さらば宇宙戦艦ヤマト
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この項目では、アニメ作品について説明しています。本作を原作とする同名のゲーム作品については「宇宙戦艦ヤマトシリーズ (PlayStation)#さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」をご覧ください。
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さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち
FAREWELL TO SPACE BATTLE SHIP YAMATO IN THE NAME OF LOVE
監督舛田利雄
松本零士
勝間田具治(アニメーション監督)
石黒昇(テクニカルディレクター)
脚本舛田利雄
藤川桂介
山本英明
原案西崎義展
松本零士
舛田利雄
製作今田智憲(協力製作)
吉田達(プロデューサー)
横井三郎(製作担当)
長島正治(製作担当)
広岡修(製作担当)
製作総指揮西崎義展(企画も担当)
ナレーター広川太一郎
出演者富山敬
麻上洋子
仲村秀生
青野武
永井一郎
緒方賢一
神谷明
野村信次
安原義人
林一夫
ささきいさお
木村幌
伊武雅之
納谷悟朗
音楽宮川泰
主題歌沢田研二
ヤマトより愛をこめて
撮影相磯嘉雄
吉村次郎
編集千蔵豊
制作会社東映動画
製作会社オフィス・アカデミー
配給 東映洋画[1]
公開 1978年8月5日
上映時間151分
製作国 日本
言語日本語
配給収入21億円[2]
前作宇宙戦艦ヤマト
次作ヤマトよ永遠に
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『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(さらばうちゅうせんかんヤマト あいのせんしたち)は、1978年8月5日東映洋画系で公開されたアニメーション映画[3]

通称は「さらば」「さらヤマ」など。外国語表記は「Arrivederci Yamato」[4](アリーヴェデルチ ヤマト)[注 1]。2017年に『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』としてリメイクされている。
作品解説

テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』の続編(厳密には、本作を含めた続編は劇場版第1作の続編ではない)であり、「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」の第3作にして劇場版第2作。総集編だった劇場版第1作と異なり、完全新作のオリジナルストーリーである。1978年8月5日公開の夏休み映画として、全国133の映画館で封切りされた[5]。地球と白色彗星帝国の戦いを通じ、ヤマト乗組員たちの死が描かれる。

1977年公開の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の成功を受け、同年11月に本作の製作が決定した[6]。第1作のオフィス・アカデミーによる制作だと正月映画になってしまうため、夏休み公開を目指して制作能力の高い東映動画が制作に参加し[7]、東映動画は以降の昭和ヤマトシリーズの劇場版と『オーディーン 光子帆船スターライト』を担当することになる。脚本と絵コンテに4か月をかけ[6]、1978年5月24日に製作発表が行われた。配給を担当する東映の岡田茂社長は配給収入の目標を15億円としたが[8]それを上回り、前作の2倍以上の21億円とアニメ映画史上に残る大ヒットとなった。詳細は「#反響」を参照

監督は舛田利雄松本零士が共同で担当。本作では舛田の意見が随所に反映されており、特にクライマックスのシチュエーションは、彼の監督作である戦争映画『零戦黒雲一家』との類似性が指摘される[要出典]。本作で新たに登場する空間騎兵隊斉藤始は、舛田が発案したオリジナルキャラクターである[9]

主題歌の歌手には、一般の人気が高い沢田研二が起用された。当時はアニメに人気歌手を使うことは異例だったが、沢田が歌う「ヤマトより愛をこめて」はオリコンにもランクインするほどのヒットとなった。ヤマトのストーリー同様「箝口令」が敷かれ、レコーディングは録音スタジオ・サウンドシティーにおいて密かに行われた[10]。本作では他にもコスチュームデザイン協力にファッションデザイナーの花井幸子を起用する試みを行い、パブリシティに一役買っていた[11]

1978年5月の製作発表記者会見で西崎義展プロデューサーは「これで、ヤマトを最後にしたい」と語っており[12]、最後に表示される観客向けのテロップは、初公開時は「もう二度と姿を現すことはない」と明言したものであった。これは1979年夏のヤマトフェスティバルでの公開版以降、「あなたが生きる限りヤマトも生き続けるでしょう」という意味の文面に差し替えられている[13]。ビデオソフトやテレビ放送時は地上波、BS、CSを問わず差し替え版で、DVDでも初発売のLDサイズケースのものでは差し替え版だったが、後に発売されたものでは初公開時のテロップが再現されている。BDには両方が収録されており、どちらかを選択して再生できる。なお、このテロップは西崎の発案である。

本作の公開から2か月後の1978年10月14日には、ストーリーの大要が本作と同様であるものの結末は異なるテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト2』の放映が開始された。その後、シリーズの後発作品は本作ではなく、『ヤマト2』のストーリーを受け継ぐこととなる。

本作と『ヤマト2』の結末が大きく異なることについては、以下の2つの見解がある。

松本は(現実世界の)戦争の記憶の残る時期に発表された前作において「目的を果たし、生還する」というメッセージ性を強く意識しており、ゆえに彼は本作の結末が特攻を美化するとして良しとせず、「生き残って再建の苦しみを描くべき」と主張した。そのため、後に『ヤマト2』が製作されることになる[14]

一方、安彦良和によると、本作のヒットを受けて製作側は「もっと続編が作りたくなっちゃって、また生き返らせろというんですよ(笑)」ということになり、安彦は反対したものの主要登場人物たちが死亡しない内容に脚本が作り直され、それ以降の続編を制作することになった[15]

ヤマトの2代目艦長の土方役には当初、俳優の三船敏郎仲代達矢[注 2]が候補に上がっていたが、どちらも出演料が高額であることや西崎の方針で見送られたという[12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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