とり・みき
生誕 (1958-02-23) 1958年2月23日(66歳)
熊本県人吉市
国籍 日本
職業漫画家
活動期間1979年 -
ジャンルギャグ漫画
代表作『クルクルくりん』
受賞#受賞歴参照
公式サイトTORI MIKI
とり・みき(1958年2月23日[1] - )は、日本の漫画家[1]。熊本県人吉市出身。男性。血液型O型[1]。 明治大学文学部英文学科を4年で中退[1]。大学では落語研究会に所属していた時期があり、在学中の先輩に渡辺正行・小宮孝泰らがいる[1]。同時期の漫画研究会在籍者に片山まさゆきらがいるが、在学中全く面識はなかった[1]。また同時期にサークル『小松左京研究会』に加入している[1]。 「第12回週刊少年チャンピオン新人まんが賞」において、投稿作『ぼくの宇宙人』が佳作になり、1979年デビュー[1]。以後、ギャグ漫画作品をメインに活動。代表作に『クルクルくりん』や、『遠くへいきたい』(テレビブロス)など。 短編集『犬家の一族』には、半生記マンガ「あしたのために」が収録。熊本に生まれた少年が、SFマニアになって漫画家デビューするまでの経緯がギャグタッチで描かれている。 日本SF作家クラブ会員だったが[2]、2023年5月時点では会員名簿に名前がない。1997年度と、2000年度から2001年度の、日本SF大賞の選考委員をつとめた。 (括弧内は、雑誌掲載年)
経歴
人物とエピソード
漫画関連
漫画表現そのものをギャグとして追求する作風は「理数系ギャグ」と呼ばれ、内容の無い表層的な作品として批判されることもある。しかし、とり自身はそれこそ自らが描きたいものだと語っている。とり自身があげるこの路線の作家に唐沢なをきがいる。
ペン入れにはサインペン型の細い油性マーカー(ゼブラのハイマッキー極細など)を使用。紙ににじみが出ることから、硬質でいながら少しふにゃふにゃとした感じのある独特の描線が生まれている。
吾妻ひでおのファンとしても有名。「デビュー当時は、絵もギャグも吾妻のエピゴーネンという感じだった」と著書『マンガ家のひみつ』で述べている。
背景の細かい書き込みは大友克洋の影響と自ら述べている[1]。
手塚治虫が新人賞の審査員だったことを『少年チャンピオン』でデビューした理由の一つにあげており、手塚や吾妻と同様にスター・システムを採用(関連項目に出ている人物をモデルにした者もレギュラーとなっている)しているほか、「デカ足派」の継承者を自負している。
初期の連載作品『バラの進さま』に触れられると「そんなマンガは存在しない」などと韜晦する。
趣味
多趣味な人物として知られ、その範囲は多岐にわたる。中にはその分野の第一人者とされているものもある。
「事件放送」の録画マニアであり、「大事件」が起きると、チャンネルを切り替えながら、その映像を録画する(仕事中に事件が起こると仕事そっちのけで録画していたこともある)。本人曰く、"事件直後の慌しい雰囲気が良い"とのこと。のちに、テレビ局関係者から「あの事件の映像は残っていませんか?」と尋ねられることもあった。
件の研究など、日本の土着風俗や伝説に対しての興味も強く、これらをテーマにした作品もある。
路上観察学会会員で、オジギビトの研究でも有名。
小松左京のファンであり、SFファン活動に入ったのは大学時代に創設された「小松左京研究会」に参加したため。この際、彼の漫画の最多出演キャラ「たきたかんせい」のモデル(書店員)とも知合っている。のち、『小松左京マガジン』の設立同人の一人ともなる。親交もあり、テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」に小松の描いた漫画原稿を持って登場したことがある。単行本『しまった。』では、小松が解説を寄稿。
松田優作のファン。松田と初対面の時、松田から当時連載していた『愛のさかあがり』を読んでいると言われ、感激した。
山下達郎ファン。1991年、山下のコンサート・ツアー『PERFORMANCE '91-'92』のパンフレットに短編漫画[3]を依頼され、これがきっかけとなりオフィシャルファンクラブ会報誌『TATSURO MANIA』にて4コマ漫画『タツローくん』を担当することになる[4]。そうした縁もあり、2012年 (2012)発売のオールタイム・ベスト・アルバム『OPUS ?ALL TIME BEST 1975-2012?』ではジャケットおよびブックレットのイラストをすべて手掛けた。ちなみに初期の代表作『るんるんカンパニー』の主人公の名前「葵達郎」は山下の名前が元になっている。また、『クルクルくりん』でも「クリスマス・イブ」を絶賛しているコマが描かれている。
洋画の吹き替え分野にも造詣が深く、著作も執筆。市販ソフトへのテレビ用吹替の収録に大きく貢献し、それらの派生系「吹替の帝王」シリーズでは関係者へのインタビューの聞き手を引き受けている。また同公式サイトではコラム「とり・みき の吹替どうなってるの」が連載された[5]。
出渕裕やゆうきまさみと交友が深い[1]。『クルクルくりん』連載当時、彼ら同様原田知世に傾倒し、彼女が登場するテレビ番組をすべて見ようとしていた(番組は勿論、CMも録画していた)。『TOMO16』という同人誌(非売品)を仲間内で作り、実際に原田知世や映画関係者に送ったこともある。また、後に彼女主演の『天国にいちばん近い島』にエキストラとして出演するに至る。また、ゆうきまさみたちが所属していた創作集団「ヘッドギア」原作の劇場用アニメ『WXIII 機動警察パトレイバー』の脚本も執筆している。
1991年に金沢で行われた第30回日本SF大会(通称『i-CON』)において関智[6]と組んだフォークデュオ『あかね雲』で暗黒星雲賞(ルネス企画部門)を受賞している[7]。
その他
父親は医師。吉永小百合ファンクラブ会報の投稿常連であり、結婚報道の際は週刊誌から取材依頼があったほど。
受賞歴
1994年 - 第25回星雲賞コミック部門受賞(『DAI-HONYA』)
1995年 - 第41回文藝春秋漫画賞受賞(『遠くへいきたい』)
1998年 - 第29回星雲賞コミック部門受賞(『SF大将』)
2009年 - おおひなたごう主催第2回ギャグ漫画家大喜利バトル優勝
2024年 - 第28回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞(『プリニウス』ヤマザキマリとの合作)
作品リスト
こまけんハレーション(1979年、『週刊少年チャンピオン』46-52号、秋田書店 単行本:『しまった。』収録 1984年、ジェッツコミックス、白泉社)[1]
バラの進さま(1980年、『週刊少年チャンピオン』1-32号 単行本:1980年、少年チャンピオンコミックス全3巻、秋田書店)[1]