この項目では、楽曲について説明しています。アルバムについては「すべての若き野郎ども (アルバム)」をご覧ください。
「すべての若き野郎ども」
モット・ザ・フープル の シングル
初出アルバム『すべての若き野郎ども』
B面新しき若者たち
リリース1972年7月28日[1][2]
規格7インチ・シングル
録音1972年5月14日[3]
(オリンピック・スタジオ)[3]
ジャンルロック、グラムロック
時間3分30秒
レーベルCBSレコード
作詞・作曲デヴィッド・ボウイ
プロデュースデヴィッド・ボウイ
チャート最高順位
3位(イギリス)[4]
37位(アメリカ)[5]
モット・ザ・フープル シングル 年表
ダウンタウン
(1971年)すべての若き野郎ども
(1972年)新しき若者たち
(1972年)
ミュージックビデオ
「All the Young Dudes」
「すべての若き野郎ども」(原題: All the Young Dudes)は、デヴィッド・ボウイがモット・ザ・フープルに提供した楽曲。1972年にシングル・ヒットした。ロック界のスタンダード・ナンバーの1つとして知られ、ロックの殿堂のスタッフや音楽評論家たちが選出した「ロックンロールを形作った楽曲」の500曲の中にも含まれている[6]。 モット・ザ・フープルにとって、CBSレコード移籍第1弾リリースとなったシングルである。イアン・ハンターがリード・ボーカルを担当。バンドは1969年にデビューして以来、シングル・ヒットに恵まれていなかったが、本作で初の全英シングルチャート入りを果たし、最高3位に達した[4]。またアメリカでも、シングルチャートで37位を記録しており、バンド唯一のアメリカでのヒットとなっている。 本作は、「ティーン(10代)の讃歌」や[7]、「グラムロックの讃歌」であると考えられている[8][9]。このグラムロック・バンドは異性愛者の集まりであるが、「ゲイ(同性愛者)の讃歌」とも考えられている[9][10]。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのルー・リードもそのように言っている[11]。しかしボウイ自身はかつて、この歌は実際にはよりダークな黙示メッセージを伝えるものであると主張した[3]。ボウイが『ローリング・ストーン』誌で応じたインタビューによると、アルバム『ジギー・スターダスト』収録の歌「5年間
解説
地球が終わるまでの時間は5年間だ。天然資源が枯渇することで世界は終わるだろうとアナウンスされた。ジギーは全てのキッズが望むものを手に入れることができる地位にいる。高齢の人々は現実とのあらゆる接触から逃避し、キッズは何でも略奪することを自己裁量に任された。ジギーはロックンロール・バンドをやっていて、キッズはもはやロックンロールを求めない。それを演奏する電力は無くなっている。ニュースが何も無いため、ジギーのアドバイザーは彼にニュースを集め、それを歌うように言った。だからジギーはそのようにし、恐ろしいニュースが存在している。「すべての若き野郎ども」は、このニュースについての歌だ。それは人々が考えているような若者の讃歌ではない。それは完全に逆だ。
この時期のヨーロッパは、冷戦下にありながらも一体化が進み、西ヨーロッパは石炭鉄鋼、経済、原子力の諸共同体を形成した。1971年に欧州評議会がベートーヴェン「歓喜の歌」を欧州の讃歌にするというリヒャルト・N. 栄次郎 "青山" クーデンホーフ=カレルギー伯爵(友愛をモットーにする政治活動家で「EUの父」)による提案の採択を決定し、1972年1月より欧州の讃歌が実施された。このような時代背景のもと、1972年3月、モット・ザ・フープルは解散の危機にあった。その危機に「すべての若き野郎ども」を提供したのがデヴィッド・ボウイである。その頃のデヴィッド・ボウイは各地の公演(ジギー・スターダスト・ツアー)でベートーヴェン「歓喜の歌」(Ode to joy)をオープニングに使用した[13][14]。ボウイが公演で使用した「歓喜の歌」は、ジギー・スターダストの重要なファクターである映画『時計じかけのオレンジ』のサウンドトラック(音楽: ウォルター・カルロス)である[15][* 1]。「すべての若き野郎ども」は「音楽の父」バッハが引き合いに出されることがあり[16]、「G線上のアリア」(管弦楽組曲第3番)はその好例である[7]。
「すべての若き野郎ども」提供前、ボウイは「サフラジェット・シティ」(Suffragette City)をモット・ザ・フープルにオファーしたが断られた。「すべての若き野郎ども」提供後、ボウイは新たに「ドライヴ・インの土曜日」(Drive-In Saturday)を提供するつもりがあったが、モット・ザ・フープルは「ホナルーチ・ブギ」がヒットしたため提供を断った[3][* 2]。