なるほど!ザ・ワールド
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なるほど!ザ・ワールド
ジャンル
クイズ番組 / 紀行番組
出演者愛川欽也
楠田枝里子
ほか
オープニング「トランプス・ディスコのテーマ」
(開始 - 1990年5月、特番時代)
製作
プロデューサー王東順
制作フジテレビ

放送
音声形式モノラル放送ステレオ放送1993年10月12日?)
放送国・地域 日本
放送期間1981年10月6日 - 1996年3月26日
放送時間火曜日 21:00 - 21:54
放送分54分
回数全731

特番時代
出演者有吉弘行
滝川クリステル
山ア夕貴
ほか
放送期間2004年12月28日
2005年5月4日
2005年12月28日
2006年5月2日
2007年4月1日
2008年4月29日
2015年10月10日
2016年7月4日
2017年4月8日
2018年1月8日
2019年1月1日
2020年1月1日
放送時間下記参照
回数12
なるほど!ザ・ワールド
特記事項:
レギュラー時代は旭化成と旭化成グループ各社の一社提供であった。
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『なるほど!ザ・ワールド』(:Naruhodo! The World)は、フジテレビ系列1981年10月6日から1996年3月26日まで、毎週火曜日の21:00 - 21:54(JST、レギュラー放送時代)に放送されていた紀行クイズ番組である。レギュラー放送終了後、特番枠で年に1 - 2回ほど不定期放送されている。2008年4月29日放送の特番からハイビジョン制作。

レギュラー放送時代は、旭化成(当時の社名は旭化成工業)と同グループ各社の一社提供であった。
概要
番組内容

現代の世界において、日本で意外に知られていない話題を現地取材によるレポートとクイズ形式で紹介し、「うーん!!なるほど!!」と驚かせるという趣旨の番組である。

1981年10月6日から1996年3月26日まで、毎週火曜日 21:00 - 21:54(JST)に放送されていた[注 1]。前記の通りスポンサーは、フジテレビ開局以来の長寿番組であった『スター千一夜』の後を継いで、旭化成と同グループ各社の一社提供であった。協賛は日本航空(VTR冒頭でボーイング747の映像が映る)。エンディングではBGMに乗せながら旭化成グループ各社名をロールテロップで表示し、最終的に「旭化成グループ」(のちにグループを外した旭化成のみに変更)を大きく映し出したところでロールテロップが止まるという演出であった(後述の『メトロポリタンジャーニー』もこれを引き継いだ)。「トランプス・ディスコのテーマ」(後述)を使っていた時期のオープニングでは世界各国で街の人々にタイトルコールをしてもらう映像が流れてからタイトル画面に切り替わるのが恒例だった。記念回や「春秋の祭典」ではこの曲をBGMに凧揚げやスカイダイビング、大人数でバイクなどを併走、さらにはタイムズスクエアの電光掲示板に初代タイトルロゴが映し出されたり、2代目タイトルロゴを仕掛け花火で見せるなどといった大掛かりな演出が行われる豪華な仕様となり、その時の映像は最終回スペシャルのエンディングでも流された。

1981年10月、フジテレビの秋の大改編で「楽しくなければテレビじゃない!」というキャッチ・フレーズのもと、同局の大改編の新番組の目玉の1つとして登場、『スター千一夜』の後を受け、スポンサーである旭化成への受け皿として用意された番組である。そのため失敗が許されないので、初代プロデューサーとなる王東順(「クイズ・ドレミファドン!」と兼任)に白羽の矢が立ち、立ち上げたクイズ番組である。

フジテレビアナウンサーの益田由美をリポーターに引っ張りだしたのも、王である。「ネパールに行くレポーターがいない」というのが起用の理由であった。当初は旭化成が番組構成に難色を示したが、最終的に王の熱意に押された。その後益田は「寝ない、食べない、休まないは当たり前。四十数時間かけて1人で中南米に行ったことも。すり傷、切り傷、打撲はしょっちゅう」という体当たりリポートが受け「ひょうきん由美」として親しまれるようになる。1988年に椎間板ヘルニアと頸椎ヘルニアを発症、同年3月で番組を降板するまで世界各地69か国でレポートを担当した[1]

CS放送・フジテレビ721(現・フジテレビTWO)でも再放送された。1985年には『なるほど!ザ・ワールドの本』を出版。1994年にはトミー(現:タカラトミー)からスーパーファミコンゲームソフトを発売。2004年にDVDビデオソフトとして商品化(フジテレビアナウンサーのリポート映像が主な内容で、愛川・楠田らは出演していない)、クイズ番組では異例のDVD化がなされた。

司会は俳優の愛川欽也と、当時日本テレビを退社し、フリーになりたてであった楠田枝里子。2人の身長差がありすぎてカメラでの収まりが悪いため、司会者席では愛川は起立、楠田は椅子に着席していた。本番組ではこの2人による決まり文句がいくつかあり、1990年代に入るまでのオープニングでは登場口から出てくる際に愛川が「おまっとさんでした!『なるほどザ・ワールド』の時間がやってまいりました」と挨拶してから自己紹介をしていた。そしてVTRが始まる際には、必ず(愛川)「なーるほどザ・」(愛川・楠田)「ワールド!」という決まり文句をコールしていた[注 2]。1990年6月からは、トランプマンもレギュラーに加わる。番組は海外特集、国内特集の大きく2本柱で構成されレポーターの紀行の中からクイズを出題し、4組(基本は2名1組。個人での参加、多人数グループでの参加もあった)の解答者(パネラー)が順番に口述で答えるというものであった(1990年6月以降から、書き問題や早押し問題も登場)。

初回視聴率は9.9%と1桁台の苦しいスタートとなったが[2]翌年には20%を超え、フジテレビの看板番組へと成長を遂げた。最高視聴率は1983年12月27日放送の回で36.4%[3]、全731回の平均視聴率は21.3%であった。

番組開始当初から荒井注藤村俊二小野ヤスシ松原千明谷啓アグネス・チャン小松政夫熊谷真美鈴木ヒロミツ三田寛子などといったコンビのレギュラー解答者がいたが、この中には坂本九柏木由紀子夫妻もいた。特に1985年8月12日に起きた、日航ジャンボ機墜落事故の翌日8月13日の放送分の「200回記念」の収録には坂本夫妻も出演していたが、放送時点では安否不明であったため、番組開始冒頭から事前収録であることを示すテロップを入れてそのまま放送された。そして番組の最後に、敢えて放送に踏み切った経緯を文章で説明するとともに、締めくくりとしてブラックバックに「坂本九さんの無事をお祈りします」というコメントを寄せた。しかし、その後墜落から99時間後の16日に妻の柏木ら家族によって遺体が確認され、この願いは叶うことはなかった。翌週の放送ではエンディングを急遽差し替え、司会の愛川が追悼のコメントを寄せた。なお、葬儀には愛川と楠田も参列している。1989年6月13日に400回を迎えた時はゲスト大会だった。毎年12月には、特別番組『FNS歌謡祭』(1986年以降、1990年より楠田が司会)の放送に伴い放送休止となる場合があり、他に1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災による報道特別番組の放送により放送休止となった事例もあった。

番組開始当初はエンドカードを使用していた回もあったが、後に前々週放送分の視聴者プレゼント当選者発表と一体化する形で廃止された。

番組改編期には『春秋の祭典なるほど!ザ・ワールドスペシャル』(1983年春・秋、1984年春)、『FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル』(1984年の秋から1995年の春まで)、『FNS番組対抗!ザ・秋の祭典スペシャル』(1995年秋。「なるほど」は決勝戦にだけ出題した)が放送され、新番組の出演者とフジテレビの人気番組の出演者、フジテレビアナウンサー陣が出演した。なお、これは旭化成グループ単独提供ではなく旭化成なども含めた複数社提供であった。また、お正月には『新春特番なるほど!ザ・ワールドスペシャル』(1993年まで)または『なるほど!ザ・新春の祭典スペシャル』(1994年、1995年)として放送され(1996年は放送されなかった)、こちらは後半1時間のみ旭化成グループ単独提供であった。
レギュラー終了および特番化


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