たき火
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木の枝を使った焚き火

焚き火(たきび)とは、を焚くこと、火を燃やすこと、および、その火を指す[1]野焼きと厳密な区別はされないが、一般的に野焼きは廃棄物(ごみ)の焼却処分という意味合いが強い。

広辞苑は3つほど意味内容の例を挙げており「(1)かがり火、(2)かまどなどで焚く火、(3)庭などで落ち葉などを焚くこと。またその火」としている[2]。送り仮名を用いず焚火とも書き、「たきび」あるいは「ふんか」と読む。平易にたき火とも表記する。
歴史

北京原人遺跡には焚き火の跡が残っている。遺跡の灰の状況から、彼らは火を絶やさせない工夫を行って、日常的に焚き火を行っていたことが確かめられている。年代は約50万- 約40万年前[* 1]とされている[3]。また30万年前のネアンデルタール人の遺跡からも炉の痕跡は見つかっている[4]。たき火は熱源および光源としての役割を担う。

焚き火をうまく行うには、火を恐れない精神構造を獲得し、火の性質を理解した上で、薪をくべるタイミングを適切に行い、一連の作業を適切にこなす必要がある[3]。人類の祖先は、以下の段階を経て焚き火の技術を確立したと推測されている[3]
猿人の時代 :火への恐怖の克服と観察と実験。

猿人から原人の時代 :火の特質の理解と利用法の発見。

原人の時代 :焚き火による火の保存と日常的な利用の確立。

観察と実験の機会としては、落雷の作用による自然発火がもたらす野火との偶然もしくは必然の出遭いが通常的に考えられるほか、火山噴火口溶岩への積極的接近もあり得る。発火技術の発明と発火技術の向上は、クロマニョン人の時代に成されたと考えられている。
歴史と文化
信仰

信仰が寄せられることはよくあり、それに関連して野外での焚き火が宗教的に行われることもある。いわゆる火祭りでは大きな焚き火が作られることが多い。バラモン教に起源し、仏教神道にも伝播している護摩も、「焚く」「焼く」を原義とする焚き火の儀式である。また、篝(かがり)を用いた篝火(かがりび)[5]ではあるが、日本伝統の薪能も、決して遠いものではない。

英語では焚き火を "a fire"、"a bonfire"、焚き火をすることを "build a fire (bonfire)" と表現する。bonfire については後期中英語の banefire (bone+fire) が語源であり、疫病で死んだ人や罪人の骨を燃やす昔の厳粛な行事に由来があるとされる[6]フランス東部および南ドイツ地方にはフンケンフォイアー(英語版)(構成:火の粉+炎=篝火[かがりび])という習慣があり、クリスマスなどで使用した樅(もみ)の木などを「灰の水曜日 Funkensonntag (フンケンゾンターク)」に燃やして祈る習慣がある。これはキリスト教の到来以前から当地にあった異教の習慣の名残とされ、2010年にはオーストリアユネスコ無形文化遺産に指定された。花火を詰めた人形魔女に見立てて樅の木に結わえ付け、一緒に燃やすのが特徴である。キリスト教国では広く、聖ヨハネの日前夜に焚き火「聖ヨハネの火 (St. John's Fire)」をともす習慣がある。

焚き火の火はそれ自体が信仰の対象ともなった。画像はドイツ中央部のゲッティンゲンで行われるイースターファイアー(英語版)。

キリスト教正教会夏至祭イワン・クパーラ」で行われる焚き火越えを描いた油彩画/ヘンリク・シェミラツキ(英語版) "Night on the Eve of Ivan Kupala"。1892年の作

金峯山寺護摩(撮影地・吉野山)。

フンケンフォイアー(英語版)の準備風景。樅の木に結わえつけられた魔女の人形が中央に見える。撮影地はドイツ南西部のジグマリンゲン

日本の焚き火

焚き火の痕跡は、旧石器時代(約1万8000 - 1万6000年前)のものが長崎県佐世保市の洞窟内で見つかっている[7]。文献的な初出は、日本書紀の「天石窟之条」の火処焼(ほどころたき)とされる[8]。また平安時代古語拾遺には「庭燎挙して」とあり、令義解にも同類の記載がある。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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