この世界の片隅に
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この項目では、漫画作品について説明しています。この漫画を原作としたアニメーション映画については「この世界の片隅に (映画)」をご覧ください。

ルポルタージュの「この世界の片隅で」とは異なります。

『この世界の片隅に』(このせかいのかたすみに)は、こうの史代による日本漫画である。『漫画アクション』(双葉社)にて2007年1月23日号 - 2009年1月20日号まで連載された。単行本は、同社より2008年から2009年に上・中・下巻の形式と、2011年に前編・後編の形式で発売された(書誌情報参照)。

2011年8月5日に日本テレビ系でテレビドラマ化された。

2016年11月12日には、片渕須直監督による同名の劇場アニメーション映画が全国公開された。

2018年7月期にTBS系の「日曜劇場」枠にて再度テレビドラマ化された[1]

2024年にミュージカル化された。
概要

こうの史代の出世作となった『夕凪の街 桜の国』(2004年)に続いて「戦争と広島」をテーマに描いた作品である(ただし『夕凪の街 桜の国』と異なり、主要な舞台は広島市ではなく近隣の軍港に設定されている)。本来原爆を語るような立場ではないにもかかわらず『夕凪の街 桜の国』により「原爆作家」と見られることに抵抗を感じた作者は、「原爆以外の死、戦争全体にもう1回向き合わなければバランスが取れない」との思いにより、次作として激しい空襲を受けた広島県の軍都を舞台に戦争の全体像を描いた本作品に着手する[2]。単行本下巻のあとがきでは、作者自身が「『誰もかれも』の『死』の数で悲劇の重さを量らねばならぬ『戦災もの』を、どうもうまく理解出来ていない」ことを背景として、作品を描く中で、「そこ(戦時中)にだって幾つも転がっていた筈の『誰か』の『生』の悲しみやきらめきを知ろうとしました」と記している[3]

2006年初めから翌2007年初めにかけて発表した戦前期(1930年代)の広島を描いた3編の読み切り短編作品『冬の記憶』『大潮の頃』『波のうさぎ』(いずれも主人公・浦野すずの幼少時がテーマとなっている)に続いて、『漫画アクション』誌上に本作品の連載が開始されることになり、2008年1月にはコミックス単行本(上巻)が刊行された。こうのにとっては通算7本目の単行本化作品となる。単行本の累計発行部数は130万部を突破した[4]

本作品のストーリー本編は1943年(昭和18年)12月、すずが周作と出会い翌年2月に2人が祝言を挙げるところから始まるが、コミックス化に際して上記の3編も本編のプロローグ部分として上巻に同時収録された(目次の配列はストーリー上の時系列に沿っている)。初出掲載時とコミックスでは、各回ごとに(「18年12月」というように)昭和元号により舞台となる時期(年・月)を示すサブタイトルが付されている(ただしプロローグの3編については初出時に時期設定が明示されていなかったため、コミックス収録時に新たに付された)。また、初出掲載時は「昭和」と「平成」の元号を介して年月が一致するように連載されていた(例:作中が昭和20年3月の場合、平成20年3月発行の誌上に掲載)[5]

翻訳されて、英語版『In This Corner of the World』、フランス語版『Dans un recoin de ce monde』、スペイン語版『En Este Rincon Del Mundo』、ドイツ語版『In this corner of the world』、韓国語版『? ??? ????』、台湾版『謝謝?, 在這世界的一隅找到我』、ベトナム語版『? m?t goc nhan gian』[6]、イタリア語版『In questo Angolo di Mondo』が刊行されている。
あらすじ
冬の記憶

昭和9年(1934年)1月、広島市江波で少女時代を過ごした浦野すずは、想像力が豊かでを描くのが上手く、自分が体験した出来事を、虚実の入り交じった漫画のような作り話にしてしまう才能の持ち主。小学生のすずは海苔を届けるお使いで中島本町に行く途中、「ばけもん」にさらわれる。すずは、ばけもんの背中の籠の中で見知らぬ少年・周作と出会う。すずは機転をきかせ、ばけもんを眠らせて周作と逃げ出す。それは夢とも現実ともつかない出来事だった。
大潮の頃

昭和10年(1935年)8月、すず一家は、草津の祖母の家を訪ねる。すずが昼寝から目を覚ますと、天井裏から降りてきた見知らぬ少女がすずたちが食べ終わった後のすいかの皮を手に取っていた。すずは新しいすいかを持ってくるが、少女の姿は消えていた。兄の要一は座敷童子を見たのではないかと言う。
波のうさぎ

昭和13年(1938年)2月、すずは同じ組の乱暴者・水原哲に鉛筆を取り上げられ床下に落とされてしまう。放課後、海難事故で兄を亡くし、荒れた家に帰りたくないという理由で課題の絵を描かず海辺に座り込んでいた哲を見つけたすずは、彼に代わって絵を描いてやる。
この世界の片隅に旧澤原家住宅三ツ蔵北條家の家がある辰川地区(旧上長ノ木町)から海を見下ろす。拡大
Clip 美術館通りから国立病院機構呉医療センターへの階段。すずが晴美を連れて呉海軍病院に入院するお義父さんのお見舞いに行くシーンで登場する。

太平洋戦争中の1943年(昭和18年)12月、18歳の浦野すずが草津の祖母の家で海苔すきの手伝いをしていると、突然縁談の知らせがくる。急ぎ帰宅したすずが覗き見たのは、から来た北條周作という青年だった。翌年2月、呉の北條家でささやかな結婚式が挙げられ、すずの新しい生活がはじまる。すずは周作とどこかで会った気がするが思い出せない。傍目には不器用で、いつもぼんやりしていて危なっかしく見えるすずは、北條家で失敗を繰り広げては、小姑の黒村径子に小言を言われる毎日を過ごすが、径子の娘である姪の黒村晴美には懐かれる。戦時下で物資が不足し、配給も乏しくなる一方、すずは持ち前のユーモアと生活の知恵で、食料に乏しい日々を乗り切り、次第に北條家やその近所の人々に受け入れられていく。

ある日、すずは闇市からの帰り道、迷い込んだ遊郭地で遊女の白木リンと知り合い友達のような間柄になる。すずは、栄養不足が原因でなかなか子供ができないことが判明し悩むが、リンの「この世界に居場所はそうそう無うなりゃせん」という言葉に救われる。だが、すずは幾つかの断片的な状況から彼女が周作の元恋人であったことに勘づき、複雑な思いを抱えることになる。そんなすずの元に、ある日かつて互いに憎からず想う相手だった幼馴染・水原哲が訪れる。水原との再会によって、すずは自分の心が既に周作に向いていることを改めて自覚すると共に、余計な気を回して水原と自分を引き合わせようとした周作に対して疑念を深める。すずは遊郭までリンに会いに行くが会えず、討ち入りと勘違いされて追い返されそうになるものの、対応してくれた病床の遊女テルを得意の絵で励ます。後日、すずは桜の花見で再会したリンから、テルはあの直後に亡くなったと聞かされる。リンはすずに、秘密を他人に知られることなく独り占めにして死ぬのも一種の贅沢だ、という旨の死生観を語る。

やがて日本の戦況が劣勢になり、軍港の街である呉は1945年(昭和20年)3月19日を境に、頻繁に空襲を受けるようになる。それでも戦時下の日常を明るく過ごそうとするすずだったが、同年6月22日の空襲で、通常爆弾に混ぜて投下されていた時限爆弾地雷弾[7])の爆発によって目の前で晴美を亡くし、自らも右手を失ってしまう。意識が戻ったすずは、晴美を守れなかったことを径子に責められる。同年7月1日の空襲では呉市街地が焼け野原となり、郊外にある北條家にも焼夷弾が落下する。見舞いにきた妹のすみは、江波のお祭りが行われる8月6日に広島の実家に帰ってくるように誘う。すずはすみと軽口を叩き合いながらも、人の死が日常となったこの世界に順応しつつある自分こそが歪んでいるのだという思いを抱き、世界が左手で描いた漫画のように歪んでいると独白する[注釈 1]。周作との間柄もリンに対する嫉妬でぎくしゃくしており、北條家での居場所を失いつつあったすずは、機銃掃射から守ってくれた周作に、広島に帰ると訴える。8月6日の朝、病院の予約があるという理由で帰郷を遅らせたすずは、径子と和解して翻意し、北條家に残ることを決意する。結果としてすずは、その日に広島市へと投下された原子爆弾による被爆を免れるが、爆心地から約20キロメートル離れた北條家でも閃光と衝撃波が響き、故郷の広島方面から立ち上る巨大な雲を目撃する。

8月15日ラジオ終戦の詔勅を聞いたすずは、一億玉砕の覚悟とは何だったのかと激昂して家を飛び出す。裏山の畑からふもとに太極旗がひるがえるのを見たすずは、それまで正義の戦争と信じていたものの正体が、ただの暴力に過ぎなかったことに思い至り、「何も知らないまま死にたかった」と独白し泣き崩れる。

11月、すずは周作の案内で呉の市街地に出かけ、かつてリンのいた遊郭が空襲によって跡形もなく破壊されているのを目の当たりにし、秘密ではなくなってしまった夫とリンとの関係とその過去に想像を巡らせる。12月、すずは呉の軍港で、軍艦が好きだった晴美が死の直前に覗き見ようとした先に、水原の乗艦であった軍艦(重巡洋艦青葉)が大破着底しているのと、その傍に佇む水原を見かけるが、話しかけることなく去り、自分がこの世界でもう会えない人たちの記憶の器として在り続けるという決意をする。

翌年1月、すずはようやく広島市内に入り、草津にある祖母の家に身を寄せていたすみと再会。すずの両親は既に亡くなっており、すみには原爆症の症状が出ていたが、すずは治らなければおかしいと彼女を励ました。

焼け野原となった広島市内で、すずは周作にこの世界の片隅で自分を見つけてくれたことへの感謝を述べる。そこへ戦災孤児の少女が現れ、すずに縋って離れなくなった。二人は少女を連れて呉の北條家に戻る。空襲に怯える必要がなくなった呉の夜には街の灯りが戻っていた。
登場人物

登場人物の名前の多くは元素名に由来し、周期表を参考に命名された[10]。また、監督である片渕や主演ののんといった関係者やファンからは敬称付けで呼ばれることがほとんどであり[11](例:すず=すずさん、すみ=すみちゃん)、ファンの間では暗黙の了解で半ば常識化している。
主人公と北條家の人々

北條家の住所は「広島県呉市上長之木町八百八番」とある。
浦野すず(うらの すず) → 北條すず(ほうじょう すず)
本作品の主人公。1925年(大正14年)生まれ。血液型B型。広島市
江波の海苔梳きの家に育つ。少女時代は、実家の仕事を手伝う傍ら尋常小学校に通学、高等小学校を卒業する。絵を描くことが好きだが裁縫は苦手。18歳時の昭和18年(1943年)暮れに妹・すみと共に広島市草津にある親戚の森田家の仕事を手伝う最中に突然舞い込んできた縁談により、呉の北條家に嫁ぐ。周作と幼少期に一度遭遇していたが覚えてはいなかった。特に断る理由もないまま嫁入りし、哲への思いも捨てきれてはいないものの徐々に周作を心から愛するようになる。働き者だが、おっとりした性格から時折小事件を巻き起こす。周りにはぼんやりした嫁だと思われているが、芯の通った強さも持つ。次第に物資が乏しくなる戦時下の生活に先行きの不安を感じつつも、夫や北條家の人々を愛し、また愛されながら、知恵と明るさで懸命に乗り切っていく。1945年(昭和20年)6月22日、舅の円太郎を見舞いに行った帰りに空襲で右手を失う。人の機微に聡い一面もあり、白木リンと夫の関係に気付いている。TBSドラマ版では2018年時点でも90歳を越して存命であり、シーズンにユニフォームを着て野球場に通い詰めるほどの広島東洋カープファンである。
北條周作(ほうじょう しゅうさく)
すずの夫。呉鎮守府軍法会議録事(書記官)。すずよりも4歳年上。昭和18年12月、突然父親の円太郎と浦野家を訪れ、幼いころに一度だけ会ったことがあるすずに結婚を申し込んだ。短編『冬の記憶』に登場する少年と同一人物。生真面目な性格で、親族ら周囲から「暗い」と言われるのを気にしている。すずを愛し、彼女の絵描きの趣味にも理解を持っているが、すずが幼なじみの哲に淡い想いを抱いていることにうすうす気づいている。戦況の悪化に伴い文官から武官に異動させられ留守がちになるも前線に出ないまま生き延びることができ、海軍の解体後は新たな職場で広島市内に通勤することになった。
北條サン(ほうじょう サン)
周作の母(すずの姑)。足を痛めているため普段は自宅で安静にしているが、裁縫や精米など、家長の妻として出来ることを最大限頑張っている。嫁姑の関係ではあるが、すずをいびるようなことはせず優しく接する。自分の体が悪いせいで息子に嫁を取ってもらったという事情もあるものの、優しい言動は元々の性格でもあろうことが示唆されている。
北條円太郎(ほうじょう えんたろう)
周作の父(すずの舅)。広海軍工廠十一空廠勤続の技師。かつてロンドン海軍軍縮会議のため一時解雇されていた。化学が専門のようで、蘊蓄を語り出すと止まらない。真面目かつ温和・冷静で、怒ることはほとんどない。5月5日の広工廠爆撃のあと一時行方不明になっていたが、6月に海軍病院に入院していることが判明。すずが右手を失ったあと退院し、自宅療養している。
黒村径子(くろむら けいこ)
周作の姉で、顔立ちは周作そっくりな長身の女性。元モダンガールでファッションにうるさい。はっきりと物を言う性格で、何事もてきぱきこなす。家庭に収まらず高等女学校卒業後、職業婦人として働いてもいた。反面、炊事は好きではなく飯を炊けば決まって焦がしていた。当時としては珍しい恋愛結婚をして家を出ていたが、時計屋を営んでいた夫の病死後、その性格から嫁ぎ先と折り合いが悪くなる。建物疎開によって黒村家が下関に引っ越すことを機に離縁し、娘ともども北條家に戻ってきた。跡継ぎであるため嫁ぎ先に残さざるをえなかった息子のことを気にかけている。すずには嫌味を言うことも日常茶飯事である一方、若いすずを気遣っての言動も見られる。晴美が亡くなった時は逆上してすずを責めてしまったが、その後は右手を失って家事に不自由するすずを見かね、彼女に代わって家事に精を出すようになる。すずが罪悪感から実家に帰ろうとした際には「すずさんがイヤんならん限りすずさんの居場所はここじゃ」と言って引き留めた。すず夫妻がボロをまとった戦災孤児を連れ帰ったときは、晴美の服を直して着せてやろうとする心遣いも見せた。
黒村晴美(くろむら はるみ)
径子の娘。国民学校初等科への入学を控えている。兄の久夫に軍艦の名前を教えてもらっており、幼いながらすずよりはるかに軍艦に詳しい。母とともに北條家に同居し、すずに懐く。1945年(昭和20年)6月22日の空襲後、すずと一緒にいたところを時限爆弾の爆発に巻き込まれて死亡する。
黒村久夫(くろむら ひさお)
離縁した径子が跡取りとして黒村家に預けてきた息子で軍艦が好き。妹・晴美の入学祝いとして自分が使っていた教科書アサヒ読本)を送ってきた。長男であることから黒村家の跡継ぎとして下関に住む。
江波(すずの実家)の人々
浦野十郎(うらの じゅうろう)
すずの父。かつては
海苔養殖に従事していたが、工業港建設で海が埋め立てられたため廃業し、埋立地に建てられた工場に勤めている。原爆投下後、妻のキセノを探して広島市内に入ったことから二次被爆し、10月に原爆症により倒れてすぐに亡くなり多くの被爆死者たちとともに学校敷地内で荼毘に付された。
浦野キセノ(うらの キセノ)
すずの母。森田の叔父さんと横顔がよく似ている。8月6日の朝には祭りの準備で広島市街に出かけており、その後消息を絶つ。十郎とすみの捜索もむなしく最後まで見つからなかった。
浦野要一(うらの よういち)
すずの兄。短気ですぐ拳や怒声が出るためすずのみならず腕白な哲ら男子からも怖れられる、通称「鬼(おに)いちゃん」。陸軍軍人としてニューギニアに出征していたためすずの結婚式には立ち会えず、1945年の2月に戦死の知らせが届き他の戦死者たちと共に葬儀が営まれた。最終階級は上等兵。しかし戦死の報告とともに届いたものは石ころ一つしかなく、浦野家の人々は彼の死を実感できずにいる。
浦野すみ(うらの すみ)
昭和元年(1926年)生まれ。すずの妹。しっかり者の美人で、すずに見合い話が来た際に当のすずも「すみちゃんとの間違いでは」と言ったほどである。年子である姉のすずを「すずちゃん」と呼び慕っている。女子挺身隊の一員として陸軍の軍需工場に勤労動員していた時に知り合った陸軍の若い将校(すみ曰く「美男子」、原作では少尉)とほのかに想い合う仲になる。原爆投下後、父の十郎とともに母キセノの捜索のため広島市内に頻繁に出入りしたことから二次被爆し、原爆症のめまいと青あざ(内出血)に悩まされ、イトの家で寝込んでいる。


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