さっぽろ雪まつり
[Wikipedia|▼Menu]

さっぽろ雪まつり
Sapporo Snow Festival
大通会場全景(第58回・2007年2月12日)
イベントの種類
開催時期原則2月5日 - 11日
(実行委員会が前々年12月に決定[1]
初回開催1950年2月18日
会場大通会場、すすきの会場、つどーむ会場
主催札幌市、社団法人札幌観光協会、札幌市教育委員会札幌商工会議所
後援北海道、社団法人北海道観光振興機構
北海道新聞社ほか道内各新聞社
HBCSTVHTBUHBほか道内各放送局
協力陸上自衛隊北部方面総監部
陸上自衛隊第11旅団
運営さっぽろ雪まつり実行委員会
出展数雪氷像160基(2023年)[2]
来場者数175万人(2023年)
最寄駅札幌市営地下鉄大通駅東西線西11丁目駅(大通会場)
南北線すすきの駅中島公園駅)・東豊線豊水すすきの駅(すすきの会場)
東豊線栄町駅(つどーむ会場)
直通バスシャトルバス(つどーむ会場)
駐車場一般車両の駐車場は無し
公式サイト
備考:
実行委員会経費:約2億2,900万円(2014年)[1]
経済波及効果:419億円(2014年)[1]
テンプレートを表示
小雪像と電飾された樹木(第58回・2007年2月2日)氷像とさっぽろテレビ塔(第57回・2006年2月9日)大通会場のスキージャンプ台(第58回・2007年)

さっぽろ雪まつり(さっぽろゆきまつり、Sapporo Snow Festival)は、北海道札幌市中央区内の大通公園をはじめとする複数の会場で、毎年2月上旬に開催されると氷の祭典である。雪で作られた大小のの展示が中心となるが、すすきの会場を中心に氷像(氷彫刻)も展示される。

札幌市[3]、札幌商工会議所、市内の企業・団体などから構成される「さっぽろ雪まつり実行委員会」によって企画・運営されている。

北海道内のみならず、日本全国や海外から、およそ200万人もの観光客が訪れる、北海道で最も大規模なイベントの一つである。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}「世界三大雪まつり」は、さっぽろ雪まつり(日本)、ケベック・ウィンター・カーニバルカナダ)、ハルビン氷祭り中国)であると言われている[要出典]。
歴史
雪まつりの始まり

1950年に札幌観光協会と札幌市の主催によって開催されたことが雪まつりの始まりである。企画には後援者の一員に名を連ねた北海タイムスが深く関与していた。これ以前に札幌には冬の祭がいくつかあったが、第二次世界大戦中に途絶えていた。

雪像を作る祭のアイデアは、小樽市北手宮尋常小学校(のち小樽市立北手宮小学校(2015年度で閉校))で、1935年2月から学校行事として始まった雪まつりからとられた[4]

最初のさっぽろ雪まつりでは、市民の雪捨て場となっていた大通公園の7丁目に、札幌市内の中学校2校・高等学校3校の生徒が、美術科教諭の指導の下に、計6基の雪像を制作した。他に日本国有鉄道(国鉄)札幌鉄道管理局が雪まつりに合わせて、札幌駅前に雪像を作った。

その他の催しとしては、歌謡コンクール、タンブリングスクエアダンス、演芸大会、犬橇レース、スキー仮装行列、映画『銀嶺の果て』の上映などがあった。スクエアダンスは凍った地面により転倒する負傷者が出て、開始から30分で中止になった。映写会でも足を滑らせた観客が、映写台を押し潰してしまい中止になった。しかし、祭は盛況で翌年以降も継続することになった。
雪まつりの発展

初期の雪まつりで雪像を作ったのは、札幌の中学校・高等学校の生徒で、その数は5, 6基であった。当初は雪像の高さが7メートルを限度としていたが、1953年の第4回で、北海道札幌伏見高等学校(現:北海道札幌工業高等学校)が、高さ15メートルの大雪像『昇天』を制作した。雪の塊を石材のように積んだアーチ状構築物の上に立像を建てたもので、大量の雪が必要であったため、市はトラックブルドーザーを導入して準備にあたった。これは現在のような機械力を用いた大規模な雪像づくりの端緒となった。

1954年の第5回からは市民制作の像が加わった。1955年の第6回には、陸上自衛隊、商社、市の出張所が加わり、様々な参加者による多数の像が並ぶスタイルが定着した。しかし、高校生による雪像製作は同回で打ち切りとなった。

1959年の第10回あたりから、雪まつりを目当てに道外から訪れる観光客が増え始めた。札幌オリンピックがあった1972年の第23回には世界的に雪まつりが紹介され、これ以降は海外からの観光客も目立つようになった。1974年の第25回には折からのオイルショックの影響で、雪運搬用のトラックの燃料が十分に確保できず、雪像の中にドラム缶を詰めて乗り切った。

同じ1974年の第25回からは、国際親善を目的に、海外都市の派遣による「国際雪像コンクール」が始まっている。第1回の参加は、カナダアメリカ合衆国フランス南ベトナム大韓民国日本の6チームで、その後参加チームは増加し、1998年(第49回雪まつり)の第25回コンクールでは20チーム、合計80名もの選手が参加した[1]

「すすきの氷の祭典」(現:すすきのアイスワールド)は雪まつり開催に合わせた独自のイベントとして1981年から始まったが、1983年の第3回より雪まつりの会場の一つとして組み込まれている。

1986年の第37回からは、それまで12月上旬から1月上旬まで、大通公園を中心に行われていた夜間電飾イベント「ホワイトイルミネーションさっぽろプラザ」(現:さっぽろホワイトイルミネーション)の開催期間が2月の雪まつり閉幕まで延長され、日没後にも雪氷像鑑賞を楽しめるようになった。

1987年の第38回からは原則2月5日から11日までの1週間開催となり、全国ニュースでも大きく取り上げられるようになる。さらにこの時期から、民放テレビ局が、開催中の土曜日や日曜日に、特別番組を全国放送するようになる。

1990年の第41回から、中央区の中島公園が第4の会場として加えられたが、1992年の第43回をもって廃止された。3回限りで廃止された要因として、中島公園会場は市民制作の雪像がメインであったため、大雪像が少なく集客力に欠けたことが挙げられる。
陸上自衛隊の協力

陸上自衛隊北部方面隊は「野戦築城訓練」の名目で雪まつりの雪像製作に協力している[5]。陸自が大通公園で雪像製作を最初に行ったのは1955年の第6回で、第101通信大隊(現在の北部方面通信群の前身)が高さ10メートルの聖母マリア像『栄光』を制作した。

1954年に開設された陸上自衛隊真駒内駐屯地では、隊員のレクリエーションと(野戦)築城訓練も兼ねて駐屯地内に雪像を作り、1956年より第7混成団(→第11師団)の隊内で雪像コンクールを行っていたが、1963年には雪まつりに合わせて、真駒内駐屯地を一般開放して「真駒内スノーフェスティバル」を催した。これもまた雪像を中心にしたもので、実質的に雪まつりの真駒内会場として機能した。1965年の第16回から真駒内の祭典は、正式に雪まつりの一部になった。

これ以降は、人員と機材を持ち、年々ノウハウも蓄積した陸上自衛隊が、雪像製作の主役となる。後には大雪像のほとんどが陸自の製作か陸自の協力を仰いでの製作になった。

しかし、2001年テロ対策特別措置法の施行後、陸上自衛隊の協力体制は大きく縮小されることになった。大通公園の大雪像は陸自の担当する数が削減され、長い間親しまれた真駒内会場は2005年の第56回をもって廃止された。

「陸自が担当する雪像数の削減」の理由は、製作の主力となる第11師団の部隊縮小(2008年3月に旅団に改編)で、製作にまわす人的余裕が減ったためである。「真駒内会場の廃止」の理由は、旅団化による規模縮小に加え、アメリカ同時多発テロ以降は、不特定多数の人々に駐屯地を開放することがテロへのリスクを高めることに繋がりかねないという懸念からである。これ以降は、会場への入場希望者に対し事前に審査を行い、問題がない者のみが真駒内会場への入場を許可される入場制限制がとられたが、最終的には会場の廃止となった。

現在、陸自が大通公園で制作する大雪像は5丁目会場と同7丁目会場の2基である。それ以外の民間が担当する大雪像は、長年の経験を持つ自衛隊OBの協力の下に、民間企業・地域住民などによる共同作業にて制作している。
現在の雪まつりと課題

大通会場の一部の大雪像の製作やつどーむ会場の雪像製作、会場運営は札幌市からの職員派遣のほか、市民ボランティアの参加も募っている。道外からのボランティアの参加も少なくないが、人員の流動性が高く、謝礼(共通ウィズユーカードの配布)を取りやめたこともあり、公募しても定員に達しないなど減少傾向にある。

雪まつりシーズンに合わせて、札幌近郊の宿泊施設の料金を1年で最も高く設定したり、飲食店が「特別メニュー」と称して実質値上げを行うなど、雪まつり期間中の「便乗値上げ」(雪まつり価格)も長年の問題となっている[6]。近年はかつてほどの値上げは鳴りを潜めつつあり、宿泊施設の料金も「初夏のオンシーズンと同程度の料金」にまで落ち着いているとする見解もある[7]

さらに景気の低迷や地球温暖化などの影響も受けており、1990年代後半に入ると、民放各局で全国放送されていた雪まつり特別番組が姿を消したが、2017年の第68回で雪まつり特番がNHKラジオにて事実上復活した。2010年の第61回では、スポンサー減少などの影響で、全会場で展示される氷雪像が前年比で44基減少したほか、札幌テレビ放送(STV)が長年単独で運営していた大通西10丁目会場から撤退し、大通西4丁目会場を読売新聞北海道支社と共同で運営した(その後読売新聞が撤退)。近年は会場に企業の宣伝ブースやPRキャラクターの雪像が増える一方で、市民が参加できる「市民雪像」は高い抽選倍率にもかかわらず数が減らされ、2000年ごろに160基程度あったものが、2016年に80基まで半減されている。

また、2013年以降、右派系市民団体「在日特権を許さない市民の会」(在特会)のメンバーなどが、雪まつりシーズンを含め、1年を通して会場周辺で韓国人への中傷などのヘイトスピーチを伴うデモ活動や街頭宣伝を行っており、札幌観光協会は「国際都市、多文化共生を掲げる市のプロモーションに悪影響を及ぼす可能性もある」として警戒を強めている[8]

2020年12月10日、札幌市長の秋元克広は、新型コロナウイルスの感染拡大が続いていることを理由に、2021年2月開催予定であった第72回目の開催を見送り、オンライン開催する意向を発表した。来場型としての中止は史上初である。なおこの年は本来は「第72回」として行う予定だったが、この年は回次表示をせず、実質「第72回」は1年延期の形をとった。

2022年の雪まつりについては、コロナの感染再拡大を予防する観点から、2021年11月26日に大通り公園会場の1 - 7丁目のみに会場を集約し(大通り公園8 - 11丁目と、すすきの、つどーむの各会場は2021年度に引き続き中止)、目玉となる大雪像は作らず、また飲食・物販など協賛各社提供のブース・展示なども行わず[9]、中小規模の雪像を10基程度(大通り公園4 - 7丁目)[9]とイルミネーションの点灯(ただし、雪まつり自体が中止になってもイルミネーションは点灯する予定)に特化した通過鑑賞形式と、会場の様子をインターネット中継で上映するハイブリッド型で行うことを決定(ただし、今回の開催正式決定後においても、感染拡大などが発生した場合は開催中止や規模縮小を再検討すること、また規模縮小の内容を表現する副題を付けることも検討するとしていた)[10]。このように規模縮小ながら会場に雪像を設けて鑑賞してもらう形での開催は2年ぶりとなる予定だった。

当初設置が予定されていた大通り公園会場の雪像には、「テアティナー教会」を再現したものを中心に、漫画「呪術廻戦」「僕のヒーローアカデミア」などのキャラクター雪像、さらに初音ミクの雪まつりバージョン「雪ミク」や、2023年から北海道日本ハムファイターズ専用球場として使用する予定であるエスコンフィールド北海道を再現したものなどを含め10基程度を公開する予定になっていた[11][12]

2022年1月に入り、既に雪の輸送や雪像制作に取り掛かるも、雪像搬送の開始式典は中止。陸上自衛隊の雪像づくりへの参加も行わないなどの中で準備が進められていた[13]が、新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」の感染が急拡大しており、札幌市長・秋元克広は実行委員会に対し、1月14日に開催規模の再縮小やオンライン開催への特化などを含めて再検討を要請、「今後感染者や病床使用率がさらに上昇する恐れがあり、現状では全国から多くの観客が予想される大規模イベントを行うことは困難な状態」として、1月19日、正式に大通り会場の雪像展示を含めた、会場展示型のイベントを完全中止し、オンライン開催のみとすることが発表(ただし「第72回」の回次はそのままオンライン開催のみでも生かされる形とする)され、来場型としては2年連続の中止となった。すでに大通り会場で製作中だった雪像も完成させずに撤去・解体され、代わって「雪ミク」など当初大通り会場に設置が予定されていた中小規模の雪像の一部を、羊蹄山展望台など札幌市内各地(羊蹄山以外は会場非公表、かつ原則入場不可)に設置、ないしはバーチャル大通り公園会場で公開[14]し、その製作工程と作品を2月5 - 28日にオンライン上映した[15][16]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:67 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef