ちちんぷいぷい_(テレビ番組)
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ちちんぷいぷい
開始から2014年1月31日、および2019年1月28日から終了まで生放送に使用した毎日放送本社M館。
ジャンル大型情報番組
出演者角淳一
西靖
上泉雄一
山本浩之フリーアナウンサー
河田直也
山中真
(いずれも歴代MCで、角は当時、西・上泉・河田・山中は毎日放送アナウンサー
出演者欄に詳述)
オープニング花*花「ぷいぷい行進曲」
エンディングこちらを参照。
製作
プロデューサー原田昌彦(毎日放送)
制作毎日放送(MBS)

放送
音声形式ステレオ放送
放送国・地域 日本
放送期間1999年10月11日 - 2021年3月12日
放送時間下記参照
回数5115
特記事項:
一部の祝日は休止(2011年9月までは、祝日は特別編を放送する場合を除いて休止していた)
上記の放送時間は、毎日放送における放送終了時点での基本放送枠。
過去には、TBS系列局の一部でも放送していた(詳細後述)。
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2014年2月3日から2019年1月25日まで生放送に用いられた毎日放送本社新館のB館(2014年当時)。柱を支える(左から)河田直也、西靖、山本浩之(いずれも当時のメインアナウンサー)の広告が壁面に掲示されている。

『ちちんぷいぷい』は、毎日放送(MBSテレビ)で1999年(平成11年)10月11日から2021年(令和3年)3月12日まで平日午後に放送されていた生放送大型情報番組である。

通称は『ぷいぷい』で、関西ローカル番組として放送を開始。大半の放送期間においては関西ローカル番組として放送されていたが、TBS系列の在京キー局であるTBSテレビを含むTBS系列局の一部でも、一部の曜日・時間帯に同時ネットで放送していた(詳細後述)。特に2019年4月1日から放送終了までの放送時間は、基本として平日の13:55 - 15:49(JST)。制作局の毎日放送での放送期間は21年半で、総放送回数は5,115回[1]

なお、当ページでは、レギュラー放送やレギュラー出演者に関する記述に限定する。特別企画については、ちちんぷいぷいの特別番組一覧を参照すること。
概要

全編生放送を基調に、有識者・芸能人を交えてのスタジオトーク、報道・情報系の生中継、ロケによるコーナーなどを交えながら進行。特別番組や派生番組によっては、事前に収録した内容を放送することもあった。

スタジオに据えられた大型のプロジェクター(PJ)に映された字幕を総合司会(メインパーソナリティ→MC)やコーナーの進行役が読みながら進行したことや、緊急時・非常時以外でも、放送前に予定されていた内容をスタジオトークの展開などに応じて柔軟に変更していたことが特徴。放送時間の変更やネット局の有無・増減にかかわらず、「(主な放送対象地域である)関西地方の街や視聴者の声に光を当てながら、世界規模の出来事から、東京発のニュース、(地域内の阪神甲子園球場本拠地を置く)阪神タイガースの成績、路地裏のグルメ情報に至るまで、森羅万象を関西ならではの視点を伝える」というポリシーを終始貫いていた[2]。番組の開始当初から最終回までディレクター→プロデューサー→編集長→総合演出として制作に携わってきた佐川昌裕(毎日放送)によれば、「ニュース番組」ではなく、「『今日感』と『共感』を重視したトーク番組」と位置付けていたという[3]

番組開始から2014年1月31日(金曜日)までは、毎日放送本社2階(大阪市北区茶屋町、通称「M館」)の「ギャラクシースタジオ」を主に使用。同スタジオの一角で『っちゅ?ねん!』(公開生放送)や『バンバンバン』(中継を繋ぐスタジオパート)を放送してから、当番組につないだ時期もある。なお、同年2月3日(月曜日)から2019年1月25日(金曜日)までは、「M館」の北隣に完成した新館(通称「B館」)のテレビAスタジオで制作。2019年1月に「ライブセンター」が「M館」の2階に完成したことから、同月28日(月曜日)以降は同センターからの生放送に切り替えている[4]

開始当初からステレオ放送で、2003年12月1日の地上デジタル放送スタートを機に、ハイビジョン制作へ本格的に移行。ハイビジョン試験放送期間中にも、ハイビジョン制作を数回実施していた。

2007年度には、「気付きメール紹介 今日の○○」として、1年間にわたって専用のメールアドレスを開設。この企画をきっかけに、出演者やスタッフがわからない疑問の解答や、企画のアイデア、番組の感想などを、放送中に視聴者から電子メールで随時募集するようになった。

また、視聴者へのプレゼントコーナーを番組開始当初から設置。番組の中期までは、はがき限定で応募を受け付けていた。後に、専用の電話回線を通じて、放送中から当日の放送終了直後まで応募を受け付ける方法に変更。受付を締め切ってからただちに当選者を決めたうえで、締め切りから1時間以内に番組スタッフが電話で当選の旨を連絡していたため、当日のスタジオ出演者から1名が告知の際に指定したキーワードをスタッフに告げることが条件になっていた。このキーワードは、直近のコーナーまでの話題・出演者の発言から指定されることが多く、全編のアシスタント(毎日放送の女性アナウンサーが代々担当)から指名された出演者が即興で出すこともあった。

毎日放送では、当番組の放送開始を機に、『ちちんぷいぷい MBS』というステーションフレーズを策定。当番組のアニメキャラクター「ぷいぷいさん」とタイトルロゴを用いたステーションCMを、関西ローカルのスポットCM枠で随時放送していた。
番組開始までの経緯

毎日放送(MBSテレビ)では、NETテレビ(現在のテレビ朝日)・東京12チャンネル(現在のテレビ東京)との関係が深かった1970年代の前半に、東京12チャンネルとの共同制作で平日の午後に主婦向けのワイドショー番組『ファミリースタジオ230 → 奥さん!2時です』を生放送(毎日放送は月 - 水曜分を制作)。1975年3月31日に現在のJNNへ加盟してからも、『スタジオ2時』や『ワイドYOU』といったワイドショー・情報番組の制作を続けてきたほか、西日本を中心とした他地域のJNN系列局でも以上の番組を同時ネットで放送していた。

佐川は『ワイドYOU』から制作に携わっていたが、1990年代に入ってから、平日午後の番組の視聴率が低迷。自社制作による生放送のワイドショー・情報番組が、ネット局を徐々に減らしたり、1年 - 2年単位での終了を余儀なくされたりするなどの悪循環に陥っていた。毎日放送ではこのような苦境を打破すべく、1998年10月から平日の17時台に編成していた『おかえりワイド』(上泉雄一亀井希生両アナウンサーの司会による関西ローカル向けの情報番組)を1年で終了することを1999年に決断。当時若手だった上泉・亀井に代わって、『すみからすみまで角淳一です』(MBSラジオ平日午後の生ワイド番組)で絶大な人気を得ていた上司の角淳一を「メインパーソナリティ」という肩書で司会へ据えることを前提に、「関西ローカルに特化した情報番組を、3時間もの生放送枠で編成する」という構想が浮上した。

「ちちんぷいぷい」という番組名を考えたのは、角自身である。角は、1996年脳梗塞を患ったばかりで、主婦層向けの情報番組を担当することに不安を感じていた。入院生活中に病室のテレビで見ていたワイドショーについても、「芸能スキャンダルと嫁姑の話ばかり扱っているので(病室で見るには)しんどい(疲れる)」として、良い印象を持っていなかった[2][注 1]。そこで、「『ちちんぷいぷい』というおまじないをかけないとやっていられない」という意味を込めて、「ちちんぷいぷい」と命名。「このタイトル以外では新番組(の総合司会)を受けない」と言明した[注 1]
歴史

祝日は休みたい」という角の希望から、角の総合司会時代は原則として祝日・年末年始は放送しなかった。しかし、角の総合司会降板(2011年9月)を機に、祝日も原則として関西ローカル向けに放送。角も、「ホリデー角さん」という祝日限定のロケ企画で、VTRやスタジオに随時登場していた。また、「特別版 / 増刊号」と称する派生番組を祝日や週末に編成することもあった(別途詳述)。

2002年までは、毎日放送が選抜高等学校野球大会(3月下旬 - 4月上旬)のテレビ中継を全試合で実施していたため、「春休み」と称して大会期間中に放送を休止していたが、2003年の第75回選抜高等学校野球大会から生中継の対象を準決勝と決勝(2015年以降は決勝のみ)にとどめているため、それ以外の開催日が平日でも当番組を放送するようになった。

なお、レギュラー出演者の異動については、特記のない限り「出演者」の項で詳述
1999年 - 2008年

関西ローカルで夕方の17時台に編成していた『おかえりワイド』の後継番組として、1999年10月11日にレギュラー放送を開始。2002年3月までは、番組の前半をメインセット、後半を和室セットから進めていた。最初期は、「ニュースを極力扱わず、視聴者との間でおしゃべり(話題)を共有しながら、心の持ちようを変えてくれる番組にしたい」という角の意向[2] から、ラジオ番組のようなスタイルで視聴者からのメッセージを紹介。当初から、長時間にわたる生中継を頻繁に組んでいた。

2000年2月28日からは、陣内智則の出演による「クイズ私鉄沿線」が放送を開始。これを機に、陣内によるクイズコーナーが、形を変えながら8年間続いた。

2001年7月2日放送分から、「角の☆印」(すみのほしじるし)を開始。放送当日の「朝会」(佐川を中心に進めていた午前中の打ち合わせ)までに伝えられたニュースから、角が気になったトピックスに「☆印」を打ったうえで、その事柄について分かりやすく解説する企画であった。ニュースを扱うことに消極的な角に対して佐川が編み出した「苦肉の策」であったが、この企画から「進行表を使わずに、スタジオPJを使って生放送を進めていく」というスタイルが定着。中継コーナーの放送曜日を金曜日に縮小した2002年4月以降は、「☆印」が当番組のメインコーナーになった。

2004年3月22日(月曜日)放送分では、武豊の騎乗でハルウララが出走する高知競馬のレースを、関西地方の地上波テレビ局で唯一生中継。ハルウララがゴールした時に高視聴率を記録した。この時期に、放送回数が1000回に到達した。また、毎日放送がこの年から2008年まで毎年8月に「オーサカキング」というイベントを大阪城公園で開催したことから、開催期間中には関連企画や特別番組を放送した(別途詳述)。

2005年5月10日火曜日)放送分では、角が本番の途中から姿を消した。社内の健康診断で不整脈を起こしていることが判明したもので、「いっぺんだけ!」(当時放送されていた逸品の試食・紹介コーナー)の終了後から、およそ1週間にわたって検査入院。1週間後(5月17日)の「いっぺんだけ!」から、「リハビリを兼ねて」という理由で急遽復帰した。ちなみに、角は後年、検査入院中に心臓の緊急カテーテル手術を受けていたことを明かしている[5]

2006年3月で放送回数が1500回に到達。4月改編では、2005年4月から1年間平日の14時台に編成していた『っちゅ?ねん!』の放送枠を統合したうえで、放送開始時間を14:00に繰り上げた。この改編によって放送時間がおよそ4時間に拡大したため、前述の事情から体力に不安のある角を、同番組の司会だった上泉、番組開始直後からのレギュラーである西靖(いずれも毎日放送アナウンサー)、ニュース解説者の石田英司が、進行を分担する格好でサポート。また、『っちゅ?ねん!』レギュラー出演者の一部が合流したことによって、出演者が大幅に増加した。後に出演者を徐々に入れ替えたが、この時に合流したロザンピーコは、現在(2019年4月改編以降)もレギュラー出演を続けている。

その一方で、角は2006年6月から一時、胆石摘出の手術に伴う入院で休演。10月改編からは、角の出演曜日を月・火・水曜日に限定する一方で、木曜日には西、金曜日には上泉が進行を担当した。上泉が2007年3月30日(金曜日)放送分で降板してからは、西が金曜日の総合司会も引き継いでいる。

2008年4月24日に通算の放送回数が2000回に到達。同年10月6日(月曜日)からは、「3時間がちょうどええわ?」と銘打って、放送時間を14:55 - 17:50に短縮した。「オーサカキング」はこの年で終了したが、人気企画の1つであった「高校生カレー甲子園」(ハウス食品の特別協賛・たむらけんじの司会による高校生のカレーレシピ・調理コンクール)は、2012年から2016年まで当番組単独の夏季特別企画として復活している。
2009年

平日の14時台に放送されていた『2時っチャオ!』が3月27日で終了したことに伴って、4月から後継番組の『ひるおび!』(いずれもTBSテレビ制作全国ネット番組)の放送を開始した。『ひるおび!』は開始当初の半年間のみ、14:55まで放送されていたが、金曜日の14時台のみ毎日放送が『ひるおび!バンバンバン』(当番組の中継企画から派生した番組)の制作を担当。10月改編以降も、独立番組の『バンバンバン』として、半年間放送を継続した。その一方で、毎日放送では7月3日(木曜日)で、月 - 木曜14時台の同時ネットを終了[注 2]。14時台をドラマ再放送枠に充てた。

放送開始10周年を迎えた当番組では、関西ローカル向けに2時間55分の生放送を続けながら、4月3日(金曜日)から本編(15:00開始)の前に「もうすぐぷいぷい」という5分間のミニコーナーを編成。その一方で、同日から毎週金曜日のみ、TBSテレビと一部のTBS系列局IBC岩手放送北陸放送中国放送琉球放送)向けの部分ネットに踏み切った。


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