さまぁ〜ず
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バミューダ諸島の企業については「バカルディ (企業)」をご覧ください。

カクテルについては「バカルディ (カクテル)」をご覧ください。

その他の用法については「バカルディ」をご覧ください。

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出典検索?: "さまぁ?ず" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年3月)

さまぁ?ず
メンバー三村マサカズ
大竹一樹
結成年1988年
事務所ホリプロ
活動時期1989年4月 -
影響ビートたけし
タモリ
とんねるず
内村光良
出会い東海大学付属高輪台高等学校
旧コンビ名バカルディ
旧トリオ名しゃぶしゃぶ
現在の活動状況テレビ・ライブなど
芸種コント漫才
ネタ作成者両者
(大竹がネタの大半を書き、三村がツッコミを考える)
現在の代表番組レギュラー番組
Qさま!!
モヤモヤさまぁ?ず2
内村さまぁ?ず
スペシャル番組
名曲お宝音楽祭
内村&さまぁ?ずの初出しトークバラエティ 笑いダネ
過去の代表番組笑っていいとも!
リンカーン
さまぁ?ず×さまぁ?ず
同期爆笑問題
月亭方正
島田珠代
山田花子
松村邦洋
江頭2:50
三又又三 など
公式サイト公式プロフィール
受賞歴
2003年 ゴールデン・アロー賞芸能賞
2014年 ベストジーニスト協議会選出部門
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さまぁ?ず
YouTube
チャンネル

さまぁ?ずチャンネル

活動期間2020年8月12日 -
ジャンルバラエティ
登録者数57.5万人
総再生回数108,706,732回
事務所(MCNホリプロ
ジーヤマ
YouTube Creator Awards

登録者100,000人2020

チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002022-07-26-00002022年7月26日時点。
テンプレートを表示

さまぁ?ずは、ホリプロに所属する三村マサカズ大竹一樹からなる日本お笑いコンビ。キャッチコピーは「東のコント職人」。2人とも東京都墨田区押上出身。
メンバー詳細は「三村マサカズ」および「大竹一樹」を参照
三村 マサカズ(本名:三村 勝和〈みむら まさかず〉1967年6月8日[1])(55歳)
身長165cm、血液型A型。ツッコミ(ネタによってはボケ)・ネタのツッコミ作り担当、立ち位置は向かって右(たまに左)。強めのセクハラ担当でもある。
大秩B一樹(おおたけ かずき、1967年12月8日[1] - )(54歳)
身長170cm、血液型O型。ボケ(ネタによってはツッコミ)・ネタの原案作り担当、立ち位置は向かって左(たまに右)。ユルめのセクハラ担当でもある。妻はフリーアナウンサー中村仁美
来歴・人物
デビュー前

2人とも東海大学付属高輪台高等学校に単願推薦で入学し、2学年の時に同じクラスとなったことがきっかけで出会う[2]坂上忍も同級生だったが、2人と出会う前に中退しているため芸能界で初対面となった。

1988年5月、既に事務所からスカウトされていた高校時代の同級生に連れられホリプロの事務所へ見学に訪れたのがきっかけで、お笑いの道へ進むことになった。デビュー当初は元同級生・大竹・三村によるトリオ(トリオ名は『しゃぶしゃぶ』)を組むも、短期間で解散。後に東海大学文学部北欧文学科スウェーデン語専攻在学中に大竹が大学で知り合った友人を三村に紹介し、再びトリオを結成。だがその友人も程なくして脱退した。
バカルディ時代

1989年4月、ホリプロのお笑いライブに出演してコンビ『バカルディ(『バカルディー』の表記も混在[3])』として本格的な活動を開始。コンビ名の「バカルディ」は、ネタを考えていたときに着ていたバカルディのTシャツの文字が由来。また、ダブルミーニングとして日本語の「バカ」の意味も込められている[4]。同期に田口浩正小浦一優(芋洗坂係長)が組んでいたコンビ『テンション』等がいる[5]

1990年代前半、テレビ朝日『ザ・テレビ演芸』の審査員をしていた山藤章二の支持を受け(他の審査員はキリングセンスを支持していた)、関東期待の若手芸人としてテレビ・ラジオ等で活躍。同時期に人気を博したホンジャマカと共に当時の人気力士に準えて「お笑い界の」とも称され、各局にレギュラー番組を持った。しかし『大石恵三』がわずか半年で打ち切りになると1990年代半ば頃からメディア露出の機会が減少、不遇の時期を過ごす。当時『ボキャブラ天国』の出演を打診されるも大竹は断った。番組がヒットしてボキャブラブームが到来後に再度途中出演を打診されたが、「一度決めたことを今更変えられない」という思いを固持し番組終了まで『ボキャブラ天国』へ出演することはなかった。その後は主な活動の場を舞台へと移し、コンスタントにライブ活動を続けていた。
さまぁ?ず時代

2000年に出演した『新ウンナンの気分は上々。』(TBS系)の企画において、コンビ名を『さまぁ?ず』へ強制的に改名させられた(後述)。これをきっかけに再び世間の注目を受け始め、三村独特の「?かよ!」に代表されるツッコミ芸(通称「三村ツッコミ」)が認知され再ブレイク。これを足掛かりとして徐々に活動の場を広げていった。

2000年以後は人気が定着、お笑いブームの中でゴールデンタイムから深夜番組まで八面六臂の活躍ができる中堅芸人としてテレビを中心に活躍。舞台、書籍などでも活動している。

2003年、第41回ゴールデン・アロー賞芸能賞受賞[6]

2007年フジテレビNHKを除くキー局で新番組が開始するなど飛躍。深夜のレギュラーが多いことから「深夜の帝王」という異名を付けられた[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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