なつかしの歌声
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『なつかしの歌声』(なつかしのうたごえ)は、1968年4月3日から1973年3月、および同年10月から1974年3月31日まで東京12チャンネル(現・テレビ東京)などで放送されていた東京12チャンネル製作の歌謡番組、並びに1940年に発表された同名の楽曲である。番組プロデューサーは三枝孝榮。構成は永来重明であった。

番組の司会はコロムビア・トップ・ライト(1968年4月?1972年12月、1973年10月?1974年3月)と芥川隆行(1973年1月?3月)が務めていた。テーマ音楽の作曲は片山光俊が、指揮は作曲家の服部良一の甥にあたる水谷良一が担当していた。第1期・第2期ともに夜の30分番組として放送されていたが、放送日時は時期によって異なっていた。
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番組の源流は、1965年9月17日から1966年1月7日まで放送されていた芥川隆行司会の『歌謡百年』(全17回)とされている[1]。この番組は明治改元から100周年を控え、明治初年から太平洋戦争終結の前後に至るまでの流行歌を集め、往年の歌手たちによる歌声に加えて当時の社会現象をフィルムで紹介するという内容であった。1966年の大晦日には『歌謡百年』と同じく芥川隆行が司会を務め、『歌こそわがふるさと・想い出のメロディー集』というタイトルで2時間にわたって同様の特別番組が放送された。

そして1968年4月、番組編成の都合によりつなぎ番組として全4回の予定で放送開始されたが、同年8月まで17回にわたって放送され[注 1]、同年10月にレギュラー番組に昇格した。大晦日には神田共立講堂を会場に2時間にわたって『なつかしの歌声大会』を放送し、11%の視聴率[3]を記録した。テレビ東京では、同番組を『年忘れにっぽんの歌』の第1回として起算し放送回数をカウントしている。翌1969年の大晦日には『なつかしの歌声・年忘れ大行進』というタイトルで、歌舞伎座から東京12チャンネルの番組としては初のカラー放送による生中継を実施[注 2]。1970年4月からはレギュラー放送もカラー化された。同年8月には『なつかしの歌声・郷愁の歌まつり』を放送。テレビ東京では、同番組を『夏祭りにっぽんの歌』の第1回として起算し放送回数をカウントしている。その後、1973年3月に一旦終了。前田武彦小橋玲子司会の後継番組『思い出のヒット曲』(1973年4月7日 - 9月29日放送)を挿んで半年後の1973年10月に復活し、1974年3月まで続いた。

番組の特色は、当時の歌をオリジナルの歌手で歌わせようとしていることである[4]藤山一郎東海林太郎淡谷のり子などの有名な歌手は言うに及ばず、NHKや他の民放では見ることのできない、戦前期に活躍した小野巡服部富子音丸四家文子羽衣歌子などの一般的にあまり知られていない歌手も出演。同時期において多くの番組映像が保存されずに消去されている中、この番組は放送当時値段が1時間あたり10万円以上もした2インチVTRテープに録画され、鮮明な映像で現存している。ただし、番組初期を中心に映像が現存しない回もある(番組開始から1969年6月までの映像は現存していない)。

懐メロブームの先駆けとなり、この番組の成功で各放送局で懐メロ番組が乱立した。NHKの『思い出のメロディー』はこの番組に触発されて放送を始めたと言われている[5]。また、半ば引退同然だった歌手たちが多数復活し、テレビ番組や地方公演の依頼が相次いで出演料も大幅に値上がりしたことは@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}この番組の功績である[独自研究?]。

スタンドマイクやバンドボックス席(楽譜スタンド)には、当時の東京12チャンネルのロゴである「12」のマークが記されていた。

なお、テレビ東京系列で単発特番として年に数回放送されていた『昭和歌謡大全集』(1992年 - 2007年)とその後継番組である『懐かしの昭和メロディ』(2008年 - 2015年)、そして現在BSテレビ東京にて放送中の『武田鉄矢の昭和は輝いていた』(2016年 - )では、この番組の放送素材が多く使われている。
出演歌手(1974年まで)
青木光一


『柿の木坂の家』(1973年3月17日)

『小島通いの郵便船』(1972年8月12日・12月31日)

『元気でね、左様なら』(1974年3月31日)


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