ですよ。
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ですよ。
本名斉藤 哲也(さいとう てつや)
生年月日 (1976-02-12)
1976年2月12日(48歳)
出身地 日本東京都足立区
血液型AB型
身長175 cm
言語日本語
方言標準語
出身NSC東京校7期
芸風漫談
事務所吉本興業
同期LLR
もう中学生
竹内健人(怪獣)
エハラマサヒロ
ラバーガール など
過去の代表番組エンタの神様 など
配偶者未婚
公式サイト公式プロフィール
受賞歴
イチナナ-1グランプリ 初代チャンピオン(2021年
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ですよ。(1976年2月12日 - )は、日本お笑い芸人。本名、斉藤 哲也(さいとう てつや) [1]東京都足立区出身。吉本興業東京本社(東京吉本)所属。アマチュアサッカー選手時代は、ボリビアの強豪、レアル・サンタ・クルス(英語版)のユースに所属していた[2][3]

2019年からTwitterで謝罪代行を始めTwitter上で話題となっている[4]
経歴

芸人になる前は、高校一年生からサッカーを始め、サッカー留学をしていた経験がある。卒業の前年、1993年5月15日Jリーグが開幕しており、開幕節であったヴェルディ川崎横浜マリノスの対戦を観戦しプロ選手になることを決意[3]。ここで大学に進学していては遅いと感じサッカー留学することを決めた。当時サッカーマガジンに掲載されていたブラジルへの留学を希望するも費用が600万と高額であったため、サッカーマガジン編集部に対し直接連絡を試みており、費用の安い国を紹介して貰った先がボリビアであった[3]。まったくの無計画な中、卒業式の晩に単身ボリビアに渡航し、トランジット先であったブラジルのサンパウロ国際空港で日本人と勘違いし偶々話しかけた韓国人にサッカー留学を伝えた所、知り合いの日系ボリビア人を紹介され、ボリビア入国後、その日系人によってレアル・サンタ・クルスを紹介され、ユースの入団テストに合格したことで4年間在籍した。なお、日系人には衣食住の他にアルバイトなど身の回りの世話にもなっている[3]

パラグアイにあるイグアスの滝へ向かう途中の車内でバスジャックに遭遇した経験を持つ。

サッカー留学の件を「特にすごいと自分で思っていなかった。聞かれなかった」として全く話しておらず、2021年に後輩芸人であるニューヨークYouTubeチャンネル内で語ったのが切っ掛けとなり[5]2022年のテレビ番組上で初めて語った[4][6]。この経験から少しだけスペイン語が話せる。レアル・サンタ・クルスのユースは年齢制限から退団となり、別の下部組織で選手として活動するも最終的に退団した。帰国後、Jリーグ全チームに対し手紙を出しており、唯一反応があったのが大塚製薬(現徳島ヴォルティス)であった。テスト生としてオファーを受けたことで練習に参加する[5][7]

テスト生期間の数か月後にサッカー選手の道は諦め、友人に詰られ落ち込んでいた1999年の23歳の時、好きで観ていていたテレビ番組『極楽とんぼのとび蹴りゴッデス』中で山本圭壱扮する演歌歌手「輝てるひこ」を鑑賞し爆笑したことで救われたことがお笑い芸人に進む切っ掛けとなった[3]

2007年に『エンタの神様』に出演し、5ヶ月ほどの出演だったが大きく知名度を上げる[8]。同期のもう中学生と共に「もう中学生ですよ。」というコンビを組み、2007年M-1グランプリで3回戦へ進出。第1回一発屋オールスターズ選抜総選挙5位。
芸風

いわゆるラップミュージックの歌唱者、ラッパーを模倣した姿で、ラップ音楽風の調子の合間に歌うように喋る漫談である。

具体的にはまず後ろ向きで登場し、持っているマイクを回す。その後「『ですよ。』ですYO?!」「あ?い、とぅいまてぇ?ん!」と続き、「YO!YO!ですYO!、YO!YO!ですYO!」「『ですよ。』の最近は、あやまることばっか。」「今日も昨日も一昨日もあやまることいっぱ?い。そ?いうこと?。」と続く。

その後「『ですよ。』この前?」から始まる善意の行為を紹介した後(このとき「?したんで・す・YO!」のYOを特に強調)、失敗談に切り替わる(「そしたら?SO!」で失敗談を続けるがSOはカメラ目線)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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