せんだみつお
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この項目では、タレント・コメディアンについて説明しています。声優については「千田光男」をご覧ください。

この項目では、本名が中野光雄のタレントについて説明しています。実業家については「中野光雄」をご覧ください。
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せんだ みつお
本名中野 光雄(なかの みつお)
別名義千田光雄
せんだ光雄
二千田光雄
ムッシュ中野
浦島みつお
生年月日 (1947-07-29) 1947年7月29日(76歳)
国籍 日本
血液型O型
職業タレント
コメディアン
俳優
コメンテーター
MC
ナレーター
ジャンル映画
テレビドラマ
バラエティ番組
活動期間1956年 -
配偶者あり
著名な家族せんだ雄太(息子)
せんだるか(娘)
事務所生島企画室
公式サイト所属事務所によるプロフィール
主な作品
映画
こちら葛飾区亀有公園前派出所』(1977年の映画)
トラック野郎シリーズ
テレビドラマ
真夜中のあいさつ』TV
銀座NOW#』
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せんだ みつお(1947年昭和22年)7月29日 - )は、日本タレントコメディアン[1]

駒澤大学仏教学部中退[1]服部栄養専門学校卒業。調理師の免許を取得[2]。実息は俳優・せんだ雄太、実娘はタレント・せんだるか
芸名

芸名の由来は、慣用句の「千三つ」から[3]

後述の『東芝ワイドワイドサンデー』の仕事の際に、ニッポン放送ディレクターの上野修が名付けたものである[4]。当初は漢字だったが、声優千田光男がいることから、ひらがなにした[5]

千田光男とは血縁関係はなく、名前の読みが同じだけの全くの別人だが、誤って千田のギャラがせんだに振り込まれるなどの出来事があり、互いに意識していた。

この2人は海外テレビドラマ『特捜刑事マイアミ・バイス』と、映画『ブルース・ブラザース』の吹替えで共演している。

過去には千田光雄やせんだ光雄、ムッシュ中野の芸名で活動していた時期もある[3]2000年にはミレニアムにちなんで1年間限定で二千田光雄(にせんだみつお)に、2009年には3か月のみ[6]浦島みつおに改名した。
来歴

父は王子製紙の技術者で、父の赴任先であった樺太(サハリン)で生まれた。18歳年上の兄が居る[7]

1948年昭和23年)に父の故郷である岩手県北上市引き揚げ、その後、父の転勤によって宮崎県日南市に移る[7]

小学校2年生の時に再び父の転勤により、東京都杉並区に移り住んだ[7]
芸能界デビュー

小学校3年生の頃より「劇団杉の子」に所属し、子役として活躍していた。初舞台は轟夕起子主演の舞台『人形の家』で、主人公・ノラの長男[8]。その他、婦人雑誌のモデルの活動などもしていたが、子役活動は約2年で辞める。中学生時代の部活は野球部でセカンドのレギュラー、高校生時代の部活はバスケットボール部[8][9]穂口雄右は中学の同期生で、同じクラスになったことはなかったが、家が近所で仲が良かった。また、田中清司は高校の同期生[10]

高校時代に出会った菅原進[注釈 1]と仲良くなり、駒澤大学を中退後のしばらくの間、菅原進が結成したバンドビリーバンバンコンガを叩いていたこともあった[1][注釈 2]

せんだは服部栄養専門学校に通いつつ、ムッシュ中野という芸名でビリーバンバンの付き人兼司会を務めることとなったが、その仕事が他のバンドにも広がり、アンドレカンドレ(井上陽水)、吉田拓郎などのコンサートの司会を務めた。

菅原進がボイストレーニングに通っていた浜口庫之助のつてで、世志凡太の運転手や世志が加わっていたフランキー堺のバンドの巡業に加わるなどの仕事を経て、ビリーバンバンのコンサートに出演していたせんだを見ていた上野修にスカウトされる形で、上野がディレクターを務めていた、坂本九がメインパーソナリティーを務めるラジオ番組『東芝ワイドワイドサンデー』(ニッポン放送)のレポーターの仕事を得ることとなった[3][1]
司会者として

初のメイン司会番組は1969年(昭和44年)の『ワゴンでデート』(ニッポン放送)で、和田アキ子とのトーク番組だった。その後も『ラジオカウント』、『セイ!ヤング』、『ハローパーティー』など数多くのラジオ番組の司会者を務める。

1972年(昭和47年)10月にキャシー中島とテレビ番組『ぎんざNOW!』(TBS)の司会となり好視聴率を得る[注釈 3]

続いて1973年(昭和48年)10月に放送開始した『うわさのチャンネル』(日本テレビ)の司会を務め、人気が急上昇した。また湯原昌幸と『せんみつ・湯原のドット30!』(TBS)で共演。絶妙なコンビで人気を博し、後に明星食品のラーメンのCMに共演する事になる[注釈 4]

この頃に結婚。披露宴の司会は、みのもんたが務めた。

うわさのチャンネル』のエンディングで「NHKに出たい」と書いたボードを持ちながらふざけて踊っていたことがあったが、そこから1977年にNHKのテレビドラマ『北上山系』の出演につながったというエピソードがある[12]

この頃は極めて多忙であり、無理なスケジュールで体調を崩した(次項参照)。
半年間の休業後

1978年(昭和53年)12月に肝炎尿管結石で入院。半年間の休業後、折からの漫才ブームなどでレギュラー番組がすべてなくなるなど、急速に人気に陰りがでた。せんだ本人はこのことに関して、当時は動きの芸からしゃべりの芸への移行期であり、自分にはテンポがなかったためだと分析している[13]

1980年代以降も芸能活動をし、テレビ出演などもこなしているものの、タレントとしての露出度は1970年代の全盛期には及ばない。全国メディアでは、旧知の和田アキ子らの番組にゲスト出演する程度に留まった。

一方で、俳優としての活動に重点が置かれた。声優としても、『ゴールデン洋画劇場』での『ブルース・ブラザース』テレビ初放送時には、ジョン・ベルーシの吹き替えを担当。小野ヤスシが担当したダン・エイクロイドとの絶妙なやり取りを見せた[注釈 5]
近況

近年は「ウケない金ない仕事がない」の「三ない」や、自称「大スター」等の自虐ネタを持ち味としている。

2001年には、当時リバイバルヒットしていた「明日があるさ」に対抗して「明日がないさ」という楽曲を発表。歌詞も、そっくりそのままネガティブにしており、「明日がない 明日がない 明日がないさ」と歌っている[注釈 6]

文化放送の『吉田照美のやる気MANMAN!』(2007年終了)では、ゲストではなくリスナーとして投稿が採用されることがよくあった。

2017年10月から、TOKYO MXひるキュン!』の水曜レジェンドレポーターとして出演、地上波テレビでは十数年ぶりのレギュラー獲得を果たす。その他、イベント司会等の全国営業、2時間ドラマを中心とした主要脇役としても活躍している。

2021年7月には、ビリーバンバンの菅原進がカバーしたアニメソングユニバーサルミュージックから配信開始するのに合わせ、インターネットに公開されたPV「ようこそジャパリパークへ」(連続テレビアニメーション『けものフレンズ』主題歌)に、ほいけんたとともに出演した[14]
家族・親族

2007年1月にTBSナショナル劇場浅草ふくまる旅館』でデビューした俳優せんだ雄太は長男[1]。また長女のせんだるか2009年にタレントとしてデビューしている。

2022年にるかが元プロ野球選手の山本浩二の三男と結婚したため、山本とは縁戚関係となった[15]
芸風・印象・交友関係


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