さいたま市立宮原中学校
さいたま市立宮原中学校(さいたましりつ みやはらちゅうがっこう)は、埼玉県さいたま市北区宮原町にある公立中学校。 校歌は宮沢章二作詞、大中恩作曲。 JR東日本高崎線宮原駅東口から徒歩約20分。ニューシャトル(埼玉新都市交通伊奈線)吉野原駅から徒歩約15分。東武バスウエスト「大51系統上尾駅東口行き」・「大53系統吉野町車庫行き」・「宮06系統工業団地循環」・「宮01系統原市団地循環」・「大51・大53系統大宮駅東口行き」で「宮原4丁目」停留所(バス停)下車約徒歩5分。
シンボル
沿革
1947年(昭和22年) - 4月1日大宮市立第五中学校設置認可。5月3日開校式、本校は宮原小、分校は大砂土東小を借りる[1]。
1949年(昭和24年) - 大宮市立宮原中学校へ改称(分校が大砂土中として独立開校することに伴う)
1950年(昭和25年) - 校舎落成。
1951年(昭和26年) - 校庭植樹。
1957年(昭和32年) - 校庭南部敷地1,000坪を返地。
1961年(昭和36年) - 女子生徒の標準服制定。
1962年(昭和37年) - 校歌制定。開校15周年記念式典。2階建4教室の校舎増築。
1964年(昭和39年) - 技術科教室落成。
1966年(昭和41年) - 体育館新築。
1967年(昭和42年) - 調節式鉄棒・砂場新設。花壇砂利止めの為のブロック工事。
1968年(昭和43年) - 技術科教室移転。
1969年(昭和44年) - 家庭科教室新築。
1970年(昭和45年) - 開校20周年記念式典。
1973年(昭和48年) - 鉄筋4階9教室増築。
1974年(昭和49年) - 体育館用物置、便所新設。開校25周年記念式典。
1977年(昭和52年) - 鉄筋11教室の北校舎(第二期)竣工。
1979年(昭和54年) - プール完成。
1980年(昭和55年) - 鉄筋4階13教室の北校舎増改築(第三期)竣工。
1981年(昭和56年) - 鉄筋4階4教室 管理室の南校舎(第四期)竣工。創立30周年記念歌碑建立。
1982年(昭和57年) - 玄関前造園完成。
1985年(昭和60年) - 鉄筋2階4教室・配膳室の新校舎竣工。
1989年(平成元年) - 新体育館完成。創立40周年・体育館落成記念式典。
1992年(平成4年) - コンピュータ室完成。
1993年(平成5年) - 武道場完成。
1994年(平成6年) - 中庭浸水アスファルト完成。
1996年(平成8年) - 同校出身の宇宙飛行士若田光一の宇宙飛行記念モニュメント建立。
1998年(平成10年) - 創立50周年記念式典。
1999年(平成11年) - 25年前のタイムカプセルの開扉式。
2001年(平成13年) - 浦和市、与野市との合併に伴いさいたま市立宮原中学校に改称。
2004年(平成16年) - 自校給食棟完成。
2007年(平成19年) - 市教委「心の教育モデル地域事業」委嘱。
2008年(平成20年) - 創立60周年記念式典挙行。
2009年(平成21年) - 5月26日、同校会議室にて当校生徒11名が代表となり、国際宇宙ステーション滞在者の若田光一宇宙飛行士とARISSスクールコンタクトと称される無線交信を行った[2]。会場では約60名の生徒のほか、その保護者も来場した。
2018年(平成30年) - 創立70周年記念式典挙行。
著名な卒業生
若田光一(宇宙飛行士[2][3])
篠崎洋子(元女子バレーボール選手、1964年東京オリンピックバレーボール女子金メダリスト[4])
交通アクセス
脚注[脚注の使い方]^ 本校の沿革
^ a b “ ⇒若田光一宇宙飛行士がさいたま市立宮原中学校の後輩生徒たちと交信(JARL NEWSダイジェスト)”. 一般社団法人 日本アマチュア無線連盟 (2009年5月27日). 2018年12月3日閲覧。
^ “ ⇒宮原中宇宙科学館”. さいたま市立宮原中学校. 2018年12月1日閲覧。
^ ⇒宮原中だより 平成25年度 第6号 (PDF) - さいたま市立宮原中学校. 2018年12月3日閲覧。
関連項目
埼玉県中学校一覧
さいたま市立宮原小学校