どろろ_(アニメ)
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どろろ

第2作のロゴ
ジャンル妖怪ダーク・ファンタジーアクション
冒険活劇時代劇戦国時代
アニメ:どろろ

どろろと百鬼丸
原作手塚治虫
総監督杉井ギサブロー
音楽冨田勲
アニメーション制作虫プロダクション
製作虫プロダクション、フジテレビ
放送局フジテレビ系列
放送期間1969年4月6日 - 9月28日
話数全26話
アニメ:どろろ(2019年)
原作手塚治虫
監督古橋一浩
シリーズ構成小林靖子
キャラクターデザイン浅田弘幸(原案)
岩瀧智
音楽池頼広
アニメーション制作MAPPA手塚プロダクション
製作ツインエンジン
放送局TOKYO MXほか
放送期間2019年1月 - 6月
話数全24話
テンプレート - ノート
プロジェクトアニメ
ポータル手塚治虫アニメ

『どろろ』は、手塚治虫漫画どろろ』を原作とした日本テレビアニメパイロットフィルムを含め、2019年までに3度にわたって制作されている。
パイロットフィルム

1968年1月12日虫プロダクションが『どろろ』の題でカラーのパイロットフィルムを制作した。絵のタッチは原作に近いものとなっている。
声の出演(パイロットフィルム)

どろろ -
鈴木弘子

百鬼丸 - 野沢那智

百鬼丸の母、万代 - 北浜晴子

醍醐景光、ナレーター - 納谷悟朗

スタッフ(パイロットフィルム)

原作 -
手塚治虫

設定 - 鈴木良武

監督 - 杉井ギサブロー

美術 - 槻間八郎

作画監督 - 北野英明

音楽 - 冨田勲

1969年版
概要

1969年4月6日から9月28日まで、フジテレビ系列で毎週日曜19:30 - 20:00 (JST) に全26話が放送された。虫プロダクションとフジテレビの共同制作。タイトルは、当初は原作と同じく『どろろ』であったが、1969年7月6日放送分(第14話)より『どろろと百鬼丸』へと改題された。

総監督を務めた杉井ギサブローは当時、独立プロダクションのスタジオ「アートフレッシュ」を主宰しており、そこに文芸として所属していた出崎哲が面白いと持ったきた原作版『どろろ』のアニメ化を虫プロに提案したところ企画が通り、音楽を冨田勲に依頼したうえ、杉井の絵コンテを元にアートフレッシュがグロス請けで作画を行ってパイロットフィルムの制作を行い、1968年1月29日に完成した[1]

冨田による同作品の音楽背景も、前もって必要な楽曲を溜め録り録音しておく方式が採用され、曲調も基本的に少人数のオーケストラに琵琶などの和楽器を加えた編成で、必要に応じて電気的に変調させた西洋楽器の響きと男声合唱が加えられており[2]、冨田が「男声コーラスで魔物が迫ってくる感じを、琵琶の音で百鬼丸が呪いを打ち破る感じを表現した」と語る曲となった[3]

ところが、アートフレッシュは全員で仕事を空け、どろろ体制にしたにもかかわらず、放送予定が延びたと富岡厚司から告げられた。スタジオを持っていて金が無いのは困るからと相談したが、虫プロもきつくて何ともならないと返答された。そこで、東映時代の先輩でAプロダクション楠部大吉郎に金を貸してほしいと泣きつき、借りることには成功するが、引き換えに『どろろ』が動き出すまでの間、メンバーはAプロを通じて『巨人の星』の作画下請けをする条件を呑む[1]。しかし『巨人の星』は気が進まなかった杉井はその状態を逃れようと、『ルパン三世』の企画をAプロに持ち込み、『ルパン』のパイロットを準備している最中、カルピスが『どろろ』のスポンサーに決まる。

1968年4月から8月くらいまでの頃には制作が本格的に始まるが、第1話完成は同年10月2日、放送開始は1969年4月6日と半年間のブランクがあり、DVD-BOX封入解説書には、放送予定が延びたのではと記されている[1]
モノクロ制作

1969年当時、すでに大半のテレビアニメがカラーで制作されていたにもかかわらず、同作品はモノクロ作品となっている。これは、カラーのパイロットフィルムを観たスポンサーから「夕食時に血が画面にバーっというのは生々しすぎて気持ちが悪いでしょう」とクレームがついたのに対し、杉井が、子供は大人の横から大人のドラマを見たりするものだから、この番組は思いきって子供たちに背伸びさせてみたいと思い、だからカラーでやる必要はないんじゃないかとも思ったことで「わかった、モノクロで作ればいいでしょう」と、モノクロ制作をむしろ喜んで提案したことで実現した[4][1]。社会性を見せていこうとした意図が感じられる原作だったことから、アニメも少し大人っぽい視点で通していかないとつまらないと、木版でタイトルを彫らせたり、主題歌ではなく渋いコーラス曲のテーマ曲になった[1]
美術背景

美術監督の槻間八郎も、京都・奈良で建造物の年代を調べ、神社仏閣、屏風図などの古い資料を詳細に撮影し、1964年に公開され室町時代を扱った東宝作品の映画『がらくた』や『七人の侍』のフィルム資料を東宝から借りて制作に臨んだ。美術背景のタッチは時代劇の重量感とリアル性を出してくれという杉井の要望を受け、墨流しはがしフノリの上からブラシをかけるなど、試行錯誤を重ね描きあげた[5]。アニメの百鬼丸は、緊迫感を出すため北野英明の手により原作よりも大人っぽいデザインにアレンジされたが、『少年サンデー』版の原作にいなかったノタは、原作が暗いことを描いていて気にしていた手塚の、アニメは明るくしてほしいとの要望に応え、アイドルキャラで狂言回し的な意図で登場させた[1]
視聴率低迷による迷走

ハードな世界観の内容だったが、視聴率的に思わしくなかったため、スポンサーとテレビ局から路線変更の要求が出された結果、第14話以降は前述の通りタイトルも改変され、低年齢層を意識した内容へと路線変更される[6][7]。1クール作り終えたころ、杉井は手塚に呼び出され、「どろろを何とかギャグ物にできないか」と相談された。「僕なりに、原作ならこうなるであろうと想定して作ってきたんです。いきなりギャグ物になんて出来ません。」と返答したところ、手塚から「じゃあ、百鬼丸の最後はどうなるんですか」と問われ、「自分の体を取り戻したとき生きる目的を失うわけですから、当然坊主になって放浪ですよね」と返答したため、「そんな難しい話、子供が見ますか」と物別れに終わった。そのため杉井はプロデューサーの柴山達雄に「監督が自分で降りたら事件だから、プロデューサーのお前が俺を降ろせ」と迫るも、降りるのは許されず、杉井は「何がギャグ物だ。勝手にやれ。」とへそを曲げ、現場に行くのをやめてしまう[8]

柴山は、視聴者対象の年齢を絞るため『どろろ14話以降の新設定と改案』と題した書類を書き、「話をどろろ中心に。百鬼丸は、どろろの援助者として登場。」、「百鬼丸の背負っている宿命的、運命的なものは全て省略する。妖怪を倒せば体が戻るということは、パターンとしてのみ。」、「犬の活躍を前面に押し出す」、「ギャグをふんだんに入れ、全体を明るく軽快なものにする」、「出てくる妖怪も、怨霊とか執念の産物のような抽象的なものを避け、ズバリそのもの妖怪を出す」と対応策を提示した[9]。そのため、第13話完成は1969年4月2日だったが、第14話が完成した6月26日までは約3ヵ月間の空白があり、DVD-BOX封入解説書には、まさにスタッフが路線変更作業に忙殺された時間ということになろうかと記されている[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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