とんねるずのハンマープライス
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とんねるずのハンマープライス
ジャンル
バラエティ番組
企画藤原剛、越智武彦
演出田中経一
出演者とんねるず
石橋貴明木梨憲武
杉本清 ほか
製作
製作総指揮広田明、大島正
プロデューサー大澤徹也、安藤和久
三宅喜重、毛阪一洋
古賀憲一、松尾利彦
制作関西テレビ

放送
音声形式モノラル放送[注 1]
放送国・地域 日本
放送期間1995年1月7日 - 1998年9月26日
放送時間土曜日 23:00 - 23:30
放送分30分
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『とんねるずのハンマープライス』は、1995年1月7日から1998年9月26日までフジテレビ系列で放送されていた関西テレビ制作の公開オークションバラエティ番組である。MIZUNOの一社提供。
概要

1994年12月まで放送されていた『ねるとん紅鯨団』の後継番組として放送開始。司会は引き続きとんねるずが務めた。番組タイトルは、番組表上ではとんねるずの名が冠に付いていたが、映像上では単に「ハンマープライス」と表記されていた。なおハンマーとは、価格決定時にオークショニア(せり人)が打ち下ろすのことであり、ハンマープライス(hammer price)とはそれが振り落とされた価格、つまり最終落札価格の意味である。

末期の1998年には出品以外の企画で繋ぐことが多くなり、番組は同年9月26日放送分をもって終了した。落札額の総額は1億3842万7874円であった。

その後、2001年の『FNS ALLSTARS 27時間笑いの夢列島』で一夜限りの復活版が生放送で行われた。この復活版では、木梨憲武との卓球対決の権利が出品され、その試合に勝てば木梨が乗ってきた愛車トヨタ・ランドクルーザーシグナスが獲得できると言う物だった。
放送日時

毎週土曜日の原則23:00 - 23:30。

阪神・淡路大震災発生後の最初の放送になる予定だった1995年1月21日には、震災関連番組に変更された。また関西で被害が大きかったがフジテレビ主導の番組になった。

山形県では、1997年4月1日にさくらんぼテレビジョンが開局するまではTBS系列テレビユー山形で木曜日の『筑紫哲也 NEWS23・2部』の後に放送されていたが、こちらも系列局のTBS毎日放送製作特別番組の時間が増大したときやナイター中継が延長したときには、その時間にまで繰り下がることがあった。

高知県では当初、『ねるとん』のように定時番組としては放送されず、1996年以前は高知放送にて特番編成時の穴埋め番組として不定期に放送されていた。定時番組となったのは、1997年の高知さんさんテレビ開局以降である。

青森放送では、1997年3月までは日曜22時30分に放送されていたが、その翌月からは月曜深夜に放送されるようになった。これは、当時同局が月曜深夜に遅れネットしていた『ぐるぐるナインティナイン』がゴールデンタイムへの昇格を果たしたのに伴い、それまで遅れネットで放送していた『進ぬ!電波少年』と『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』を同時ネットするためだった。

クロスネット局のテレビ大分では日曜22:30から放送された。

フジテレビ系列の沖縄テレビクロスネット局テレビ宮崎では、いずれもスポンサーの関係で日本テレビ系列の『恋のから騒ぎ』が放送されていたため、別の時間帯で放送されていた(提供スポンサーも差し替え)。なお、同番組は本番組の裏番組であり、視聴率も両番組間で拮抗していた[1]

出演者

バイヤー:とんねるず(
石橋貴明木梨憲武) - 司会を兼任

オークショニア:杉本清(1997年2月までは関西テレビアナウンサー) - 進行役を兼任

ナレーター:牧原俊幸(当時フジテレビアナウンサー)、家弓家正

牧原は前期提供読みを、杉本は後期提供読みを担当。
番組内容

各界の著名人から提供された逸品、あるいは著名人と夢の競演ができる様々なアトラクションを一般視聴者がオークション(セリ市)形式でベットし、最高金額をベットした視聴者がその品(権利)を購入(獲得)できるというシステムであった[1]

番組開始当初の数回は上限がなかった(LOT No.2の薬師寺保栄のグローブでは約50万円の値が付いた)が、本番組はいわゆるバラエティ番組である性質上、関西テレビ側が異常に金額が高騰するのを恐れて「あんまり(落札額を)高くするな」と通達し、一旦は「ベットの上限は20万円」とし、ベットが20万円に達した場合には購入希望者でジャンケンをし、最後に勝ち残った人が購入(獲得)というものだった[1]が、ベットが20万円に達する品が頻発したことと、ジャンケン制度に変わった途端に視聴率が低下し、当時好調だった裏番組に視聴者が流出した[1]こと、ジャンケン制度に対して、とんねるずが「何のために(購入希望者が)競ってるのか」と反対の意思を示したこと[1]、下記のように「震災復興支援資金」として寄付されることが決定したことなどにより、再度上限が廃止された[1]

オークションの収益金は「関西テレビ ハンマープライス・チャリティー委員会」名義で阪神・淡路大震災の「震災復興支援資金」として全額日本赤十字社に寄付された。当初数回は、FNSチャリティー事務局を通じてアフリカの子供たちのために使用する予定で「収益金は世のため人のために使います」とのテロップが出されたが、番組開始直後に阪神・淡路大震災が発生したために変更され、その後は番組終了まで「震災復興支援資金」として寄付されることとなった。なお、「使用する予定」と書いてあるのは、番組開始当時は収益金の使途が未定だったことによるものであり、アフリカの子供たちに使用する案の他には、何かの絵を買ってそれを寄付する案などもあったが、最終的には阪神・淡路大震災の復興支援基金に決定した[1]

現在の入札価格と商品ナンバーは7セグメント電光掲示板で表示された。商品ナンバーは2桁表示だが、100番台に突入したため、それ以降は最終回まで商品ナンバーの下2桁が表示された。また、入札価格も上限が20万円の時代は6桁表示だったが、再度上限が撤廃され100万円を超える商品が出だしたため、100万円以上は万単位のみの3桁で表示された。
正月特番

1996年1月1日には「新春オークション」として初の生放送を実施、21:30 - 23:24の2時間だった。

例年元日の21時台は『新春かくし芸大会』の時間だが、この年は30分繰り上がって放送された。なお、とんねるずはこの年の『かくし芸大会』の進行役でもあったため、計4時間半連続出演となった[1]

スタジオは通常のレモンスタジオではなく、渋谷ビデオスタジオから放送した。この回は20万円を超えた場合は5万円刻みで行う特別ルールを実施した。

主な出品物は、X JAPANの大晦日ライブ(放送の前日)で使われた、YOSHIKIのドラムセット(この回最高の150万円)、細川ふみえの残り湯と『新春かくし芸大会』の消え物(セットの飾りなど)、(当時)ヤクルトスワローズ監督・野村克也の新年会招待など「新春オークション」に相応しい商品だった[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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