たびら平戸口駅
駅舎(2019年1月)
たびらひらどぐち
Tabira-Hiradoguchi
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たびら平戸口駅(たびらひらどぐちえき)は、長崎県平戸市田平町山内免にある松浦鉄道西九州線の駅である。 九州最西端及び、鉄道事業法に基づく普通鉄道における日本最西端の駅であり、「本土」を北海道・本州・四国・九州の四島とした場合には本土最西端の駅である。 2003年、沖縄県那覇市に沖縄都市モノレール線(軌道法準拠路線)が開業したことで、同線那覇空港駅が「日本最西端の駅」を名乗ることとなった。但し、松浦鉄道及び地元平戸市では、現在でも当駅を「(普通鉄軌道方式で、全国の各駅とレールで繋がっているものでは)日本最西端の駅」であるとしており、当駅到着前の車内放送でもそのように案内されている[1]。駅前には地元平戸市出身の作曲家藤浦洸の揮毫による「日本最西端の駅」の碑がそのまま存置されている他、2015年(平成27年)には松浦鉄道が当駅の愛称として「日本最西端の駅」を公式に採用するなど、「最西端」の称号は現在も沿線地域活性化のために積極的に活用されている[2]。 鉄道が通じていない平戸島の最寄駅であるため、(旧)平戸市では無く北松浦郡田平町(開業当時は南田平村)にありながら「平戸口駅」として開業した。1988年に松浦鉄道が発足すると、田平町中心部にあることから翌1989年に「たびら平戸口駅」に改称された。その後、2005年10月1日に田平町が平戸市ほか2町村と対等合併して(新)平戸市となったため、この駅も平戸市内に含まれることになった[3]。
概要
歴史
1935年(昭和10年)8月6日:鉄道省伊万里線の平戸口駅として開設[4]。
1945年(昭和20年)3月1日:松浦線に路線名称変更。
1962年(昭和37年):「日本最西端の駅」の記念碑が駅前に建立される。(前年4月の昭和天皇巡幸を記念)
1969年(昭和44年)10月29日、10月31日:昭和天皇、香淳皇后が第24回国民体育大会に合わせて県内を行幸啓。お召し列車の発着[5]。
1974年(昭和49年)10月1日:貨物取扱廃止[4]。
1984年(昭和59年)2月1日:荷物扱い廃止[4]。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、JR九州松浦線の駅となる[4]。
1988年(昭和63年)4月1日:第三セクター松浦鉄道への転換により、同社西九州線の駅となる[4]。
1989年(平成元年)3月11日:たびら平戸口駅(たびらひらどぐちえき)に改称される[4]。
2002年(平成14年)11月18日:全国豊かな海づくり大会臨席のため長崎県を訪問した天皇・皇后が当駅からお召し列車に乗車。これに先立ち駅設備整備が行われ、構内踏切階段補修や改札ラッチ一部撤去などが行われた。