ちゃらんぽらん
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この項目では、大西浩仁と冨好真によるコンビについて説明しています。かつてザ・ちゃらんぽらんと名乗っていた藤原一裕と井本貴史によるコンビについては「ライセンス (お笑いコンビ)」をご覧ください。

ちゃらんぽらん
メンバー大西浩仁
冨好真
結成年1979年
解散年2008年
事務所吉本興業
活動時期1980年 - 2008年
出身お笑いスター誕生!!
出会い高校時代
旧コンビ名ザ・ちゃらんぽらん
現在の活動状況解散(大西は絵画として活動、冨好はピンで活動)
芸種漫才
過去の代表番組ちゃらんぽらんの元気もってこい!
クイズもってけ!パラダイス
同期とんねるず
受賞歴
1985年 お笑いスター誕生!! 第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ 優勝
1985年 ABC漫才落語新人コンクール最優秀新人賞
1985年 NHK上方漫才コンテスト最優秀賞
1985年 上方漫才大賞新人賞
1999年 上方漫才大賞奨励賞
1999年 上方お笑い大賞金賞
2000年 上方漫才大賞
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ちゃらんぽらんは、日本お笑いコンビ1979年結成。所属事務所吉本興業東京本社。『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ)で有名となりフリーで活動していたところを推挙されて吉本興業に入ったという、異色の経歴の漫才師である。当初のコンビ名は「ザ・ちゃらんぽらん」。2008年2月、大西の引退により、コンビ解散。
メンバー

大西 浩仁(現:大西 幸仁。おおにし こうじん、1961年1月17日 - )

ツッコミ担当。兵庫県尼崎市出身。京都精華大学美術(現・芸術)学部造形学科洋画コース卒業[1]

冨好のボケに対し、何かにつけて上半身を大きく後ろに仰け反らせながら「ちゅ??と(中途)半端やなぁ?!!」と叫ぶツッコミを連発する。最後には観客も巻き込んで「では皆さんご一緒に!」の口上を合図に、会場全体で「中途半端やなぁ?!!!」を合唱して、大西が仰け反りからそのまま後ろに倒れこんでネタを締める。

2008年2月14日、以前から続けている絵画の活動に専念するため、吉本興業との専属契約を解消し、芸能界を引退。翌日行われた記者会見では、吉本に対する感謝とともに怒りや不満も述べている[2]

2019年7月に自身のYouTubeチャンネルにおいて吉本興業を辞めた理由について、「林正之助および創業者一族を追い出した会社の方針」「芸人という虚像を演じ続けなければならないこと」によるものと語った。また同時期のお笑い芸人による闇営業問題にも触れている[3]

「私の絵を飾っている所は繁盛すると評判になっている」とイベント等で語っている。1996年の神戸二紀展、関西二紀展で入選。2000年の二紀展(全国大会)でも入選した[1]


実家は阪急塚口駅の近くで銭湯「塚口温泉」を経営していたが、阪神・淡路大震災で被災し廃業した(発生日が誕生日でもある)。ここで漫才を披露していたこともあった。銭湯の廃業後はテナントビルになり、2006年にはビルの1階に自身の作品を展示する「太陽美術館」を開館した[1]。また、CMに出演していたミドリ電化の本社も近くにあった。

現在は岡山県矢掛町に移住し、アトリエを構えている。また自身のYouTubeチャンネルも開設している[4]

阪急ブレーブス時代からのオリックスファンである。

娘はYouTuberあさぎーにょ[5]

ちゃらんぽらん冨好
本名冨好真
生年月日 (1960-10-06) 1960年10月6日(63歳)
出身地兵庫県尼崎市
身長171cm
言語日本語
方言関西弁
最終学歴大阪経済大学
出身お笑いスター誕生!!
コンビ名ちゃらんぽらん(2008年解散)
相方大西浩仁
芸風漫談漫才(ボケ)
事務所吉本興業
活動時期1980年 -
配偶者既婚
公式サイト ⇒公式ブログ
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冨好 真(とみよし まこと、1960年10月6日 - )

ボケ担当。兵庫県尼崎市出身。大阪経済大学卒業。血液型はO型。

何でも中途半端でボケもイマイチだったために、大西が考えたのが上記の「ちゅ??と(中途)半端やなぁ?!!」というツッコミである。

兄は元競艇選手であり兵庫支部長も務めた冨好和幸(故人。2016年[6])。その関係で単独での競艇場イベント出演も多い。長男も元競艇選手の冨好祐真(2023年12月引退[7][8])。なお、競艇選手の親族の舟券購入は法的に禁止されていないが、ボートレースでは親族が舟券を購入すると購入に関して選手本人が不正等に関与していないかという事を徹底的に調査追及されるため舟券購入を自粛するように言われていたことから、これまで人生で一度も舟券を購入したことがなく、祐真が引退したことで「ようやく舟券が買える」と喜んだ[9]

プロ野球埼玉西武ライオンズのファン。スポーツ番組などの「パ・リーグ球団ファン座談会」などの企画には岡田圭右(オリックス代表)、森脇健児ホークス代表)と共に出演する。21歳の時、アルバイトしていたものまねパブ永射保が来店し知り合いになったことから西武ライオンズファンになった。それまではどちらかといえば父の影響で阪急ブレーブスファンだった。

大学時代に漫才はしていたが第一志望はアナウンサーで、通っていたアナウンス学校では原田年晴と一緒だった。関西テレビアナウンス試験の最終まで残った。相方も美術教師志望だったが、テレビの収録が重なり教育実習に行けなかったことから、漫才師になる決意をした。

現在はピン芸人として活動。特定の人物や出来事について「知らんわ?」とぼやきながら、本人や当事者しか知らないような非常に細かい豆知識を披露する、といった形式の漫談などを行なっている。

略歴

1979年の大学1年の時に兵庫県立尼崎北高等学校の同級生だった二人がコンビ結成。漫才ブーム到来の1980年に「素人MANZAI大賞」で優勝しプロになることを決意、同年11月29日、「ザ・ちゃらんぽらん」として日本テレビ系のお笑い芸人のオーディション番組「お笑いスター誕生!!」に初挑戦、番組終了の1986年まで出演し続けた(10週勝ち抜きでは9週目挑戦が最高記録)。アマチュア当時は大手芸能事務所には在籍せず、「officeちゃらんぽらん」としてフリーの立場で余興・営業などで活動していた。1983年3月に大学卒業後にプロに転向、1984年1月にコンビ名を「ザ・ちゃらんぽらん」から「ちゃらんぽらん」に改名する。

1985年1月15日、「第6回ABC漫才・落語新人コンクール」の漫才の部・最優秀新人賞を皮切りに「第15回NHK上方漫才コンテスト」(2月7日)最優秀賞、「第20回上方漫才大賞」新人賞と当時の在阪局主催の新人賞を総ナメ、同時期には藤本義一が村長を務めた「笑の会」にも参加する。同年1月19日に「お笑いスター誕生!!」で行われた「第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ」では、大阪でブレイク以前のダウンタウンらと準決勝まで勝ち進み、95点(準決勝2位)[10]を叩き出し、決勝で84点(敢闘賞)を記録、5月18日の「第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ」では、第5回オープントーナメントサバイバルシリーズがお笑い芸人としてデビューとなったウッチャンナンチャンら4組の決勝で91点で優勝となった[11]


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