「杉山光一」、「杉山弘一」、あるいは「杉山孝一」とは別人です。
すぎやま こういち
2011年6月、「日本の未来を考えるシンポジウム」で講演
基本情報
出生名椙山 浩一
(すぎやま こういち)
生誕 (1931-04-11) 1931年4月11日
出身地 日本・東京都台東区[1]
死没 (2021-09-30) 2021年9月30日(90歳没)
学歴東京大学教育学部教育心理学科卒業(東京大学理科二類より傍系進学)[2]
ジャンル歌謡曲
アニメソング
ゲーム音楽
職業作曲家・編曲家・指揮者
担当楽器指揮
活動期間1950年代 - 2021年
レーベルSUGIレーベル
事務所スギヤマ工房
公式サイト ⇒sugimania.com
すぎやま こういち(本名:椙山 浩一〈読みは同じ〉[3]、1931年〈昭和6年〉[4][5]4月11日[1][6] - 2021年〈令和3年〉9月30日[7])は、日本の作曲家・編曲家・指揮者。日本作編曲家協会(JCAA)常任理事[5]、日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員、日本カジノ学会理事[8]、日本バックギャモン協会名誉会長、喫煙文化研究会代表。位階は従四位。 1931年、東京府[4][5]東京市下谷区(現在の東京都台東区)で、椙山庸吉、蔦子の長男として生まれる。父親の庸吉は1907年、奈良藩士の末裔である椙山家の人物と小学校教頭であった母の間の一人息子として神戸市に生まれ[9]、旧制大阪高等学校を経て東京帝国大学薬学部を卒業後、昭和薬科大学で教鞭を執り、1938年より愛知県庁の衛生技官を務め、1942年に厚生省本省に転じ、1952年に保安庁に出向したという経歴を持つ人物だった[10]。母親の蔦子は、1909年、大分県竹田市浄土宗のお寺の7番目の子として生まれ、6歳の時に養子に出された[9]。 祖母が子守唄として讃美歌を歌っていた[11]ことや、両親が音楽好きだったことから、幼少から音楽に親しむ。また両親がゲーム好きだったことから、物心がついたころから自身もゲーム好きだった[2]。 小学校時代は父の仕事の影響で引越しが多く、1年(東京市鷹番尋常小学校)[12]、2年 - 5年(清水尋常小学校)[12]、5年 - 6年(市川真間小学校)[12]と転校を繰り返す。名古屋に住んでいたころから鼻歌で作曲を始めるようになる。カール・ブッセの「山のあなた」にメロディをつけた[13]。 旧制の千葉県立千葉中学校(現:千葉県立千葉中学校・高等学校)に入学するものの[11]、戦況の悪化に伴い、大分県竹田市・岐阜県坂下町に疎開。戦後、東京に戻るが、食糧不足から壊血病になり死にかける[注 1]。この時期、父が焼け残った自宅の反物を持って、荻窪の駅前にあったレコード屋に行き、物々交換でベートーヴェンのレコード[2]やオーケストラの楽譜[11](交響曲第6番と第7番のスコア)を手に入れてきてくれたので、それを元に独学でクラシック音楽の勉強を重ねた。具体的には、「田園」のレコードを蓄音機で聴きながら、コントラバスのパートを声で一緒に歌った[2]。 旧制の東京都立武蔵中学校(現:東京都立武蔵丘高等学校。旧制の7年制高等学校である武蔵高等学校ではない。)2年に編入[12]。ここで青島幸男や砂田実と知り合い、青島とは生涯の親友になる。すぎやまが級長、砂田が副級長、青島が問題児という関係であり、退学寸前の大問題を起こした青島を砂田と共に職員会議に乗り込んで助けたことがある[14]。 1949年(昭和24年)に新制の成蹊高等学校に第1期生として入学すると、音楽部を創立した[15]。3年の時には戦時中に活動休止していた学内オーケストラを再組織し、指揮と編曲を務める[16]。このオーケストラには成蹊中学校の服部克久も参加(トランペット担当)。
生涯
生い立ち
中学?高校時代