そうすけ
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サブロクそうすけ
本名杉浦 双亮(すぎうら そうすけ)
ニックネーム八丈島の禿鷹
別名義そうすけ
生年月日 (1976-02-08)
1976年2月8日(48歳)
出身地 日本東京都八丈町
血液型B型
身長174cm
言語日本語
方言共通語
最終学歴帝京大学
出身太田プロお笑いセミナー
コンビ名360°モンキーズ(1997年 - 2018年)
相方山内 崇(コンビ時代)
芸風コントものまね
立ち位置右(コンビ時代)
事務所太田プロダクション
活動時期1997年 -
同期インスタントジョンソン
過去の代表番組A女E女
他の活動プロ野球選手
公式サイト公式プロフィール
受賞歴
2006年 第8回細かすぎて伝わらないモノマネ選手権優勝
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サブロクそうすけ(1976年2月8日 - )は、日本お笑い芸人、元プロ野球選手投手)。本名及び旧芸名は杉浦 双亮(すぎうら そうすけ)。2016年の1シーズン、四国アイランドリーグplus愛媛マンダリンパイレーツに所属した。選手としての登録名は「サブロク双亮」。ジモン軍団のメンバー。

太田プロダクション所属。山内崇とのコンビ、360°モンキーズ(2018年1月限りで解散)でボケを担当していた。
経歴

八丈島の出身で、埼玉県大宮市(現さいたま市)・東京都渋谷区で育つ。実家は寺院で、父親は僧侶だった[1]帝京高校から帝京大学に進学した。
芸人としての経歴360°モンキーズとしての経歴については「360°モンキーズ」を参照

下記、プロ野球選手の引退発表時に芸名の改名を発表[2]2017年12月10日から芸名を本名から「そうすけ」に改めた[3]

相方・山内崇の芸能界引退に伴い、2018年1月に360°モンキーズを解散し、以降はピン芸人「サブロクそうすけ」として活動している[4]
野球選手としての経歴

サブロク双亮(杉浦 双亮)2016年4月10日、松山中央公園野球場にて
基本情報
国籍 日本
出身地東京都八丈町
生年月日 (1976-02-08) 1976年2月8日(48歳)
身長
体重174 cm
73 kg
選手情報
投球・打席右投両打
ポジション投手
初出場四国IL / 2016年4月10日
最終出場四国IL / 2016年9月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


帝京高等学校

愛媛マンダリンパイレーツ (2016)

この表についてこの表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

八丈町立三根小学校3年の時に野球好きだった父とのキャッチボールがきっかけで野球に興味を持ち、4年から少年野球チームで投手として活躍。5年まで過ごした後、家族で埼玉県大宮市に引っ越し、現在のさいたま市立上小小学校に転校。八丈島ではなかなか試合ができなかったが、転校後は毎週試合ができるようになり、投手としての楽しさを覚えたという[5]

渋谷区立松濤中学校ではエースを務め、本人いわく「チーム自体はあんまりでしたが、ただ、周りを見ても、僕より上回っている選手はいなかったと思います、なので、“あれ、オレ、いけるぞ”と思っていました」とのこと[6]

当時は無名だった埼玉の聖望学園からも誘いがあったが、プロ野球選手を目指し前田三夫監督率いる帝京高校に進学。1年先輩にセンバツ優勝投手で巨人などで活躍した三澤興一がいた[7]。三澤らが引退し新チームとなった2年秋の都大会前に練習試合で先発のチャンスをもらったが、いきなり3者連続四球で無死満塁となった後4番打者に満塁弾を打たれ交代し、それ以来一度もマウンドに上がれなかった。甲子園出場実績はない。高校の卒業アルバムには「野球は諦めて芸人になる」と書いていた。

帝京大学では野球を離れ、その後は太田プロダクションに所属しお笑い芸人となるが、芸人になった後も草野球で定期的にプレーを続けていた[7]

2015年10月26日、ブログで独立リーグ・四国アイランドリーグplusのトライアウトを受けることを報告[8]。きっかけは夏の高校野球甲子園大会で、「40歳という節目を目前に球児たちの頑張りをみて、自分ももう一度、夢を目指してもいいんじゃないかと思った」と熱く語り、相方の山内も「応援する」と言ってくれたという[7]11月4日から10日にかけて行われたトライアウトに参加し、初の実戦形式となった登板ではエラーとヒット2本で高校時代と同じくいきなり無死満塁のピンチを迎えたが、後続を抑え無失点で切り抜けた。同月11日、愛媛マンダリンパイレーツに合格した[9]

2016年1月20日に契約合意し正式に愛媛への入団が決定した[10]。当時、四国ILの選手は原則的に副業が禁止されていたが[注 1]、特例として入団後も芸人活動を認められた。愛媛の監督である弓岡敬二郎はウェブサイトに寄稿した文章で、「単なる話題性だけで獲得したのではありません」と記し、トライアウトリーグでの取り組みや入団後は選手活動中心にするという話から「その心意気を買いました」と理由を説明した[11]

2016年2月2日に入団記者会見を行い、背番号はコンビ名にちなんで36に決定、登録名は「サブロク双亮」となる[12]

4月2日の開幕時点では「練習生」で、公式戦出場可能な選手登録枠には入っていなかった[13]。監督の弓岡敬二郎は、3月15日にウェブに寄稿した文章で「現状は先発ではなく、中継ぎでの起用を考えています」「対外試合で投げるかどうかは、調整具合を見て判断する予定」と述べていた[14]。4月9日に選手登録され[15]、4月10日の巨人3軍との交流戦で3-4で迎えた9回表に登板[16]、打者2人と対戦し、四球と犠打で1アウト2塁となったところでわずか7球で降板したものの、デビュー登板を果たした[17](その後9回裏に愛媛が西村健太朗から2点を奪いサヨナラ勝ち)。試合後「先頭打者に四球というのは投手として一番やってはいけないこと。頭丸めてきます。あっ、もう丸まってる!」とコメントした。

8月20日にホームの松山中央公園野球場でおこなわれた対香川オリーブガイナーズ戦で初の先発登板。この先発は7月7日に予告されており、当日は相方の山内が始球式に登場[18]。4回に四球で二死満塁のピンチを招いたところで降板し、勝利投手にはなれなかったがノーヒットでチームの勝利を導いて試合後にはヒーローインタビューを受けた[18]

9月9日の対高知ファイティングドッグス戦で先発、公式戦で初めて5回を投げ抜き無失点に抑えて降板したが、後続の選手が打たれて勝利投手にはなれなかった[19]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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