しばた はつみ
出生名柴田 はつみ
→ 細合 はつみ
生誕1952年4月11日
出身地 日本・東京都
死没 (2010-03-27) 2010年3月27日(57歳没)
静岡県伊東市
ジャンルポピュラーソング・ジャズ
職業歌手
活動期間1968年 - 2010年
レーベル日本コロムビア
公式サイト ⇒しばたはつみ 公式サイト
世良譲(ジャズピアニスト)
しばた はつみ(しばた はつみ、1952年〈昭和27年〉4月11日 - 2010年〈平成22年〉3月27日)は、日本の歌手。旧芸名ははつみかんな、麻まにか[1]。父はジャズピアニストの柴田泰[2]。身長157cm[2]。 東京都新宿区出身[2]。一人っ子[2]。父はピアニスト、母はヴォーカリストという音楽的に恵まれた環境に育った。松本伊代とは再従姉妹(はとこ)同士である[3]。9歳のころから米軍キャンプの将校クラブで歌い始め「スマイリー小原とスカイライナーズ」の専属歌手になった。67年、15歳のときにはファッション・メーカーのCMソングを歌う。また、丸善石油(現・コスモ石油)のCM『OH! モーレツ』(出演は小川ローザ)のCMソングも彼女が歌っている[3]。1968年に「はつみかんな」として「乙女の季節/B面:恋と海と太陽と」でビクターからデビュー。 数曲リリースの後はヒットに恵まれなかったが[2]、立正学園高等部卒業後、両親の許可がようやく下りた20歳から2年間アメリカで暮らす[2]。 帰国後、1974年に日本コロムビアから「しばたはつみ」としてシングル「合鍵」で再デビュー。その後、ジャズ、ソウル/R&B、ロック、ポップとあらゆるジャンルの歌を歌いこなすようになる。 70年代にはジャズピアニストの世良譲に師事。アルバム「ブルースを唄う女」(1975)も好評を博した。洗練された歌番組『サウンド・イン"S"』(TBS)にはサブ司会としてレギュラー出演。同番組の司会を務めた伊東ゆかりも小学生のころから歌手として歌っており、しばたはつみと境遇が似ていた。1977年、「マイ・ラグジュアリー・ナイト」がオリコンチャート17位のヒットとなり注目される[1][3]。同年、第28回NHK紅白歌合戦に初出場[4]。 以後、テレビ出演[5]のほか、ジャズヴォーカリストとしてライブ・コンサートを中心に活動する。日本だけでなく、アメリカほかの国々も含め、年間100ステージもこなす活発な歌手活動を展開した。 2010年3月27日、急性心筋梗塞で死去[3][4]。57歳没。 ※すべて7インチレコードにて発売。※しばたはつみ名義のシングルは、 ⇒MEG-CD でも発売されている。 #発売日A/B面タイトル作詞作曲編曲規格品番
経歴
賞歴
1968年 - 第1回新宿音楽祭 金賞(はつみかんな)
1975年 - 第1回スペイン・マジョルカ音楽祭 準優勝・シンパティコ賞
1975年 - 第4回中野サンプラザ音楽祭 審査員奨励賞
1975年 - 第4回東京音楽祭国内大会 ゴールデンカナリー賞
1975年 - 第4回東京音楽祭世界大会 銅賞・外国人審査員団賞
1977年 - 第9回テレビ大賞 特別賞『サウンド・イン"S"』
1981年 - 第10回東京音楽祭世界大会 最優秀歌唱賞
1996年 - 第12回日本ジャズヴォーカル賞 大賞
など多数
ディスコグラフィ
シングル
はつみかんな 名義
ビクターレコード