そして僕は途方に暮れる
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この項目では、大沢誉志幸の楽曲について説明しています。映画作品については「そして僕は途方に暮れる (映画)」をご覧ください。

「そして僕は途方に暮れる」
大沢誉志幸シングル
初出アルバム『CONFUSION
B面FREE WAYまで泣くのはやめろ
リリース1984年9月21日
規格シングル
録音アルファスタジオ
パワー・ステーション
ジャンルポップスロック
時間4分15秒
レーベルEPIC・ソニー
作詞銀色夏生
作曲大沢誉志幸
プロデュース木崎賢治小林和之
チャート最高順位


週間6位(オリコン[1]

1985年度年間37位(オリコン)[1]

2位(ザ・ベストテン[2]

大沢誉志幸 シングル 年表

その気×××(mistake)
(1984年)そして僕は途方に暮れる
(1984年)彼女はFuture-rhythm
(1985年)


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「そして僕は途方に暮れる」(そしてぼくはとほうにくれる)は、大沢誉志幸の5枚目のシングル。1984年(昭和59年)9月21日EPIC・ソニーよりリリースされ、大沢誉志幸を代表するヒット曲となった。その後も数多くのアーティストにカバーされている。オリコンチャートの最高順位は週間6位、累計28.2万枚のセールスを記録した[1]
解説

同年発売のアルバム『CONFUSION』からの2番目のシングルカット曲。シングル・バージョンとアルバム・バージョンはアレンジが若干異なる。アルバムの曲目掲載では、「そして僕は、途方に暮れる」という、読点が入っているタイトル表記になっている[注釈 1]

大沢によると、元々この曲は「凍てついたラリー」[3]というタイトルで、他の歌手へ提供する目的で作られた曲で[4]、最初は鈴木ヒロミツ[5]、その後鈴木雅之[注釈 2][4]山下久美子にそれぞれこの曲が一旦提供された[5][注釈 3]。しかしながら、いずれもこの曲を歌う気配が一向になく、その度に大沢の元へこの曲が戻され、最終的には『CONFUSION』のレコーディングの際、プロデューサーの木崎賢治に「今空いている曲はないか」と尋ねられて、この曲を引き出し、銀色夏生の詞と組み合わせて、大沢自身が歌うことになった[4]

プロデューサーの木崎賢治によると、この「そして僕は途方に暮れる」は、先に作った詞にメロディを付ける、いわゆる詞先で作られた楽曲である。EPICソニーのプロデューサーの小坂洋二から銀色夏生を紹介され、大沢も銀色の独特な詞の世界を気に入ったため、当時大沢の楽曲のほとんどを作詞するようになっていた銀色が、「そして僕は途方に暮れる」というタイトルで一度詞を書いたものの、大沢がうまく曲を付けられないまま保留となっていた[注釈 4]。しかし、木崎はこのタイトルをすごく気に入っており、ずっと気になっていた詞だったため、アルバム制作中に大沢が曲作りに行き詰まった際、前述の「凍てついたラリー」の最後の部分に、”そして僕は途方に暮れる”というフレーズがピッタリ入ることに木崎が気づいて、この曲に合わせて銀色が詞を書き直し、さらに大沢が大サビのメロディを書き足して最終形となったという[3]。大沢自身もこの曲について、とても好きな曲だと述べている[4]

1984年(昭和59年)発売のシングルは当時、日清カップヌードルCMソングに起用され、その後、カップヌードルCMソングを集めたアルバム「CUP NOODLE CM SONGS COLLECTION」の3曲目にも収録された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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