この項目では、クイズの一種について説明しています。グリム童話のKHM 22
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なぞなぞ(謎謎、なぞ)は、問いかけに対して、とんちを利かせた答えを要求する言葉遊びを用いたクイズである。ただし普通のクイズとは違って正解は事実に基づくものではなく、言葉の意味をこじつけた駄洒落・洒落が多い。韻を踏んでいたり、何かに見立てられたりする[1]。転じて、言葉によって婉曲的にわからせる事についてもなぞなぞという。 奈良時代に編纂された万葉集には、「戯書」と呼ばれる万葉仮名を使った強引な当て字による言語表現があり、なぞなぞに通じる遊び心を酌み取ることができる[1]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}日本で最初になぞなぞを始めたとされるのは、嵯峨天皇の「『子子子子子子子子子子子子』を読め」と言われている[要出典]。 平安時代にはなぞなぞは「なぞなぞ物語」と呼ばれており、貴族のあいだでは歌合から派生した「なぞなぞ合(あわせ)」が行われた。なぞなぞ合は左右に分かれて互いに和歌の知識を婉曲に問うもので、返答も答えを含めた和歌を詠むことで行われた。鎌倉時代に入るとなぞなぞ物語は「なぞなぞ」「なぞたて」と呼ばれるようになり、質問は和歌より盛んになった連歌の技法である賦物の影響を受けるようになった[1]。中御門宣胤の日記『宣胤卿記』には当時のなぞなぞが収録され、宣胤が謎連歌を自作した記事が残されている。 室町時代には宮中以外でも、文芸好きの僧侶や侍によってなぞなぞが楽しまれるようになり、後柏原天皇・後奈良天皇真筆と言われる宸翰本『なぞたて』など、なぞなぞ集が作られるようになった。しかし、江戸時代に入るとなぞなぞは大衆化・演芸化し、連歌の流れをくむなぞなぞは埋没してしまった[1]。 江戸時代より伝承されているなぞなぞには、「なーんだ」「なんでしょう」などで問いかける二段謎と、今日でも寄席芸のひとつである都々逸や大喜利のなぞかけとして創作されている「○○とかけて、△△と解く、その心は」という三段謎がある。問い・答え・答えの解説から成る三段謎は、江戸時代初期の歌舞伎踊りの歌詞に見られるように演芸・話芸などの興業や、なぞなぞ本として盛んに出版された[1]。
日本のなぞなぞ