たいようのマキバオー
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たいようのマキバオー
ジャンル競馬漫画動物漫画ギャグ漫画
漫画
作者つの丸
出版社集英社
掲載誌週刊プレイボーイ→週プレNEWS
レーベルスーパー・プレイボーイ・コミックス
発表号2006年44号(読切)
2007年15号 - 2011年19・20号(無印)
2011年5月9日更新分 - 2016年11月14日更新分(W)
巻数たいようのマキバオー 全16巻
たいようのマキバオーW 全20巻
テンプレート - ノート

『たいようのマキバオー』は、つの丸による日本漫画作品。
概要

本作品は1994年から1998年まで『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて連載されていた競馬漫画『みどりのマキバオー』の続編である。

当時ハルウララの人気で注目された高知県高知市に実在している高知競馬場を舞台に、一見不条理で非現実的な作風ながら、同時に地方競馬を舞台に世相や競馬界の抱えるさまざまな問題点を描き出すリアルさを持つことが特徴である。また、前作と同じく下品なギャグ色が強い作品であり、主人公のヒノデマキバオーの現役から引退までのストーリーとなっている。

週刊プレイボーイ』(集英社)にて2006年44号に読切掲載を経た後、2007年15号より2011年19・20号まで同誌にて連載され、同年5月9日更新分より『週刊プレイボーイ』のウェブサイト『週プレNEWS』に移籍し、題名も『たいようのマキバオーW』へと改められ2017年2月まで連載された。

単行本は『たいようのマキバオー』名義で16巻まで、新しく『たいようのマキバオーW』名義で20巻まで刊行された。話数カウントは前作と同じく[1]「週刊XXX馬(週刊プレイボーイ連載時代)」→「WeeklyXXX馬(W)」。

テレビ東京の競馬番組『ウイニング競馬』で取り上げられた。

本作品の連載終了後、セガのゲーム『STARHORSE』とコラボが行われた。

また、『starhorsepocket』ともコラボが開催され、原作ではなかったマキバオー達を種付け馬として選ぶ事も出来る。
あらすじ

この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。あらすじの書き方を参考にして、物語全体の流れが理解できるように(ネタバレも含めて)、著作権侵害しないようご自身の言葉で加筆を行なってください。(2019年11月)(使い方

たいようのマキバオー

日本競馬界は無敗の2冠馬・フィールオーライの独壇場から始まり、かつてミドリマキバオー達を追いかけ自伝を書いた元記者が昔話を語る。そんな中、地方の高知競馬場に出馬しているマキバオーの姿があった。ミドリマキバオーそっくりのヒノデマキバオー。アイドルホースとして人気を集めている中、交流試合でやってきたかつてミドリマキバオーのジョッキー山本勘助が接触したことをきっかけに、様々なライバル馬達と戦って、大井競馬場で開催するG1・帝王賞に挑んでいく。
たいようのマキバオー W

ヒノデマキバオーが帝王賞でダートの頂点に立った少し前、ダービーでも奇跡の勝利を果たした牝馬がいた。彼女の名はファムファタールである。彼女は続けて宝塚記念、そして凱旋門賞を目指すというのだった。しかしそれは、ケガから復活したフィールオーライと同じ道だったらしい。新旧の怪物が、宝塚記念で激突する。
登場動物・人物「みどりのマキバオー#登場動物・人物」も参照
高知・福留政親厩舎関連動物と人物
ヒノデマキバオー / 文太(ぶんた)
性別:牡毛色:
白毛生誕:2004年3月31日血統:父 タマブクロス(タマモクロス)、母 マキバコ、母父 サンデーサイデンス(サンデーサイレンス)主戦騎手:福留隼人おもな勝ち鞍:黒船賞高知優駿(黒潮ダービー)、ロータスクラウン賞高知県知事賞帝王賞(第31回、第32回連覇)、フェブラリーステークスゴドルフィンマイル馬主:一条(土佐一条氏がモデル)

戦績(連載終了時)

49戦19勝(中央4戦1勝、海外4戦1勝)

本作の主人公。ミドリマキバオー(うんこたれ蔵)の半妹マキバコ最後の産駒。容姿は先代マキバオー、母マキバコと同様、豚の胴体とカバの頭をくっつけたような姿で、母親似の前に突き出たたてがみが特徴。両前脚に青いバンテージを巻いている。「んにゃ?」「?にゃ」が口癖。好物は文旦小夏。愛称の「文太」は文旦が好物なことに由来する。なお、作中では語られていないが血縁上母マキバコの双子であるブリッツや異母兄弟であるカスケードも叔父にあたる。当初は中央競馬 (JRA) デビューを目指し中央の厩舎に入厩するも、生まれつきの脚部不安から適わず、高知の福留厩舎に転厩した。現地ではその愛くるしい容姿から一躍高知競馬のアイドルホースとなり、県外からもファンが訪れるほどの人気を誇っていたが、実態は経営難に喘ぐ地方競馬場の運営資金を賄うための客寄せパンダに過ぎなかった。レースの勝敗云々は二の次で、客足を絶やさぬ様、体調も省みられずほとんど毎週の出走を強いられていた。(本人曰く、半年で20回以上出走していると言っている)[2]もっとも、そんな事情は知らず常に大真面目にレースに臨み、観客に愛嬌を振りまいていた。黒船賞開催日の最終レースにて、中央勢への劣等感から冷静さと自制心を欠いたハヤトの騎乗ミスと、観客から理不尽に罵られたハヤトへの自身の想いが相まって、初めて脚部の不安を無視した本気の走りを見せ、結果として12戦目にして初勝利を挙げることとなった。しかし、その代償として全治3か月の屈腱炎を発症し、長期休養を余儀なくされる。これを期に本格的な療養に入り高知優駿(黒潮ダービー)を目標とするも、結局完治を待たずに、客寄せ生活に逆戻りを強要される。常に上を目指ししのぎを削る同世代馬たちの姿と、それについて行けずただのお飾りとして祭り上げられる自分とのギャップを思い知らされ、激しい劣等感に苛まれて葛藤し続けていたが、とうとう我慢の限界に達し「思い切り走りたい」と涙ながらに胸の内をハヤトにぶちまける。赤字覚悟の福留厩舎全陣営の協力の下、再度療養に専念。調整不足ながら挑んだ高知優駿(黒潮ダービー)をノーマークの低評価を覆し勝利。重賞初制覇を果たした。その後、戦いの場をほかの地方競馬へと移し、荒尾競馬場荒炎賞で2着。続いて佐賀競馬場ロータスクラウン賞で交流競走初制覇となる。続いて出走した盛岡競馬場ダービーグランプリ4着と安定した戦跡を残してきたが、再度屈腱炎を発症し休養を余儀なくされる。桂浜での治療や闘犬場での戦いによるデトックスによりリフレッシュした後、暮れの東京大賞典に選出され出走することに。アマゾンスピリットのマークを受けながら先行し、残りわずかまでアマゾンスピリットと競り合うも力尽き7着に終わる。その3日後に行われた高知県知事賞では大歓声の中、見事優勝する。年が明け、佐賀記念を目標に、金太のアドバイスによるピッチ走法を身につける特訓を行う。その結果、佐賀記念では最終コーナーで首位に立ち、得意の勝負根性を発揮して猛追する他馬をことごとく跳ね返すも、カスケード産駒のフラットビッキー、トータルケイオスの2頭にカスケードの走りを彷彿させる追い込みを披露され、3着に終わる。その後は高知に戻り、ゴールデンバットと黒船賞の出走を賭けた一騎討ちに勝利し、黒船賞に高知代表の1頭として出走。佐賀記念同様にピッチ走法を見せるが、本家フィールオーライの主戦騎手滝川に攻略され直線で苦戦。何とか滝川を凌ぐもその後、グラインドハウス、キックザパストらに先手を譲り、駄目かと思われたが、最後にかつて山本菅助がミドリマキバオーに騎乗した際の得意技であったきつつき戦法と同じ騎乗を見せ、ゴール直前に差し切って優勝した。その後、帝王賞に目標を定め、ステップアップとしてかきつばた記念に登録。地方馬に分がよく、中央馬もたいした実力馬はいないと高をくくっていたが、キングアナコンダら重賞常連組が出走。さらにレースは直線の短い名古屋競馬場の内枠で痛恨の出遅れ。終わったかと思われたが、やぶれかぶれで隼人のくり出したきつつき戦法により猛然と追い込んでキングアナコンダに急追。結局2着に終わったものの、収穫の多いレースとなった。レース後は高知へ戻らず、フィールとの縁もあり、帝王賞へ向けて栗東トレーニングセンターにある酒井厩舎で調整される。競走馬スイミングプールではフィールも驚くほどの持久力を見せ、坂路調教馬場で脚力強化をはかり休養を経て帝王賞へ挑むこととなる。


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