すみだトリフォニーホール
SUMIDA TRIPHONY HALL
外観
すみだトリフォニーホールは、東京都墨田区錦糸にあるコンサートホール。 1997年に開館した。大ホールと小ホールのほか、3室の練習室を擁している。新日本フィルハーモニー交響楽団のフランチャイズとなっている。すみだトリフォニーホールのシンボルマークのデザインは、CIデザイナーの稲吉紘実によるものである。 ホール独自の企画を実施しているほか[1]、「トリフォニーホール・ジュニア・オーケストラ」
概要
沿革
1966年 錦糸町駅貨物取り扱い廃止[3]
1986年5月 「錦糸町駅北口地区市街地再開発組合」設立 [3]
1988年3月 墨田区が「墨田音楽都市構想」を発表[4]
1988年7月 墨田区と新日本フィルハーモニー交響楽団がフランチャイズに関する覚書を締結[5]
1993年11月 着工 [3]
1997年10月26日開業[6]
1985年、新しい両国国技館の?落としとして、墨田区民が参加した「五千人の『第九』」が大成功を収め、墨田区は「音楽都市」を宣言して音楽専用ホールの建設を決定した[7]。また、墨田区は、音楽による文化都市づくりのため「墨田音楽都市構想」を定め、地元の音楽活動を振興するため、1988年新日本フィルハーモニー交響楽団とフランチャイズ契約を行い、墨田区文化会館(仮称、現すみだトリフォニーホール)を新日本フィルハーモニー交響楽団(新日本フィル)の活動拠点とすることとなった[7][5]。 すみだトリフォニーホールは、1997年10月26日に開館した[7]。小澤征爾が指揮するグスタフ・マーラーの新日本フィルハーモニー交響楽団による『交響曲第2番』で?落としが行われた[7]。なお、ホール開館時には、錦糸町駅にヘ音記号をイメージした金色のオブジェ「エコー」が設置された[8]。 すみだトリフォニーホールは新日本フィルハーモニー交響楽団とフランチャイズ契約を結んでいる[7]。新日本フィルハーモニー交響楽団は控え室、楽器倉庫、事務局、ホールを優先的に使用できるほか、練習から本番までを同じホールで行える[7]。すみだトリフォニーホールの広報宣伝担当チーフの新井伸也は「新日本フィルさんあってのホール。ここから音楽を発信して行くときにも新日本フィルさんを中心に考えていますし、常に先の企画を一緒に話し合っています」「『自分たちにしかできないことを突き詰めていこう』という姿勢も共通していると思います」と述べている[1]。 すみだトリフォニーホールとの契約以前、新日本フィルハーモニー管弦楽団は渋谷、高島平、荻窪、大久保などの練習所を転々としていた[9]。JR東日本の大井工場に練習場を借りていたこともあったが、フルート奏者の白尾彰はその練習場について「防音などないし、縦の線を揃える段取りを決めるのがやっと。音づくりは全然できませんでした」と回想している[7]。なお、白尾は1983年にスイス留学から帰国して新日本フィルハーモニー交響楽団に復帰しているが、「僕がいなかった間も楽団は本当に大変だったときいています。帰ってきた頃も練習場など定まっていませんでしたから……。今のようにホールで練習できて、熱心に聴いて応援してくださる人がたくさんいてくださるのは夢のようですね」とも語っている[7]。 なお、新日本フィルハーモニー交響楽団以外の団体・芸術家も登場しており、アルド・チッコリーニやミシェル・カミロが演奏したほか[1]、歌舞伎役者の尾上菊之助も登場している[10]。 原典子はすみだトリフォニーホールについて「熱心なクラシック・ファンのみならず、ふらりと立ち寄った風情の近隣住民も多数訪れる。都心のホールとはひと味違うアットホームな雰囲気と、抜群の音響が自慢のコンサートホールである」と評している[11]。
施設大ホール
大ホール
シューボックス型、定員1,801(オーケストラピット使用時1,601)のオーケストラ等大編成のクラシック音楽向けのホール。
小ホール
252席。23区内に所在する客席数200席前後のコンサートホールの中では、群を抜いて設備使用料が廉価であり、且つ音響面でもとても優れている。そのためか、アマチュア団体や大学等の音楽サークルが演奏会を開催することが頻繁にある。
設立の背景
新日本フィルハーモニー交響楽団との関係
評価
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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