さいとう・たかを
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さいとう・たかを
2017年撮影
本名齊藤 隆夫
生誕 (1936-11-03) 1936年11月3日
日本和歌山県和歌山市[1]
死没 (2021-09-24) 2021年9月24日(84歳没)
日本東京都[1]
職業漫画家
称号紫綬褒章
旭日小綬章
活動期間1955年 - 2021年
ジャンル劇画
代表作『ゴルゴ13
鬼平犯科帳
受賞第21回:小学館漫画賞青年一般部門
第50回:小学館漫画賞審査員特別賞(いずれも『ゴルゴ13』による)
和歌山県文化表彰文化賞
第23回:手塚治虫文化賞特別賞
公式サイトさいとう・プロダクション公式サイト
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さいとう・たかを(本名:齊藤 隆夫〈さいとう たかお〉[1]1936年昭和11年〉11月3日 - 2021年令和3年〉9月24日)は、日本漫画家[注 1]和歌山県和歌山市生まれ、大阪府堺市出身[2]東京都中野区岩手県花巻市在住。

貸本漫画時代に劇画の分野を確立した人物の一人であり、一般漫画の世界に転向後も『ゴルゴ13』をはじめとする数々のヒット作品を生み出した、劇画界の代表的人物である。また「さいとう・プロダクション」を設立し、各スタッフの分業体制により作品を制作するという方式を確立した。
来歴
少年時代

1936年昭和11年)、5人兄弟の末子として和歌山市に生まれるが、生後まもなく転居し、のちに大阪府堺市に移り住む。さいとう自身は43歳になるまで和歌山で生まれたことを知らなかった[3]

父親はさいとうが幼い時に家を出たため、母親が理髪店を営みながら女手一つで子供5人を育てた[4]。小さい頃は図画工作(美術)科目とケンカが得意の、いわゆる不良少年であり、将来の夢はボクサー画家になることであった。中学時代には府の絵画展で金賞を獲得している。

1950年に堺市立福泉中学校を卒業し、実家の理髪店で働き始める。当時は漫画に興味がなく将来の夢は挿絵画家だったが、挿絵業界は今後狭まっていく、あるいは自分の考えている方向とは違う方に行くだろうという漠然とした不安感[5] から、当時はまっていた映画進駐軍が持ち込んだ「10セント・コミックス」に影響を受け[6]ストーリー漫画を志す。

同時期に手塚治虫(同じ誕生日でもある)の『新寶島』を見て衝撃を受け、「紙で映画が作れる!」と興奮したという[4]。当時のさいとうは手塚の影響を受け、柔らかなタッチの絵を描いていた。
貸本漫画家デビュー

1952年には家業である理髪店を姉と継ぐが、1955年に仕事の合間に2年近く掛けて描いたストーリー漫画『空気男爵』を、大阪の貸本出版社日の丸文庫に持ち込む。等倍の紙に漫画を描いたため、社長の山田秀三にダメ出しされるが、一年かけて書き直し、デビューが決まる。それ以降、日の丸文庫の看板漫画家として単行本を次々と発表する。

1956年には漫画に専念するために家業の理髪店を辞めるが、母親は激怒して漫画を親の仇であるかのごとく嫌うようになった。さいとうによれば、自身が漫画家として大成した後も「母親は漫画家という職業を死ぬまで嫌い、病床に置かれた僕の本に一度たりとも触れなかった」と述べている[7]

同年には、辰巳ヨシヒロ松本正彦らと同じアパートで共同生活を送りながら漫画を描き始めた。当時、さいとうは高校生だった川崎のぼるをアシスタントとして働かせていたが、さいとうの人使いが荒かったことから、川崎は早々に逃げ出している。
上京・劇画工房誕生

1958年(昭和33年)先輩漫画家の久呂田まさみに連れられて上京、東京都国分寺市のアパートに居を構える。1959年、国分寺に居住していた日の丸文庫系劇画家のさいとう・たかを、辰巳ヨシヒロ、石川フミヤスK・元美津桜井昌一山森ススム佐藤まさあき松本正彦ら8人で劇画制作集団「劇画工房」が結成される。人気劇画家の制作集団とあって貸本出版社からの執筆依頼が殺到して多数の貸本劇画短編集を出版するが、組織論や仕事配分、ギャラの分配などで揉め、翌年1960年春に劇画工房は短期で分裂した。
さいとう・プロダクション設立

「劇画工房」の分裂後、佐藤まさあきや川崎のぼる、南波健二ありかわ栄一ら、ガンアクション系の劇画家5人で新・劇画工房の設立を計画するが、頓挫。その計画を元に1960年(昭和35年)、東京都国分寺市に自らの漫画制作会社「さいとう・プロダクション」を設立した。さいとうの組織論に共鳴していた石川フミヤスらがスタッフに加わり、さいとうの兄の斉藤發司がマネージャーを務めることになる。以後、多数の貸本劇画を出版する。中でも『台風五郎』はシリーズ化され人気を博した。

1962年(昭和37年)、貸本劇画家有志と「劇画集団」を設立。メンバーはさいとう・たかを、横山まさみち永島慎二、南波健二、石川フミヤス、ありかわ栄一、旭丘光志、都島京弥、いばら美喜山田節子武本サブロー影丸譲也、他。もっとも、この団体は漫画制作を目的とした新・旧劇画工房とは違い劇画家の親睦のための団体であり、一般読者会員にも会報などを発行していた。
一般漫画誌に進出?ゴルゴ13の大ヒット

貸本業界が傾き始めた1963年ボーイズライフ連載の『007』のコミカライズを機に一般漫画誌に本格進出。1967年には時代劇アクション劇画『無用ノ介』(『週刊少年マガジン』)を連載。劇画路線の『マガジン』を代表するヒット作となった。

その後、1968年(昭和43年)10月より連載開始の『ゴルゴ13』(『ビッグコミック』)は、さいとうにとっての代表作であり、日本の「劇画」の代名詞となる。『ゴルゴ13』は現在も連載中の長寿漫画であり、1976年(昭和51年)1月に1975年度小学館漫画賞の青年一般部門、2005年平成17年)1月に2004年度小学館漫画賞の審査委員特別賞を受賞し、2021年令和3年)7月には「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」としてギネス世界記録に認定された[8]
2000年代以降の活動

21世紀に入ると『ゴルゴ13』『鬼平犯科帳』『仕掛人・藤枝梅安』の3作の長期連載を軸に活動、大ベテランとなっても月産150ページ以上の旺盛な執筆活動を展開した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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