さとう宗幸
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さとう 宗幸
金蛇水神社花まつりにて(2022年5月7日)
基本情報
出生名佐藤 宗幸
生誕 (1949-01-25) 1949年1月25日(75歳)
出身地 日本 岐阜県可児市
学歴東北学院大学経済学部卒業
ジャンルシンガーソングライター
職業歌手ローカルタレント
事務所さとう音楽事務所
公式サイト ⇒公式ホームページ
ジョルジュ・ムスタキ

さとう 宗幸(さとう むねゆき、本名:佐藤 宗幸(読み同じ)、1949年1月25日 - )は、日本歌手俳優司会者。所属事務所さとう音楽事務所岐阜県可児市生まれ、宮城県古川市(現・大崎市)育ち。現在は宮城県仙台市泉区在住。東北学院大学経済学部卒業[1]。愛称は「宮城のじいじ」「宗さん」。

トレードマークのは、敬愛する歌手ジョルジュ・ムスタキを意識してのものである。宮城県出身のフィギュアスケート選手羽生結弦からは、宮城のじいじと称される。
来歴

1949年昭和24年)、岐阜県可児郡(現可児市内)に生まれる。

1951年(昭和26年)、2歳のときに、家族と共に宮城県古川市(現・大崎市)に転居。

古川市立古川中学校在籍中、ブラスバンドに所属してトロンボーンを演奏

宮城県古川高等学校在籍中、マンドリンクラブに所属。

東北学院大学経済学部在籍中、釣りクラブ、少林寺拳法クラブに所属。うたごえ喫茶『若人』で歌い始める。

1972年(昭和47年)、上京して(株)平和嶋(現・京急開発)に勤務。

1973年(昭和48年)、仙台に戻ってうたごえ喫茶『若人』でリーダー再開。

1976年(昭和51年)、アルバム『バラ色の人生』を自主制作

1977年(昭和52年)、NHK-FM仙台FMリクエストアワー」のDJを始める。

1978年(昭和53年)、「青葉城恋唄」でメジャーデビュー。これを機に拠点が東京に移る。

1981年度(昭和56年度)の1年間、「2年B組仙八先生」において、伊達仙八郎役で主演。

1986年(昭和61年)、法務省より保護司の任命を受けた。

1987年(昭和62年)、NHK大河ドラマ独眼竜政宗」で支倉常長役を務める。

1995年平成7年)、ミヤギテレビ夕方ワイド番組OH!バンデス」の司会となる。                   

歌手
青葉城恋唄詳細は「青葉城恋唄」を参照

学生時代から歌声喫茶ギター片手に歌い、セミプロフォークソング歌手であったさとうは、1977年昭和52年)4月からNHK-FM仙台「FMリクエストアワー」でDJを務めており、この番組にはリスナーから寄せられた詩に曲をつけて歌をつくるコーナーがあった。

同年6月、このコーナーから生まれたのが『青葉城恋唄』である。星間船一が仙台の街の美しい情景と切ない恋情を綴った詞にさとうが曲をつけたこの歌は、翌1978年(昭和53年)5月5日キングレコードから発売され、さとうのメジャーデビュー曲となった。また、それまでいわゆる「ご当地ソング」がなかった仙台市の後押しもあり全国的に大ヒット。同年、さとうは数々の音楽新人賞を獲得し、仙台を代表する曲のひとつとなった。

また、『青葉城恋唄』は、原作者承認の上、東北地方を拠点に活動する「CUZSICK」率いる「Mess→Age Crew」のアルバム『前略、未知の國から』収録の『青葉城恋唄21』で、ラップに改変された。変わりゆけどもなお美しき杜の都・仙台の情景と、現代の若者達の切ない恋を歌い上げ、今なお名作に新たな命を吹き込まれ歌い継がれている。

現在では仙石線あおば通駅及び東北新幹線仙台駅ホームの発車メロディにも用いられている。2016年6月までは、東北新幹線のホームではなく東北本線等の在来線ホームの1?8番線における発車メロディに用いられていた。
岩尾別旅情

1970年代北海道、特に知床半島を旅する若者にとって『岩尾別ユースホステル』は旅人に対する熱烈なもてなしの気持ちとサービスで格別の存在であった。さとう宗幸はその頃の『岩尾別』を象徴する人物。その当時作った歌が「岩尾別旅情」で、今でもローカルではカラオケの定番である。
みんなのうた

NHKみんなのうた』において、さとうは6曲を歌っている。

さとうが歌唱を担当した曲曲名作詞作曲編曲初回放送月
北の旅さとう宗幸さとう宗幸小野崎孝輔1978年8月 - 9月[注釈 1]
夕顔の里さとう宗幸さとう宗幸三枝成章1979年8月 - 9月[注釈 2]
土湯讃歌岩田唯男菅野栄小野崎孝輔1980年2月 - 3月[注釈 3]
風の向うにさとう宗幸さとう宗幸小野崎孝輔1981年4月 - 5月[注釈 4]
学校坂道西口ようこ西口ようこ若松正司1984年4月 - 5月[注釈 5]
はる なつ あき ふゆ[2]志賀大介大山高輝小野崎孝輔1989年10月 - 11月[注釈 6]

土湯讃歌

『みんなのうた』で1980年に披露した「土湯讃歌」は、土湯温泉にまつわる四季を歌った楽曲[3][4]

1978年秋にNHK福島放送局のカメラマン(当時)で、それまで作詞の経験がなかった岩田唯男(2015年死去[4])が作詞、同じくNHKのカメラマン(当時)の菅野栄が作曲した[5]。岩田が阿部義輔(2018年現在、川上温泉館主)と同行して土湯温泉周辺の自然を取材し、当時流行していた「青葉城恋唄」のような曲を作ろうとできた曲である[3][4]

同年10月、「土湯自然友の会」の例会で初披露された[3]。その後、NHK東北本部(当時、現:NHK仙台放送局)の沢井高徳アナウンサーがNHK-FM放送のローカル番組『オールラウンドリクエスト』『FMリクエストアワー』でさとうの歌で紹介したところ、1979年11月・12月の2か月連続でリクエスト1位、ピーク時には毎週、約1000通のリクエスト中150通を占めるほどになり[5]、ついには『みんなのうた』に採用されるに至ったものである[5]。但しレコード会社側の意向により当時はさとうの歌では発売されず、倍賞千恵子ダークダックスの競作で発売された[5]が、その後、さとうのアルバムに収録された。

「多くの福島県民が一度は耳にしたことがある曲」ともいわれる[3]1995年第50回国民体育大会(ふくしま国体)では入場行進曲に採用された[4]2016年には福島県福島市土湯温泉町に冬編の歌碑が建立され、これで春・夏・秋・冬編すべての歌碑が完成した[4]
その他

そのほかのヒット曲として、「萌ゆる想い(「2年B組仙八先生」主題歌)」「向日葵の頃」「地球岬」「おひさしぶりだねナゴヤ」(愛知・名古屋マイソング最優秀曲、石川ひとみとのデュエット。後年、芹洋子とのデュエットによるカヴァー版がCD化されている)「欅伝説」(「OH!バンデス」のエンディングテーマ)「妻ありて」「CALENDAR(カレンダー)」(庄野真代とのデュエット。仙台地区のCD売り上げ、および有線リクエストで上位にランクインした。オリジナル歌手は土居まさる)、「夢のつばさ」(東北楽天ゴールデンイーグルスの公式応援歌として制作された)などがある。

澄んだテノールの声質と、並外れた歌唱力は、安らぎと暖かさを多くの人に提供して余りあり、シャンソンや叙情歌をもレパートリーにできる実力も兼ね備えているが、オリジナル曲は比較的少なく、現在は、司会を務める「OH!バンデス」で、ギターを手にして歌うレギュラーコーナー、地元でのイベントや全国各地でのコンサートなどを活動の中心に据えている。

2012年5月23日にリリースされたNHK東日本大震災復興応援ソング『花は咲く』(花は咲くプロジェクト)に、ボーカルとして参加している。
俳優

「青葉城恋唄」のヒットをきっかけに全国区の人気者となり、ドラマにも出演するようになった。

2年B組仙八先生」では伊達仙八郎として主演し、生徒役を務めた薬丸裕英本木雅弘布川敏和(この3人は後にシブがき隊としてデビューし、人気アイドルとなる)・三田寛子らと共演した。また、NHK大河ドラマで歴代1位の視聴率を得た「独眼竜政宗」では、支倉常長を演じた。

1992年、関西テレビ制作のドラマで主演したのを最後に、2018年まで俳優活動は行っていなかったが2018年夏に仙台で撮影され2020年1月に公開された映画「ラストレター」に俳優として久々に出演した。
司会者・ローカルタレント

1990年代までは東京と仙台での往復しながら歌手活動のほか、俳優としても活動していた。

1990年平成2年)1月6日から9月29日まで、毎週土曜昼に仙台放送スーパーSAT」で司会を担当し、宮城県でのレギュラー番組を持った。

1995年(平成7年)、地元仙台に戻り、夕方ワイド番組の「OH!バンデス」(ミヤギテレビ)の司会となる。番組は高視聴率を獲得し続けており、いまや宮城県では司会者「宗さん」として定着し、東北地方全体でも、伊奈かっぺい(1年先輩)と並ぶ著名なローカルタレントとなっている。

東北楽天ゴールデンイーグルスの名誉ファンクラブ会員(会員No.4)として、創立1年目は応援歌「夢のつばさ」(作詞:さとう宗幸、作曲:元WANDS木村真也、編曲:葉山たけし)も制作・発売するなど活動したが、田尾安志監督の1年での解任に激怒。「1年で何が分かるのか?」と独善的な発言が目立った三木谷浩史オーナーの態度に失望して名誉ファンクラブ会員を退会した。しかし、2006年(平成18年)3月28日の楽天-オリックス戦(ホーム開幕戦)で国歌独唱を担当したり、2007年(平成19年)には「OH!バンデス」の企画で楽天の寮と2軍練習場を訪れ、選手を激励をするなど、楽天イーグルスの一ファンとしては変わらず応援している。2013年9月の楽天初優勝に際しては、喜びの言葉がマスコミで報じられている[6]同年の日本シリーズ第1戦では、試合開始前の国歌斉唱を担当し、「ファン冥利に尽きる」とコメントした[7]

1999年(平成11年)にサッカーJ2のベガルタ仙台・市民後援会が発足した際に後援会会長に就任し、年1回シーズンオフに発行されるメモリアルデータブック「カントリーロード」に毎年コメントを発表している。

伊奈かっぺいに出した年賀はがきのくじが、1等に当選し、佐藤家[注釈 7]ノートパソコンに引き換えられた。


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