ちょうちん_(映画)
[Wikipedia|▼Menu]

ちょうちん
監督
梶間俊一
脚本金子正次
縞五郎
製作櫻井五郎
元村武
大谷晴通
出演者陣内孝則
音楽エヴァン・ルーリー
撮影鈴木達夫
編集西東清明
製作会社ヴァンフィル
廣済堂プロダクション
東亜興行
配給東映
公開 1987年5月23日
上映時間100分
製作国 日本
言語日本語
テンプレートを表示

『ちょうちん』は、1987年に公開された陣内孝則主演、梶間俊一監督によるヤクザ映画。ヴァンフィル、廣済堂プロダクション東亜興行製作、東映配給。
概要

1983年の『竜二』公開後、急逝した金子正次が、死の直前の病床で書いた遺作の映画化[1][2]。金子の脚本の映画化としては『竜二』、『チ・ン・ピ・ラ』(1984年)に次いで三作目となる。新宿歌舞伎町を舞台にガンに侵されながらもヤクザとして生きる青年の痛ましい生き方を、風に揺れるちょうちんに託して描く。本作は金子正次の遺書である。
ストーリー

三東会のヤクザ、村田千秋は新宿をシマに、幸三、哲、誠の三人の若衆を率いて蠢いている。ローンベンツを乗り回しているものの、カツアゲなどチンケなことをやっている。それも組の大幹部、町田や兄貴筋の花木たちに小突かれながらだ。やっとのことで或るポルノショップの立退きを成功させた夜、千秋は町田に従いて行ったクラブ「峰」で新入りホステスの新子に目を止めた。翌日の夜、また「蜂」に出かけたが、新子は地上げ屋の井崎に誘われて別の店へ。行きがけに彼女は自分の部屋の鍵を千秋に放ってよこした。千秋が新子の部屋へ行くと5歳になる息子、アキラが留守番している。新子を待つ千秋に、哲からショバで客ともめごとが起きたと報せが入った。千秋の妹、涼子がひとり暮らしを始めたいと出て行った。彼女は勤め先のチーフ、弘に迫っているのだ。新子から電話があり、千秋は初めて彼女を抱いた。そんな折、千秋は不渡りをつかまされた。本橋という男から取立てたもので、本橋を問いつめると息子から盗み取ったと白状した。その息子、平山は、光陽銀行の融資係だという。千秋たちは銀行へ乗り込み、当座預金の口座を開かせ、3000万円の大金を融資させた。千秋は念願の事務所を開いた。だが、井崎からクラブのママにならないかと持ちかけられた新子への嫉妬から、千秋と新子の気持ちはすれ違い、飲んだくれた新子は自暴自棄に幸三を部屋に引き入れてしまった。翌朝、それを知った千秋は幸三を痛めつけた。やがて幸三は、千秋のライバル花木の軍門に下った。ある夜、千秋は本橋に襲われた。平山が銀行を首になったというのだ。実は花木が幸三を使って、例のネタで一億円近くゆすったためだ。その時、千秋は吐血した。やがて、三東会の破門状がまわり、千秋は警察に捕えられた。出所した彼は新子の所に迎え入れられる。その頃、幸三は貫禄をつけ哲や誠を従えていた。ある朝、自分でも気づかずガンに冒されていた千秋はベッドに伏して動かなかった。
スタッフ

監督:
梶間俊一

製作者:櫻井五郎、元村武、大谷晴通

プロデューサー:佐藤和之、和田徹、見留田桂城

企画:翁長孝雄、伊藤俊也

原作:金子正次

脚本:梶間俊一、縞五郎

撮影:鈴木達夫

美術:桑名忠之

編集:西東清明

音楽:エヴァン・ルーリー

音楽プロデューサー:石川光

助監督:長谷川計二

出演

村田千秋:
陣内孝則

新子:石田えり

幸三:渡辺正行

村田涼子:新田恵利

町田:原田芳雄

町田悦子:加賀まりこ

本橋:内藤武敏

花木:内藤剛志

越川:穂積隆信

吉村弘:安藤一夫

哲:小沢仁志

誠:奈津あつし

アキラ:三宅顕三

ケンちゃん:趙方豪

みち:余貴美子

かま八:不破万作

瀬川:伊藤敏八

井崎:小野武彦

平山:佐藤英

クラブ・ユタカのマネージャー:佐藤蛾次郎

マッサージ師:時任三郎

支店長:小林稔侍

製作
企画

金子正次の死後の翌1984年5月に三一書房より、金子が生前書きためていた5篇を収めたシナリオ集『竜二・ちょうちん』が出版され、本作はそれに収められていた[3]。金子は病床で「『ちょうちん』と『盆踊り』を映画にするまで絶対にやめない」と話していたといわれる[4]。金子の死後、ファンの間で金子の遺した脚本を映画化して欲しいとの要望が沸き起こり『竜二』の上映運動に尽力した上板東映の元支配人・小林紘が「ちょうちん」を是非映画化したいと考え、付き合いのあった本作の監督・梶間俊一に「やりませんか」と声をかけた[3]。梶間は名画座のための映画を企画していた[5]
製作

しかし二人とも資金はなく、多くの会社に製作や資金援助の打診をしたが、決定的要素にかけ、ぽしゃる寸前までいき3年が経過した[3][4]。この間、流山児祥も映画化に動き、内田栄一も演劇化していた[4]。ところが陣内孝則が主演に決まると、驚くほど製作の申し出が相次ぎ、トントン拍子で製作が決まった[3]。また東映が松方弘樹勝新太郎ビートたけしらの出演で、製作を予定していた『戦争と平和』という実録ヤクザ映画大作が製作中止になったことで東映の本番線に組み入れられることになった[4][5]東映東京撮影所には伊藤俊也を中心に「大泉スタジオ通信」という東映東京の労組の闘いの機関紙を作っていた梶間や、澤井信一郎横山博人、佐藤和之、縞五郎、桑名忠之らの大泉スタジオ派という流れがあり[3][4]、梶間は本作はその仲間によって作られた映画と述べている[3][4]
脚本

脚本クレジットにないが伊藤俊也と梶間で1986年夏から取材して縞五郎と脚本直しを行った[4][3]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:36 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef