この項目では、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲について説明しています。その他の用法については「じゃじゃ馬ならし (曖昧さ回避)」をご覧ください。
『じゃじゃ馬ならし』 オーガスタス・エッグ画.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}関連ポータルのリンク
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『じゃじゃ馬ならし』(英原題:The Taming of the Shrew)は、ウィリアム・シェイクスピアによる喜劇。シェイクスピアの初期の戯曲の1つであり、1594年に執筆されたと考えられている。
導入部分がついた枠物語としてはじまる芝居であり、この戯曲ではいたずら好きな貴人がクリストファー・スライという名の酔っ払った鋳掛屋をだまして、スライ自身が実は貴族なのだと信じさせようとする。この貴人はスライの気晴らしのために芝居を上演させる。
主筋はペトルーチオがかたくなで強情なじゃじゃ馬キャタリーナに求愛する様子を描くものである。最初はキャタリーナはこの関係に気乗りがしないが、ペトルーチオは食べさせない、眠らせないといったさまざまなやり方で相手を心理的に苦しめて、キャタリーナを望ましく従順でおとなしい花嫁にする。脇筋はキャタリーナの妹で「理想的な」女性に見えるビアンカをめぐる求婚者たちの争いを描く。この芝居がミソジニー的かそうでないかについては、とくに現代の研究者、観客、読者のあいだでも非常に議論がある。
『じゃじゃ馬ならし』は何度も映画、オペラ、バレエ、ミュージカルなどに翻案されている。最も有名なのはおそらくコール・ポーターの『キス・ミー・ケイト』と、エリザベス・テイラーとリチャード・バートンが主演した1967年の映画版『じゃじゃ馬ならし』である。1999年に作られた高校を舞台にするコメディ映画『恋のからさわぎ』もこの戯曲を翻案したものである。
登場人物2003年にフォレスト・シアターで行われたカーメル・シェイクスピア・フェスティヴァルの上演におけるペトルーチオ(ケヴィン・ブラック)とキャタリーナ(エミリー・ジョーダン) 。
キャタリーナ (ケイト)・ミノーラ - タイトルロールの「じゃじゃ馬」
ビアンカ・ミノーラ ? キャタリーナの妹
バプティスタ・ミノーラ - キャタリーナとビアンカの父
ペトルーチオ ? キャタリーナの婚約者
グレミオ ? ビアンカの求婚者
ルーセンシオ ? ビアンカの求婚者
ホーテンシオ ? ? ビアンカの求婚者、ペトルーチオの友人
グルーミオ ? ペトルーチオの召使い
トラーニオ ? ルーセンシオの召使い
ビオンデッロ ? ルーセンシオの召使い
ヴィンセンシオ ? ルーセンシオの父
寡婦 ? ホーテンシオが求婚している相手
教師 ? ヴィンセンシオのふりをする男
帽子屋
仕立屋
カーティス ? ペトルーチオの召使い
ナサニエル ? ペトルーチオの召使い
ジョセフ ? ペトルーチオの召使い
ピーター ? ペトルーチオの召使い
ニコラス ? ペトルーチオの召使い
フィリップ ? ペトルーチオの召使い
役人
導入部に登場するキャラクター 第1幕の前に、クリストファー・スライという名の酔っ払いを中心人物として、この芝居は「昔の出来事」であると解説する導入部分が語られる。スライは飲み代を払わないために酒場から蹴り出され、外で寝込んでいるところに悪戯好きの領主が通りかかる。この領主は、哀れな酔っぱらいに、スライ自身が領主であると思い込ませようと巧妙な悪戯を仕掛ける。その最中で劇中劇が演じられ、それが以下の部分となるが、この導入部分はあまり上演されない。エドワード・ロバート・ヒューズによる「じゃじゃ馬ならし」(1898) タイトルにもなっている「じゃじゃ馬」は、パドヴァの商人バプティスタ・ミノーラの長女カタリーナ・ミノーラを指している。彼女は極端に熱しやすい性格で、誰も彼女を制御することはできなかった。例えばある場面では、彼女は妹を椅子に縛り付けているし、別の場面では音楽の先生を楽器で殴りつけている。 対して、妹のビアンカ・ミノーラは美しくて大人しい性格で、街の貴族の男たちの人気者である。バプティスタはカタリーナが結婚するまではビアンカを結婚させないと誓う。ビアンカには何人かの求婚者がいたが、そのうちの2人が結託し、ビアンカを自由に取り合いできるよう、姉のカタリーナを結婚させてしまおうと画策する。一方の求婚者グレミオは年を取っていて陰鬱、もう一方のホルテンシオは若くて威勢がいい。 この作戦は、2人のよそ者ペトルーキオとルーセンシオが街に現れたことで複雑になる。ルーセンシオはピサの裕福な商人の息子で、ビアンカに一目ぼれする。一方ヴェローナの紳士ペトルーキオはお金しか眼中にない。 バプティスタがビアンカには先生が必要だと言ったとき、2人の求婚者がその願いをかなえるべく、競って先生を探す。グレミオは、ビアンカを口説く目的で知識人を装っていたルーセンシオに行き会う。ホルテンシオは自分自身で音楽家に変装し、音楽教師としてバプティスタの前に現れる。こうしてルーセンシオとホルテンシオは教師のふりをして、彼女の父に隠れてビアンカを口説こうとする。 その頃ペトルーキオは、カタリーナと結婚したときに持参金として手に入る広大な土地のことを求婚者たちから聞かされる。彼は乱暴者のカタリーナを口説き、彼女の意志は無視して、ケイトと呼び、結婚とその持参金を決めてしまう。と同時に、彼は新妻を「馴らし」始める。彼女から睡眠を取り上げ、食事をさせない理由をでっち上げ、美しい服を買い与えてはズタズタに切り裂いてしまう。カタリーナはその体験にあまりに動揺したので、ビアンカの結婚式のためにパドヴァへ戻ろうと聞かされたときには、あまりに幸せで返事ができないぐらいであった。彼らがパドヴァに着くまでに、カタリーナの調教は完了しており、もはや彼女はペトルーキオに逆らうことはなかった。彼女は、ペトルーキオがそうしろと言えば太陽を月と呼び、月を太陽と言って、完全に服従したことを示した。 (ルーセンシオが先生をしている間、彼の召使いが主人の振りをするといった複雑な挿話のあと)ビアンカはルーセンシオと結婚することになる。ホルテンシオはビアンカを諦め、金持ちの未亡人と結婚。宴会の間に、ペトルーキオは自分の妻を、以前は手が付けられなかったが今では従順だと言って自慢した。ペトルーキオは、それぞれの妻を呼びに召使いを遣って、妻が最も従順にやってきたものが賭け金を取るという賭けを申し出た。バプティスタは、じゃじゃ馬のカタリーナが従順になったとは信じなかったので、賭け金に加えて巨額の追加の持参金を申し出た。 カタリーナはただ一人呼び出しに応じて、ペトルーキオに追加の持参金を勝ち取らせた。劇の終わりに、他の2人の妻が呼び出された後、カタリーナは妻は常に夫に従うべきだという演説をする。 この戯曲の執筆年代を特定するための努力はなされているが、ほとんど同じプロットで台詞やキャラクターの名前が異なる A Pleasant Conceited Historie, called the taming of a Shrew (以下『ジャジャ馬ならし』と表記)という芝居があるため、確定が困難になっている[1]。『じゃじゃ馬ならし』と『ジャジャ馬ならし』の正確な関係はわかっていない。さまざまな説があり、『ジャジャ馬ならし』が『じゃじゃ馬ならし』の上演を記憶で再現したテクストであるという仮説、『じゃじゃ馬ならし』が『ジャジャ馬ならし』の原典ではないかという仮説、『ジャジャ馬ならし』が『じゃじゃ馬ならし』の初期原稿(おそらくは記憶で再現されたもの)ではないかという仮説、『ジャジャ馬ならし』が『じゃじゃ馬ならし』の翻案ではないかという仮説などがある[2]。『ジャジャ馬ならし』は1594年5月2日に書籍出版業組合記録に登録されている[3]。これは2つの戯曲の関係がどのようなものであれ、『じゃじゃ馬ならし』はおそらく1590年(シェイクスピアがロンドンに着いた頃)から1594年(『ジャジャ馬ならし』の登録の時期)までに書かれたことを示唆している[4]。 しかしもっと年代を絞ることも可能である。ト書きに「サイモン」 (Simon) への言及があり、おそらく1592年8月21日に埋葬された役者サイモン・ジェウェルを指していると考えられるため、『ジャジャ馬ならし』が書かれた可能性がある最も遅い時期は1592年8月であると考えられる[5]。さらにアンソニー・シュートの Beauty Dishonoured, written under the title of Shore's wife (1593年6月発行)に『じゃじゃ馬ならし』のケイトに言及したと思われる箇所があるため、『じゃじゃ馬ならし』は1593年より前に書かれたと考えられる[6]。じゃじゃ馬の戯曲2本ともに、著者不明の芝居『悪党を見分けるコツ』(A Knack to Know a Knave、1592年にローズ座で初演)に似た言葉遣いが見受けられ、また『じゃじゃ馬ならし』にしかないいくつかのパッセージを借用している。このため、『じゃじゃ馬ならし』は1592年6月より前に初演されたと考えられる[5]。 1982年のオックスフォード版シェイクスピア全集におさめられた『じゃじゃ馬ならし』について、H・J・オリヴァーはこの芝居は1592年までに書かれたと示唆している。これは『ジャジャ馬ならし』のタイトルページで、劇がペンブルック伯一座により「何度も」演じられたと書かれていることを基にしている。
クリストファー・スライ ? 酔っ払いの鋳掛け屋
居酒屋のおかみ
貴族 ? スライにいたずらを仕掛ける人物
バーソロミュー ? 貴族に使える小姓
猟犬係
役者たち
召使い
使者
あらすじ
執筆年代1631年に刊行された A Wittie and Pleasant Comedie Called The Taming of the Shrew の第一クォートのタイトルページ。