つんく♂
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つんく♂
2013年
基本情報
出生名寺田 光男
別名つんく(旧芸名及び作詞・作曲時)
HARRY DOLE
TSUNKU♂({{{2}}})
二十九先生
つんくボーイ
生誕 (1968-10-29) 1968年10月29日(55歳)
出身地 日本大阪府東大阪市
ジャンルJ-POP
職業歌手
シンガーソングライター
音楽プロデューサー
芸能事務所社長
担当楽器ボーカル
アコースティックギター
活動期間1988年 -
事務所TNX株式会社
共同作業者シャ乱Q
ハロー!プロジェクト
テレビ東京
公式サイトつんく♂()オフィシャルウェブサイト

つんく♂()(1968年〈昭和43年〉10月29日 - )は、日本音楽家作詞家作曲家実業家。総合エンターテインメント事務所TNX株式会社の代表取締役社長。公式サイトでは自身を「総合エンターテインメントプロデューサー」としている。

1992年にロックバンド・シャ乱Qのフロントマン(ボーカリスト)としてデビュー後、モーニング娘。及びハロー!プロジェクトの総合プロデュースを務め(前者は2014年以降サウンドプロデュースのみ、後者は2014年まで)、以降音楽プロデューサーとしても活動。本名、寺田 光男(てらだ みつお)。大阪府東大阪市出身。血液型はB型。身長170cm、体重58kg。近畿大学附属高等学校近畿大学商経学部卒業[1][2]。現在はハワイ在住[3]
略歴

1988年12月、はたけまことたいせーしゅうとともにシャ乱Qを結成。ボーカルを担当。1992年、シャ乱Qがメジャーデビュー。1994年、『MBSヤングタウン』(毎日放送)で共演するFUJIWARAの楽曲『明日が来る前に』のプロデューサーとしてプロデュース活動を開始。ただし、この時点では、プロデュースといっても、まだアドバイス的な役割に近かった。また、それ以前に明石家さんまへ提供する予定の楽曲を制作していたが、勝手に話が進んでいた事を不快に感じたさんま自身が断ったため、レコーディングは行われなかった。

1997年よりモーニング娘。のプロデューサーを本格的に開始する。

1999年11月3日、マキシシングル「TOUCH ME」でソロ・デビュー。

2000年12月、シャ乱Qの活動を休止。翌2001年4月、芸能活動、プロデューサーとしての活動での名前を「つんく♂()」と改名する。作詞作曲する際の名前は「つんく」のまま。

2001年、第39回ゴールデン・アロー賞音楽賞を受賞。

2002年2月、シャ乱Qのメンバー、まこと、元LOWDOWNのこーじと共にTHE つんくビ♂ト(ビート)を結成するが、活動を休止(期間限定説あり)。その後ソロ活動に戻り、2004年から2006年までモーニング娘。松浦亜弥などの提供曲のセルフカバーや、自身の青春時代の思い出の曲をカバーした3枚のアルバムをリリースし、ライブやディナーショーを開催。

2006年4月3日放送の『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ)の出演でシャ乱Q活動を再開。「堀内孝雄さんのおかげで、シャ乱Qの活動再開をしたくなった」との理由からである。同年4月24日、博多華丸の仲介で12歳年下の元モデル出光加奈子とお見合い。6月8日、婚姻届を提出し入籍した(婚姻の理由などについて、これ以上の詳細は非公開としている)。挙式は、同年8月10日、西本願寺にて仏前形式で行われた。同年10月1日、総合エンターテインメント事務所「TNX(ティーエネックス)株式会社」を設立。ゲームソフトリズム天国などのプロデュースを手掛ける。

2007年2月4日、北九州市長選挙で、柴田高博候補(自民公明推薦)の応援に就く。飯田圭織矢口真里が同行した。同年9月2日、テレビ東京系のドキュメンタリー番組『ソロモン流』で、「今、歌手として一番大切なのどに原因不明の病を抱え歌を歌う際に高い声が出難くなっている」と告白。また、「専門医の検査を受けたが治療法が未だ見つかっていない。」という。この影響からか、2009年12月31日 - 2010年1月1日に放送された『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!大晦日年越SP・絶対に笑ってはいけないホテルマン24時』(日本テレビ)のエンディングで自身のヒット曲『シングルベッド』の替え歌を歌う際にキーを原曲よりも1音階低くして歌っていた。

2007年9月と12月、自身の芸能生活20周年を記念して、作曲・作詞曲を収録した4枚組ベストアルバムを2枚をリリース。

2008年4月29日、加奈子夫人が出産、双子(男児、女児の二卵性双生児)の父親となる。同年10月29日、誕生日のこの日に『おもいッきりイイ!!テレビ』(日本テレビ)の「今日は何の日」で、半生を取り上げられる。

2009年4月、シャ乱Qのファンクラブの解散に伴い、つんく♂()単独のファンクラブ「つんく天然音泉」が発足。

2010年5月29日、ファンクラブライブで披露された新曲を配信。同時に、今後「つんく♂()の日(29日)」に新曲が「続々と登場予定」であることが発表された[4]

2010年12月29日、ソロ名義として11年ぶりのシングル『To You』をリリース。

2011年3月16日、第三子となる女児が誕生[5]。同年12月2日、母校である近畿大学の一日客員教授に任命される[1][2]

2011年12月23日、アイドル育成型エンターテイメントカフェ「AKIHABARAバックステ←→ジ(ステージ)pass」を秋葉原にてオープン。

2012年4月、自身がエグゼクティブプロデュースした映画『篤姫ナンバー1(ワン)』が公開。

2012年6月3日、「旅祭 -WORLD JOURNEY FESTA 2012-」に出演。会場は東京・晴海客船ターミナル特設会場。

2012年7月25日発売『もしも明日が?三木たかしトリビュート?』に参加。未発表曲『しょっぱいね』歌唱。

2012年8月29日発売中島卓偉のアルバム『アコギタクイ?共鳴新動?』に参加。

2012年9月26日、シングル『しょっぱいね』リリース。

2012年10月下旬、パチンコ台、つんく♂()プロデュース「CR 元祖ハロー!プロジェクト」(藤商事)全国導入開始。

2012年12月6日、第45回日本作詩大賞「テレビ東京特別賞」受賞。

2013年1月15日、シャ乱Qの結成25周年での再始動を宣言する記者会見を渋谷eggmanにて行う[6]

2013年4月3日、近畿大学入学式に出演。

2013年7月17日、シャ乱Q『シングルベッド』を再録音した『「シングルベッド」』発売。

2013年8月 - 9月、「シャ乱Q 結成25周年記念ライブツアー 2013 秋の乱?シハンセイキ伝説?」(8月31日・Zepp Tokyo(とうきょう)、9月6日・Zepp Nagoya、9月7日・Zepp Namba(なんば)大阪、9月14日・仙台イズミティ21、9月21日・中野サンプラザ(追加公演))に出演[7][8]

2013年9月15日、シミズオクト Presents 氣志團万博2013 ?房総爆音梁山泊?にシャ乱Qとして出演。

2014年3月6日、喉頭がんを患ったことを公表した[9][10]


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