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どっちの料理ショー
DOTCH COOKING SHOW
ジャンル料理番組 / バラエティ番組
構成浜田悠
海老克哉
青木和佳
福原フトシ
すずきB 他
演出石野隆己・高城健一郎・川崎大志(ハウフルス)
中村元信(読売テレビ)
監修菅原正豊(ハウフルス)
司会者関口宏
三宅裕司
出演者草g剛 他
エンディング#エンディング曲を参照
製作
プロデューサー武野一起(読売テレビ)
津田誠(ハウフルス)
南中佑介(読売テレビ、EP)
制作讀賣テレビ放送
ハウフルス
放送
音声形式モノラル放送[注 1]
放送国・地域 日本
どっちの料理ショー(第1シリーズ)
放送期間1997年4月17日 - 2005年3月17日
放送時間木曜日 21:00 - 21:54
放送分54分
新どっちの料理ショー(第2シリーズ)
放送期間2005年4月14日 - 2006年9月14日
放送時間同上
新どっちの料理ショー
2007復活特番
放送期間2007年1月4日
放送時間木曜日 21:30 - 23:18
放送分108分
2012復活特番
放送期間2012年4月19日
放送時間木曜日 21:00 - 22:48
放送分108分
帰ってきた!どっちの料理ショー
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『どっちの料理ショー』(どっちのりょうりショー、英称:DOTCH COOKING SHOW)は、1997年4月17日から2006年9月14日まで、日本テレビ系列で放送されていた料理バラエティ番組のシリーズ(字幕放送、モノラル放送[注 1]を実施)。放送時間は毎週木曜21:00 - 21:54(JST)。読売テレビとハウフルスの共同制作。台湾の日本のテレビ専門チャンネル「緯來日本台」でも放送されており、『料理東西軍』と呼称される。
本項ではリニューアル版である『新どっちの料理ショー』(しんどっちのりょうりショー)についても記述する。 1995年10月から続いた『テンベストSHOW』シリーズ(『輝け!噂のテンベストSHOW』→『新テンベストSHOW』)を前身とし、1997年4月より放送をスタート。コンセプトは『新テンベストSHOW』時代の料理対決を、全体的にルールを変更する形で引き継いでいる。 関口宏と三宅裕司との2班に分かれ、毎回、似通っているが故に選択に迷う料理を贅をつくした素材で用意する。どちらの料理にするかをパネリストに選択させるが、選択した人数が多い側のみが食べることができるため[注 2]、双方のチーム・パネリストの駆け引きも見られる。 開始してから第16回までは、オープニングでタイトルロゴが出る直前に司会者2人が「どっちの料理にしよう?」(番組タイトルのシャレ)と揃えてコールしていた。 1999年2月25日・2004年4月15日は報道特番のため放送時間をそれぞれ繰り下げしたが、通常通り放送を行った。 番組開始当初数ヶ月はやや苦戦したものの、それ以降長らく視聴率も安定しており、2003年頃までは帯レギュラーの同時間帯の首位を獲得し続けていたが、2004年頃からネタ切れや食材価格の高騰、エコ意識の高まり、演者の不祥事などがあり度々マスコミなどでバッシングを受け、視聴率が下降気味なる。この頃になると頻繁にリニューアルを繰り返したり、以前とは異なり似通った食べ物ではなく、同じ食べ物で競うケースが出たり、キッチンが3人になったりする回が出たりするなどしており、様々なテコ入れを図る。2005年4月14日より番組タイトルを『新どっちの料理ショー』に改め、ナレーションが変更された上で、視聴者参加型番組としてリニューアル、芸能人4名の他、「腹ヘリコプターズ」と称する一般参加者7名の計11名(上段は草gが紹介する形で一般参加者7名、下段は芸能人参加者4名)が対決する内容になったものの、更に視聴率が大幅に低下する事態となり、僅か8ヶ月で視聴者参加は廃止され、2006年1月放送分からは再度芸能人対決に戻され[注 3]、参加総数も11名(上段6名、下段5名)→9名(上段5名、下段4名)になるなど、頻繁にテコ入れを行っていた。そして2006年9月14日を以って『どっちの料理ショー』シリーズは9年半にわたる歴史に幕を降ろした。最終回は「史上最強丼キング決定戦」と銘打ち、関口厨房は「親子丼」、三宅厨房は「カツ丼」で勝負、結果は親子丼が9対0で完封勝ち、参加全パネリストが食べられるという有終の美を飾り、更にパネリストの一人にして番組常連の渡辺徹が「25戦全勝」という大記録を打ち立てて終わった。 終了後は2007年1月4日に復活特別番組『どっちの料理ショー RETURNS 2007』が放送、パネリストは草gの他、渡辺徹・勝俣州和・柴田理恵などの常連、新顔として、コメディアンでは森三中とザ・たっち、スポーツ界では野球界から石井一久(当時・東京ヤクルトスワローズ)と斎藤隆(当時・ロサンゼルス・ドジャース)、相撲界から把瑠都凱斗(当時・前頭3枚目)と黒海太(当時・前頭5枚目)、などが出演した。対決内容は「おかず対決」、そしてメニューは関口厨房が「和食おかず」、三宅厨房が「中華おかず」となり、そのメニューは一般人からのアンケートの結果[注 4]、関口は「ブリの照り焼き」・「肉じゃが」・「ブタの生姜焼」、三宅は「エビチリ」・「餃子」・「麻婆豆腐」がおかずとなる。そしてご飯は、前年(2006年)に開催された米のコンテスト「全国米食味分析鑑定コンクール」で優勝した、山形県高畠町の米「ササニシキ」を使用した。結果は8対5で関口厨房が勝利、渡辺は連勝記録は「26」に伸ばした。なおこの復活特番では「撤収」と「負けシェフの試食」は行われなかった。
概要