たかたかし
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たか たかし(1934年10月27日 - )は、新潟県新発田市出身の作詞家。本名は高橋 広雄。
人物・来歴

新潟県立新発田高等学校在学中に若山牧水の「白鳥は哀しからずや空の青 海のあをにも染まずただよふ」に出会い、身の震えるような感動を覚える[1]立教大学文学部中退後は北海道に渡り、業界新聞記者、セールスマン興信所調査員、ルポライターなどを経験[1]青島幸男と知り合ったことが契機となり、以後放送作家[2]として各種音楽番組を手がけるが、仕事上「昭和歌謡全集」(新興楽譜出版社)を隅々まで目を通したことで、歌謡詩に興味を持つようになる[1]

作詞活動は1967年から美川憲一の「ネオン化粧」でデビュー[2]し、西城秀樹情熱の嵐」、松崎しげる愛のメモリー」等、ヒット曲を世に送り出す。西城とは1971年頃に親しいレコード会社のディレクターから「今度、広島沢田研二と言われている子を出すから、(詞を)書かないか」と言われ、上京してきた西城とレコード会社で初めて面会[3]。たかは「背がすらっと高く、あいさつもハキハキしている好青年。何かオーラみたいなもの」を感じ、「格好いいなあ」という印象を抱いた[3]。デビュー曲「恋する季節」を「麻生たかし」のペンネームで書き、たかは「声に凄く特徴がある。押しつけがましくなく、突き抜けている声」に魅了され、当時よく見ていたアメリカミュージカルスターを西城の姿に重ねていた[3]。「愛のメモリー」は「万葉集」から、藤原鎌足采女安見児を得たときに詠んだ歌「われはもや安見児得たり皆人の得難にすとふ安見児得たり」を基に作詞し[4]スペインの「マジョルカ音楽祭」に作ったラブ・バラード風のスケールの大きな曲で、松崎の歌唱力をアピールするに相応しく最優秀歌唱賞、総合2位になる[2]

1980年に作詞家として独立し、五木ひろしおまえとふたり」、川中美幸ふたり酒」、美空ひばりおまえに惚れた」、都はるみ&岡千秋浪花恋しぐれ」を送り出す[2]1987年には新人であった坂本冬美の「あばれ太鼓」で80万枚を超える大ヒットを記録し、坂本は第29回日本レコード大賞新人賞を受賞[2]

作詞活動の傍ら、日本作詩家協会副会長、日本音楽著作権協会理事、日本音楽作家団体協議会常任理事も務める[1]
代表曲

逢川まさき

『しのび逢い』(作曲:森田公一


石川さゆり

なみだの宿』(作曲:鈴木淳


五木ひろし

おまえとふたり』(作曲:木村好夫

倖せさがして』(作曲:木村好夫)

人生かくれんぼ』(作曲:弦哲也

『おはん』(作曲:岡千秋


伊東ゆかり

『陽はまた昇る』(作曲:筒美京平


大川栄策

『雨の港』(作曲:遠藤実


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