たのしい知識
[Wikipedia|▼Menu]

たのしい知識
Le Gai Savoir
監督
ジャン=リュック・ゴダール
脚本

ジャン=リュック・ゴダール

ジャン=ジャック・ルソー

ナレータージャン=リュック・ゴダール
出演者

ジャン=ピエール・レオ

ジュリエット・ベルト

アンヌ・ヴィアゼムスキー

撮影ジョルジュ・ルクレール
編集ジェルメーヌ・コアン
製作会社

アヌーシュカ・フィルム

バヴァリア・フィルム

配給 アイ・ヴィー・シー
公開

1969年6月28日 ベルリン映画祭

1969年7月12日

1969年6月16日

1969年9月27日 NY映画祭

2012年4月22日

上映時間95分[1]
製作国

フランス

西ドイツ

言語フランス語
テンプレートを表示

『たのしい知識』(たのしいちしき、: Le Gai Savoir)は、1967年に撮影され1968年に完成した、ジャン=リュック・ゴダール監督によるフランス西ドイツ合作の映画である。五月革命より前に撮影が始まり、革命後に完成した。ORTFとの共同製作で、一度完成したものの同局に拒絶され、1969年に劇場で上映されたが検閲により禁止された。日本では2012年にオーディトリウム渋谷で初公開されている[2]。長らく日本未公開であったため邦題は定まらず、『楽しい科学』(たのしいかがく)とも。
略歴・概要

アンナ・カリーナとの破局を経験した1965年、ゴダールは、冬のパリで『男性・女性』(1966年)を撮影し、シネマ・ヴェリテ的手法によって顕わにした若い世代の考えに興味を抱く。1966年に『メイド・イン・USA』および『未来展望』(オムニバス『愛すべき女・女たち』の一篇)を撮影し、この2作を最後にカリーナを主演にすえることを断念したゴダールは、ドキュメンタリー作家クリス・マルケルの呼びかけによるオムニバス映画『ベトナムから遠く離れて』のために『カメラ・アイ』を撮り、よりいっそうのシネマ・ヴェリテの実践と、若い世代の思想、新しいマルクス主義である毛沢東思想に傾倒してゆく。

1967年に出会ったマオイストシネフィルの青年ジャン=ピエール・ゴラン(当時24歳)との会話から生み出されたのが、同年早々に撮り始めた『中国女』、そして本作『たのしい知識』である。ゴダールは、同年夏にはモデル出身のミレイユ・ダルクと『ウイークエンド』を撮るが、『中国女』で主役に抜擢した当時まだ20歳のアンヌ・ヴィアゼムスキーと同1967年7月22日に結婚、同作が8月30日にフランスで公開され、時期を同じくして「商業映画との決別宣言」を発表する。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:40 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef