ともしび
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この項目では、ロシア民謡について説明しています。その他の用法については「ともしび (曖昧さ回避)」をご覧ください。

みんなのうた
ともしび
歌手宍倉正信杉並児童合唱団
作詞者ミハイル・イサコフスキー(原詞。ノンクレジット)
峯陽(訳詞)
作曲者ロシア民謡
編曲者小林秀雄
映像実写
初放送月1966年12月 - 1967年1月
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「ともしび」(ロシア語: Огонёк、アガニョーク)は、ソビエト連邦の時代に流行したロシアの歌曲である。作詞はミハイル・イサコフスキー(Michail Isakovsky)、作曲者は不詳。日本でもいわゆるロシア民謡を代表する一曲として[1]広く親しまれている。
概説

戦地に赴く若者とその恋人の離別、故郷と前線との距離を隔てた交情を主題とする歌曲である。ミハイル・イサコフスキーが1942年に発表した詩に基づく。原題の「Огонёк」とはロシア語で火を意味する名詞огоньの指小語である。

イサコフスキーがこの詩を発表したのは第二次世界大戦(ロシアでは大祖国戦争と呼ばれる)の最中のことで、ここに描かれたような別れの光景は当時ロシアのどこでも見られるものだった。この詩はロシアの大衆の心をとらえるところとなり、広く親しまれ口ずさまれるうちに自然発生的にメロディーがつけられるようになった。こうしてできたいくつものメロディーのうち、淘汰されて残ったのが現在知られる歌曲としての「ともしび」である。古い民謡のメロディーが借用されたという説もあるが詳細はわかっていない。同じイサコフスキーの詩「カチューシャ」に作曲したマトヴェイ・ブランテルをはじめ多くの名立たる作曲家がこの詩に作曲したが、いずれも広く知られることなく忘れ去られた。

日本ではいわゆるロシア民謡を代表する一曲として「カチューシャ」などとともにうたごえ運動の中で広く歌われた。新宿にはタイトルを店名に冠した歌声喫茶『ともしび』が1955年に開店し、うたごえ運動のシンボル的な存在として親しまれた。1956年7月にはダークダックスがシングルとして発売し(B面は「カチューシャ」)、1958年の第9回NHK紅白歌合戦ではダークダックスが歌った。1963年には千葉真一が「ともしび (千葉真一の曲)」を[2]歌っている。日本で一般に知られている日本語詞は、楽団カチューシャによる訳詞である。NHKの『みんなのうた』では、1966年12月に峯陽が訳詞したバージョンが宍倉正信杉並児童合唱団によって歌われた。『みんなのうた』版では作詞・作曲が「ロシア民謡」名義とされており、イサコフスキーの名はクレジットされていない[3]

日本では遅いテンポで叙情的に歌われるのが普通だが、ロシアでは早めのテンポで行進曲風に歌われることが多い。一般にロシアの歌が日本に伝えられると遅いテンポに変えられる傾向にあるが、この「ともしび」では特にそれが顕著で、山之内重美はロシア人の伴奏者と共演する際に最も問題になるのがこの歌だと述べている。
脚注^ ただし前述の通り作詞者ははっきりしており、本来の意味での民謡ではない。
^ 松島修介『千葉真一のともしび』(ライナーノーツ)千葉真一、歌謡コダマ、1963年。KZ-1003。 
^ 日本放送出版協会刊「NHK みんなのうた 第7巻」59頁 1988年。

参考文献

山之内重美『黒い瞳から百万本のバラまで ロシア愛唱歌集』東洋書店、2002年 ISBN 978-4885953934

関連項目

青春の門 第九部 漂流篇 - 五木寛之のライフワーク的長編。「夜の酒場にて」の章で、伝説的音楽ディレクター高円寺竜三が本曲に関して自説を述べている。


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