すわしんじ
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すわ .mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}親治(しんじ)
本名諏訪園(すわぞの) 親治(ちかはる)
別名義すわ しんじ
生年月日 (1952-11-14)
1952年11月14日(69歳)
出身地 日本鹿児島県鹿児島市吉野町
血液型A型
身長167cm
言語日本語
師匠いかりや長介
グループ名ザ・ドリフターズ(元付き人)
ザ・ニュースペーパー(元メンバー)
過去の代表番組ドリフ大爆笑
公式サイト ⇒すわ親治公式HPすわらしき世界
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すわ 親治(すわ しんじ、1952年昭和27年〉11月14日 - )は、日本コメディアンタレント俳優。旧芸名はすわ しんじ。本名は諏訪園 親治(すわぞの ちかはる)で、本名名義で活動することもある。

ザ・ドリフターズの元付き人で、「ドリフ第六の男」とも言われる[1][注釈 1]ザ・ニュースペーパーの元メンバーでもある。
来歴
ドリフ入りまで

鹿児島県鹿児島市吉野町で生まれ育ち、中学および鹿児島実業高等学校時代はバンド活動を行っていた。当初はベンチャーズに傾倒する音楽少年であったが、『8時だョ!全員集合』を見るようになって、ドリフに憧れ、音楽の要素の入ったお笑いを目指すようになる。

お笑い芸人を目指し1970年に上京する。当初は同郷のフランキー堺に弟子入りするつもりだったが、すれ違いが起こり弟子入りを果たせなかった。

その後、ドリフターズのバンドボーイ募集の新聞広告を見つけ応募するも、最終面接で落ちる。それでもと懇願したところ、加藤茶の運転手として採用される。
ドリフ時代

1972年頃、いかりや長介に弟子入りし、いかりやの付き人に昇格する。この頃、いかりやにより「すわしんじ」という芸名を与えられる[2]

ギターの奏術に長けていたが、ドリフターズの音楽活動では加藤茶が前に出られるようにドラマーを担当することもあった。

『全員集合』のコントでは、兄弟子の志村けんよりも先に舞台デビュー。「ブルース・リー物真似」など奇怪なキャラクターで人気を博す[1]。その他「鏡の写し像」、「幽霊」、「ハイトーンの馬のいななきにも似た笑い声」、志村加入後も『飛べ!孫悟空』の馬の役などの活躍を見せ、荒井注脱退後には芸能雑誌に「正規メンバーに昇格か」との予測記事が載せられることもあった。なお1975年6月10日の火曜ワイドスペシャルでのドリフターズ大逆襲では74年の全員集合における志村同様、ドリフ見習としてクレジットされている。

結局、正メンバーに昇格することなく、全員集合が終了した後1986年にフリーに[3][注釈 3]
ドリフ脱退後

ドリフ脱退後は、しばらく水道会社に勤めていた。そのサラリーマン時代に工事用の手押し車(猫車)ダンスのギャグを密かに開発し、芸能界に復帰した。復活後の芸名を「すわ親治」に変更する。コントグループ(正式には「劇団」)ザ・ニュースペーパーに参加。一時期はリーダー的存在でもあった。

1988年ファミっ子大集合』の司会でテレビに復帰した。その後、ザ・ニュースペーパーが話題となり『上岡龍太郎にはダマされないぞ』にレギュラー出演する。志村の誘いもあり『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』『志村けんのだいじょうぶだぁ』にもゲスト出演し志村と絡んでいた。

2001年NHK思い出のメロディー」でドリフが出演した際、彼も楽曲「ゴー・ウエスト」のコーナーに馬役で出演した(本名の諏訪園親治名義での出演)。また、いかりや長介の葬儀の際もドリフの正メンバー4人と一緒に棺を担いだ。

近年は政治風刺ライブ&冗談音楽の「他言無用」、そのリニューアルである「はだかの王様」を松崎菊也、石倉直樹とともに年に4回程公演、沢田研二主演の音楽劇に出演するほか、「すわ親治ひとりコメディ」、「下町ライヴ」などを行っている。

季刊『酒とつまみ』(酒とつまみ社発行)には「怪物コメディアンすわ親治の酒は体に悪いぞ?」(2007年12月発行第10号で9回目)を連載している。

2008年3月には自ら企画したCD『ヘバダバ/俺の翼』をリリースした。

2013年2月9日から3月30日まで時代劇専門チャンネルで放送した『料理昔ばなし ?再現!江戸時代のレシピ?』にレギュラー出演。毎回紹介される再現メニューで、その料理の腕前を披露している。

2020年3月29日の志村けん死去の時は「とにかく今は、ただただ、ご冥福をお祈りするとしか…。もう30年も志村さんとは会っていないですし、僕がメンバーを差し置いて何かお話しするのはね…」「昔からよく言われるんですけど、僕が“6人目のドリフ”だというのは、みなさんの間違いなんです。正しくは志村さんが先輩で、僕は志村さんの4年も後に入った後輩。だから、本当の6人目は志村さんなんです。僕はただの付き人ですから」「(すわが正式メンバーになれなかったことについて)いやいや、そんなことはありませんよ。順番からいっても志村さんだったし、何よりあのとき、僕自身は“ドリフに入りたい”とは思っていなかったですしね(笑)」とコメントした[4][注釈 4]
人物・エピソード

加藤の運転手を務めていたとき、あまりの運転の荒さに加藤の車をかなり傷つけていた(運転手から付き人に昇格するときに、加藤に白状)。ただし、多忙な加藤は車内ではずっと寝ていたため、すわから真相を聞くまでまったく気づいていなかったという。

すわの人気を高めたブルース・リー役ではあったが、その動きの激しさに腰を痛める。しかし、出番が減ることを恐れ、病院に通いながら出演を続けていた
[5]

すわのプロフィールでは「ドリフ見習い」と紹介されることが多く、また自らのことを「ドリフ見習い」だったと表現している。しかし、いかりやの著書によれば、正式な見習いでは無い(かつての志村の「ドリフ見習い」は会社員で言う試用期間)。

前記のとおり『全員集合』に出演したのは兄弟子の志村より先であった(志村はその当時マックボンボンを結成して芸能界デビューしていたため)。

ドリフ時代から仲が良かった志村に目をかけられていたことからギャグをレクチャーされ、コンビ相手に誘われたが、志村が偉大過ぎるという理由であえて断わったことがある。そして、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』や『志村けんのだいじょうぶだぁ』に志村の誘いでゲスト出演をしていた。志村は、すわのコメディアンとしての資質を、いかりや以上に高く評価している。すわと志村はコンビを組まずに居たが、志村の誘いを断ったことがピン活動の原点であると語っている。

師匠のいかりやからは2年ごとに「いよいよお前の出番だ、身辺整理をしとけ」とメンバー昇格をにおわす事をたびたび言われていた。しかしずるずると先延ばしにした結果、すわの活躍の機会を用意できぬまま、脱退に追い込んでしまったといかりやはひどく悔やんでいた[6]

すわによると、ドリフ付き人時代、志村はたいへんよく面倒をみてくれて、志村から頻繁に酒や食事をおごってもらったり小遣いをもらったりしたという。このことをネタにして志村とコントをしたこともある。

ギャグ・キャラクター

ブルース・リーのものまね

『全員集合』のコントの最中に脈絡も無く突然出現。「アチョー」という怪鳥音を発しながら加藤に襲い掛かり、加藤の手刀を受け、舌をレロレロと動かす。また、加藤のくしゃみにより倒れる。当初は衣装も本物を真似ていたが、途中からは全身白塗りで登場するようになる。

ネタの発案はいかりやで[7]、ブルース・リーのブームに乗ったギャグであったが、すわの知名度を高めた。


鏡男

主に志村けんとの絡みで、鏡に映る志村の動きをマネする。マルクス兄弟の映画「我輩はカモである」を真似ている。途中、志村がバナナを食べようとしたり、バレーボールを放り上げようとしたりするフェイントに引っかかってバレるというのが通例。


オカマキャラ

ドリフ大爆笑』で志村と「もしもオカマの不動産屋がいたら」を演じる。


太鼓叩き

ドリフ大爆笑』で「もしもやたら威勢の良い銭湯があったら」「もしもこんな床屋さんがあったら」(リクエストコントを除く)の太鼓叩きを演じる。


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