さいたまんぞう
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齋田萬蔵」とは別人です。
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出典検索?: "さいたまんぞう" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年9月)

さいた まんぞう
生誕 (1948-12-09) 1948年12月9日(75歳)
職業歌手司会者コメディアンドラマー
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さいた まんぞう(1948年12月9日 - )は、岡山県久米郡柵原町(現美咲町)出身、東京都中野区在住の歌手タレント野球審判。本名は牛房公夫(ごぼう きみお)[1]。所属事務所はサブマリン。未婚。
経歴
歌手デビュー

6人きょうだいの末っ子
[2]。中学生時代から野球部に所属して野球をやっていた[3]。高校進学時には、地元岡山の関西高等学校野球部のセレクションを受け[4]、150人の中から最後の10人に選ばれるも[4]、兄や親族らから「野球では飯は食えん」(父が若くして亡くなっているため、兄が代わって家長を務めていた)などと説得されたことと、本人も下宿が嫌だったことで断念[4]、野球部の無い津山基督教図書館高等学校[5] に進学[3][6]。そんな高校生時代に出会ったのが西郷輝彦の立身出世物語の自伝で、これに触発されるような形で西郷と同じようにバンドボーイを目指して[1]、高校卒業後の1967年昭和42年)4月に上京、アマチュアバンドに入りドラムスを担当するようになる[7]

バンドボーイとして渡辺プロダクションに所属していたことがあり[4]アウト・キャストのボーヤ、浜畑賢吉の付き人[4] を経て、コーラス漫談グループのスリートーンズに加入し、1979年に解散。同年から野球の審判を始めた。

1980年(昭和55年)年末にコミックソング「なぜか埼玉」を自主制作でつくる。この時点では県内ローカルの曲でしかなかったが、翌年1981年(昭和56年)2月にニッポン放送の人気番組『タモリのオールナイトニッポン』で紹介されたことにより一変、「埼玉」というご当地ソングとあまり縁のない土地の歌だったこともあり、物珍しさから全国で話題となった。

この結果、4月にフォーライフ・レコード(現フォーライフミュージックエンタテイメント)から前述の自主制作盤が商業盤として発売されるに至った。そして、「なぜか埼玉」は自主制作盤と商業盤を合わせて12万枚[8] を売り上げるヒットになった。

しかし、この曲が売れていても地方営業の仕事は1本も無く、話題にはなったがタレントとしては忙しくならなかったという[9]。一時「覆面歌手」とも言われ、「誰もその姿を見たことがない」とも言われたことで『芸能界のツチノコ』とも言われていた。さいたの正体が徐々に分かって来た頃にはラジオテレビに出まくる時期があったが、それも2か月程で終わったという[9]。しかもフォーライフは、さいたの家の電話番号を知らなかったという[9]。この曲の歌唱印税は先述の「ベガー・ミュージックK.K.」の社長が全部、さいたに何の相談も無くフォーライフに売り渡したということで、渡されたのは月10万円の給料のみだった[9]

これ以降、彼は歌手「さいたまんぞう」として活動を続けることになる。なお、当初の芸名は「なぜか埼玉」の自主盤を最初に作ったレーベル「ベガー・ミュージックK.K.」社長の菊池清明が名付けた「斎田萬蔵」と漢字表記だったが[7]、サインを書く際に大変ということで、「さいたまんぞう」と平仮名表記に変更した。

山陽放送で地元出身者が出演するラジオ番組『みんなどけぇいきょーん?!』が開始された際はパーソナリティの一人に抜擢され、「おかやまんぞう」名義を名乗ったことがある。

「なぜか埼玉」以降

「なぜか埼玉」で話題を博したさいたは、同年12月にやはりコミックソングの「埼玉オリンピック音頭」「なぜか埼玉海がない」を出す。

1987年(昭和62年)に川島恵とのデュエットで出した「東京カントリーナイト」が、意外な結果をもたらすことになる。

「歌う駅員さん」からタレントへ

元々のきっかけは、
TBSの情報番組『そこが知りたい』(関東ローカル)の一企画「通勤線途中下車の旅」において京浜東北線を特集するからと、「なぜか埼玉」で一躍有名となった さいた に「首からラジカセをぶら下げて『なぜか埼玉』を歌ってほしい」と依頼があったことに始まる。この企画は流れてしまったが、この打ち合わせの際にマネージャーが持参した「東京カントリーナイト」が番組スタッフに好評で、番組エンディングでの使用が決定[4]。しかも折りに触れて駅員の扮装をして首からラジカセをぶら下げ、「東京カントリーナイト」を通勤路線をネタに替え歌にして歌ってもらいたいとの話にもなった。この趣向は不定期出演ながら「歌う駅員さん」として大好評となり、1996年平成8年)まで出演回数28回を数え、翌年には「ああ東京カントリーナイト」の題名で一部CD化された。

歌手としての活動は前述の「ああ東京カントリーナイト」を除くと、1994年(平成6年)発売の「はくつる号は故郷へ」「小雨降る夜」、2002年(平成14年)には自らの曲全曲を集めたCD「生存証明」を発売している。CDアルバム「生存証明」の収録曲には代表曲「なぜか埼玉」のユーロビートバージョンも収められている(ただし曲調は最近のパラパラ系ユーロビートではなく1980年代後半に人気のあったミドルテンポ哀愁系ユーロビートに近い)。


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