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出典検索?: "こまどり姉妹"
こまどり姉妹
1962年
基本情報
ジャンル演歌
活動期間1959年 -
レーベル日本コロムビア
メンバー.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}
並木栄子
並木葉子
こまどり姉妹(こまどりしまい)は、日本の双子デュオ歌手である。 1938年(昭和13年)2月16日、北海道厚岸郡厚岸町で炭鉱労働者をしている父親の一卵性双生児として生まれた。家族は、その後樺太へ渡り、第二次世界大戦の敗戦まで樺太で育つ。 第二次世界大戦後は、極貧生活の中、厚岸町や釧路市の炭坑町を転々とし、銭函でついに家賃が払えなくなり夜逃げ。釧路市大楽毛に移り住み、ここで姉妹は日銭を稼ぐために門付を始めた。 1951年(昭和26年)上京。東京都山谷の木賃宿に住み、父親に連れられ、三味線を片手に台東区浅草の飲食街を流すようになる。その頃スカウトを受け、1959年(昭和34年)、コロムビアに入社し「浅草姉妹」でデビュー。デビュー曲は当初「三味線姉妹」になるはずだったが、2人の声と歌い方に合うという理由で「浅草姉妹」に変更された[1]。なお「浅草姉妹」は本来村田英雄のために書いた曲で、歌詞の主人公を男性から女性に変更した上で姉妹のデビュー曲となった[1]。またデビュー当時の芸名は「並木姉妹」[1](レコードジャケットでの表記は「並木栄子 並木葉子」)だったがまもなく新たな芸名を一般公募、2人の意思で「こまどり姉妹」という名が選ばれた。 愛称は「演歌版ザ・ピーナッツ」。同じ双子のザ・ピーナッツとの交流は歌謡ジャンルが違っていたものの公私共に盛んであった。1960年(昭和35年)には、ザ・ピーナッツが「こまどりジョッキー」という番組の構成、出演を行っている。ただし、こまどり姉妹の方がザ・ピーナッツより3歳上である。 なお、デビュー直後の地方公演のステージでグループサウンズ全勢前のジャッキー吉川とブルーコメッツがバックバンドを務めていた。 全国的な人気を得て、1961年(昭和36年)、NHK紅白歌合戦に初出場。ザ・ピーナッツに次いで紅白史上2組目の兄弟・姉妹での出場となった。紅白歌合戦にはこの年から7年連続で出場している(詳細は下記参照)。 人気絶頂の1966年(昭和41年)5月8日、鳥取県倉吉市で公演中に突然、18歳の男が舞台に駆け上り、葉子を刃物で刺した。この男は、栄子のファンで、結婚を望んでいたが応じてもらえなかったので、無理心中を図ったというものであったが、刺されたのは葉子だった。葉子は腹部を刺され重傷を負ったが一命を取り止め、しばらくして舞台に復帰した。 しかし、その後の父母の死、葉子のガン、葉子の大怪我、栄子の交通事故、ブレーンの脱税問題などの不幸が続き、大きな借金を抱えたまま1973年(昭和48年)に一時芸能界から離れた。 その後1976年(昭和51年)に「思い出のメロディー」へ出演、時折懐メロ番組出演するなど徐々に活動を再開させ、1984年(昭和59年)、久々の新曲「浪花節だよ人生は」で再スタートを切った。 2008年(平成20年)には第50回日本レコード大賞で功労賞を受賞。2009年(平成21年)には片岡英子監督によるドキュメンタリー映画『こまどり姉妹がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』が公開された。2013年(平成25年)12月31日、「第46回年忘れにっぽんの歌」(テレビ東京)に出演。2014年(平成26年)3月19日にはデビュー55周年を記念し、デビュー10周年時のアルバム『こまどり物語』を復刻、同時に18年ぶりの新曲『こまどりのラーメン渡り鳥』をリリース[2]。 2015年(平成27年)7月17日の「爆報! THE フライデー」(TBSテレビ)では齢80を越えた初代コロムビア・ローズと鎌倉で葉山牛を堪能している模様が放送された。その後も現役の歌手として芸能活動を続けており[3]、2019年(令和元年)にはデビュー60周年を迎えた。
メンバー
並木栄子(長内栄子、1938年2月16日 - 、双子の姉)
並木葉子(長内敏子、1938年2月16日 - 、双子の妹)
経歴
生い立ち
デビュー
人気絶頂
一時引退
活動再開
現在
ディスコグラフィー
シングル
浅草姉妹 / 八丈恋歌(1959年10月15日発売)
三味線姉妹(1959年11月15日発売)
とんがりお山(1960年2月発売、島倉千代子の「炭鉱の子守唄」のカップリング)
おけさ数え唄(1960年3月発売、小林旭の「ダンチョネ節」のカップリング)
船頭姉妹 / 湯の町姉妹(1960年11月発売)
浅草の鳩ポッメB/ さよなら棧橋(1961年2月20日発売)
ソーラン渡り鳥 / おはら西郷さん(1961年4月20日発売)
姉妹酒場(1961年7月20日発売)
夕焼け三味線(1961年7月発売、村田英雄の「山にかかる夕陽」のカップリング)
かき打ち娘(1961年発売、守屋浩の「きんさい太鼓」のカップリング)
祇園姉妹(1961年12月発売)
連絡船の出る港 (1962年2月発売、林厚夫
涙の日の丸小旗(1962年3月発売)
花の二本松少年隊(1962年発売)
ソーラン子守唄(1962年5月発売、藤原良の「夢呼ぶ室蘭本線」のカップリング)
おけさ渡り鳥 / 未練ごころ(1962年6月20日発売)
おばこ人形 / とても貴方が好きでした(1962年7月発売)
母さんばんざい / 砂山三里(1962年10月発売)
りんごっ子三味線(1963年1月20日発売)
帯広の町よさようなら / ふたりぽっち(1963年4月20日発売)
霧笛の街 / 歌は心で唄うもの(1963年発売)
浮草三味線 / 涙のラーメン(1963年9月20日発売)
東京が呼んでいる / 東京の空の月(1963年12月発売)
流転船 / 無情の恋
祇園エレジー / 常連さん(1964年9月発売)
女の恋 / 曾我兄弟(1964年9月発売)
恋ひとすじに / しぐれ桟橋(1965年1月発売)
アリューシャン小唄 / 泣くな裏町(1965年3月発売)
アリラン波止場 / こんな女になりました(1965年7月発売)
恋に拍手を / ひらがな便り(1965年11月発売)
南国哀歌 / 山地恋しや(1965年発売)
なにわ盆唄(1966年6月発売、村田英雄の「万国博音頭」のカップリング)
幸せになりたい / おんなの旅路(1966年7月30日発売)
「幸せになりたい」は、内田有紀の楽曲とは同名異曲。
こんにちは人生 / 可愛い女(1966年11月発売)
三味線渡り鳥 / ツーレロ恋唄(1967年3月発売)
おんな船 / わかってね(1967年発売)
女の一本道 / 流転草(1967年発売)
あゝ札幌に雪が降る / なみだ町(1967年12月発売)
石狩川(1969年発売、歌手生活10周年)
長崎ロマン / 東京三味線(1969年発売)
恋の風車 / 一人ぽっちの二人(1969年発売、グループ・サウンズ調)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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