくだりはほとんどがカットされている。
安西水丸との共著『日出る国の工場』(平凡社、1987年)で取材を行った新潟県のかつら工場が、笠原メイの手紙の中に登場する。
『ねじまき鳥クロニクル』の初稿から推敲によって大幅に削られた部分が、後の『国境の南、太陽の西』となった[1]。
本作の登場人物・牛河は、後の作品『1Q84』にも登場している。
この小説で取り上げた、戦争に代表される大きな暴力の根源がどこにあるのかという疑問が、後に『アンダーグラウンド』『約束された場所で』の執筆の大きなきっかけとなった。また、本作にノモンハン事件を取り上げたことで雑誌社から声が掛かり、1994年6月にノモンハンへ旅行している[5]。
あらすじ
登場人物
僕(岡田亨、おかだ とおる)
以前は法律事務所の事務員をしていたが、現在は無職。叔父から安く借りている世田谷の家で、妻と猫と住んでいる。30歳で身長172cm、体重63Kg。カラマーゾフの兄弟の名前をすべて言え、炊事、洗濯、掃除などの家事や水泳を好む。
クミコ(岡田久美子、おかだ くみこ)
「僕」の妻。旧姓は綿谷。編集者として働き、副業でイラストを描いている。元運輸省キャリアを父に、高級官僚の娘を母に持つ。9歳年上の兄(ノボル)、5歳年上の姉(食中毒で死亡)との3人兄妹の末っ子。東京生まれだが、3歳から6歳まで、新潟の祖母に預けられて育った。死んだ姉以外の家族には心を閉ざし続けていたが、「僕」に対しては心を開くようになり、やがて結婚に至る。
綿谷昇(ワタヤ ノボル)
久美子の兄。東京大学経済学部卒業。イェール大学大学院に2年間留学したのち、東大の大学院に戻り研究者となる。離婚歴があるが、現在は独身。伯父の綿谷義孝は戦時中、陸軍参謀本部に勤め、公職追放が解かれたのち参議院議員と衆議院議員を歴任した。34歳のときに出版した経済学の専門書が批評家から絶賛され、マスメディアの寵児となる。伯父の地盤を継いで政界への進出を図る。
加納マルタ
水を媒体に使う占い師。報酬は受け取らない。不思議な直観を持つ。いつも赤いビニールの帽子をかぶっている。マルタ島で修行をしていた経験があり、彼の地における水との相性が良かったために「マルタ」を名乗るようになった。
加納クレタ
加納マルタの5歳年下の妹で、姉と同様の素質を持つ。マルタの助手。ジャクリーン・ケネディのような髪型とメイクをしている。姉によって「クレタ」と名付けられるが、実際にクレタ島に行ったことはない。綿谷ノボルに「汚された」経験がある。
笠原メイ
岡田家の近所に住む高校生。バイクによる事故でケガをしてから、それを理由に高校には通わず、かつらメーカーでアルバイトをしている。