しまざき由理
[Wikipedia|▼Menu]

しまざき 由理
出生名(旧姓)嶋崎由理
別名嶋崎由理
島崎 由理
生誕 (1956-12-05)
1956年12月5日(67歳)
出身地 日本 愛知県名古屋市千種区
学歴東京女子体育大学
ジャンル歌謡曲
テレビアニメーション主題歌
職業歌手
活動期間1968年 - 1982年
2009年 -
レーベル日本コロムビア
配偶者あり
共同作業者菊池俊輔
公式サイトcolumbia.jp/shimazakiyuri

しまざき 由理(しまざき ゆり、1956年12月5日 - )は、日本の歌手である[1][2][3][4][5][6]。旧姓及び旧芸名は嶋崎 由理(読み同)[1][2][3][5]。島崎 由理の表記も用いられていた[5]日本コロムビア所属[1][3][4]。1970年代には小学館プロダクション(現在の小学館集英社プロダクション)に所属した時期もあるが[3][4]、現在はフリーランス[6]。『ハクション大魔王の歌』(1969年)、『みなしごハッチ』(1970年)、Gメン75『面影』(1975年)等で知られる[5][6]
概要

1956年(昭和31年)12月5日、愛知県名古屋市千種区に生まれる[1][3][4]

小学校6年生であった1968年(昭和43年)、フジテレビジョン視聴者参加番組日清ちびっこのどじまん』に出演、グランドチャンピオンになる[3][4][6]。当初は本名の嶋崎 由理で活動する[1][3]。同番組出身の少女歌手には、ほかに堀江美都子、小野木久美子(現在のかおりくみこ)、長谷川よしみ(現在の長谷川コッペ)がいる。このころキングレコードから『真夏の女の子』をリリースしている。

翌1969年(昭和44年)、フジテレビジョンの『紅三四郎』の2代目エンディング『夕陽の男』を山尾百合子とともに歌い、日本コロムビアから正式に歌手デビューした。

1970年(昭和45年)1月、『みなしごハッチ』の録音をしたとき、嶋崎は中学1年生で、ちょうど声変わりの時期だった[7]。その影響で声に艶がなく、最高音が伸びなかった[7]。竜の子プロダクション(現在のタツノコプロ)社長・吉田竜夫、同曲の作詞者・丘灯至夫が見守るなか、何度リテイクしても失敗し、嶋崎はとうとうトイレにこもって泣き出した[7]。その後、歌い直すと、声の艶がもどっており、一発でOKになった[7]。以来「泣かせるとうまく歌う」という評判がたった[7]

1975年(昭和50年)3月、菊華高等学校を卒業した。

同年4月、東京女子体育大学に進学する[3][4]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:38 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef