たてかべ和也
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たてかべ かずや
たてかべ 和也
1962年
プロフィール
本名立壁 和也
(たてかべ かずや)[1][2][3][4]
愛称カベさん[5]
性別男性
出身地 日本北海道虻田郡喜茂別町[5][注 1]東京都世田谷区下北沢[2][6]
死没地 日本東京都[7]
生年月日 (1934-07-25) 1934年7月25日
没年月日 (2015-06-18) 2015年6月18日(80歳没)
血液型A型[8]
職業俳優声優芸能マネージャー
事務所ケンユウオフィス
(永劫所属)[8]
配偶者独身
公式サイトたてかべ和也:Tatekabe Kazuya 株式会社ケンユウオフィス
公称サイズ(時期不明)[9]
身長 / 体重168 cm / 64 kg

声優活動
活動期間1960年代 - 2015年
ジャンルアニメゲーム吹き替えナレーション
俳優活動
活動期間1950年代 - 2015年
ジャンルテレビドラマ舞台
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

たてかべ 和也(たてかべ かずや、1934年昭和9年〉7月25日[2][6][5][10] - 2015年平成27年〉6月18日[7])は、日本俳優声優マネージャー。設立時より死去するまでケンユウオフィス取締役を務めていた[注 2][8]北海道虻田郡喜茂別町出身[5][注 1]東京都世田谷区下北沢育ち[2][6]

1970年代までは本名の立壁 和也(読みは同じ)で活動。
経歴
俳優・声優になるまで

北海道虻田郡喜茂別町で誕生[5][注 1]。先祖は除虫菊の栽培をしていたという[6]。父は胆振縦貫鉄道に勤めていたが、身体が弱く仕事を続けられないこともあり、1942年、小学2年生の時に東京都世田谷区下北沢に転居[2][3][6]。そうではなかったら、北海道に在住していたかもしれないという[4]。農協など、そういうところへ勤めて、結婚して、孫もできて、ストーブに当たりながら『ドラえもん』を見て、ジャイアンの声は当然誰かが演じているわけだから、「誰だよ、この憎たらしい声出してるのは」とそうだったかも知れないではないですかと語っていた[4]。自身は一人っ子で、少年時代はのび太のようなタイプだったという[4]。言葉に少し北海道訛りがあり、いじめを受ける[3]

戦時中の小学4年生の時は長野県松本市北東部にある浅間温泉に疎開していたが、その後、長野県塩尻市洗馬に疎開先を移った[2]。その頃、夜ごと寝小便をするようになり、終戦の前後6ヵ月間続いていた[2]

疎開先から実家に帰った途端、寝小便は止まって、毎日、東京都世田谷区立代沢国民学校(現・世田谷区立代沢小学校[6]から帰ると野球に熱中[2]。第1期生として東京教育大学附属駒場中学校(現・筑波大学附属駒場中学校)へ入学後も野球に熱中していた[2]。同高等学校時代に「人手が足りないから出てくれないか」と頼まれて演劇部の公演『アルト・ハイデルベルク』のユトナー博士役で参加[2][6]。観客から大好評であり、「俺、ひょっとしたら俳優の素質があるのかも……」「芝居っておもしろいな」と、少し思ったという[2][4]。しかし一方で何事にも縛られることが嫌いだったことから演劇部に入っていなかった[6]。その後は、劇団民藝の『五稜郭血書』、『炎の人』、文学座の『華々しき一族』等々毎週のように東京中の芝居を見て歩いていた[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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