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鳴子 ⇒桜井昭二 のこけし
こけし(小芥子)は、江戸時代後期(文化・文政期)頃から[1]、東北地方の温泉地において湯治客に土産物として売られるようになった轆轤(ろくろ)挽きの木製の人形玩具。日本の伝統工芸品の一つである。一般的には、球形の頭部と円柱の胴だけのシンプルな形態をしている。漢字表記については名称の節を参照。
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本来の玩具人形として発生したこけしは、幼児が握りやすいよう、胴の太さも子供の手に合わせた細い直径であり、したがって立たないこけしもあった。ただし、鳴子のこけしは、かなり初期の段階から雛祭りの折に雛壇に飾るような使われ方をしたとみられ、立てて安定するように胴は太く作られていた。いずれにしても本来は湯治の土産物であり、子供の手に渡って玩具の人形・愛玩具とされた。二つ折りの座布団にこけしを挟み、それを背負いながらままごと遊びをする女児をよく見かけたという記録もある。
こけし本来の発生時の様式に従って作られる伝統こけしは、産地・形式・伝承経緯などにより約10種類の系統に分類される。また新型こけしには、工芸的な「創作こけし」、東北地方に限らず全国の観光地で土産品として売られているこけしがある。 江戸時代末期から明治の末年までが、玩具としてのこけしの最盛期であった。しかし大正期になると、こけしはキューピーなどの新興玩具に押されて衰退し、転業・休業するこけし工人も増えた。一方でこの頃から趣味人が好んでこけしを蒐集するようになり、子供の玩具から大人の翫賞物としてその命脈を保つことができた。東京、名古屋、大阪にこけしを集める蒐集家の集まりが出来て、一時休業した工人にも製作再開を促したことで、かなりの作者の作品が今日まで残ることとなった。そうして現代まで残ったこけしの中には骨董品として売買されるものも多い[2]。 こけしが民芸品、美術品として評価されるようになった第一次ブームは1928年(昭和3年)、天江富弥『こけし這子(ほうこ)のはなし』の出版がきっかけとなった。第二次世界大戦後の高度成長期に東北の温泉地を訪れた旅行客が買い求めたのが第二次ブーム、そして女性に人気が高まった2010年代を第三次ブームとする見方[3]もある。 第二次世界大戦後、こけしは「東北地方で作られる伝統的な民芸品」とは限らなくなった。京都市[4] や群馬県[5] などでも、こけしやこけし人形が製作・販売されている。これらの中には、東北地方の伝統こけしと同様のデザインだけでなく、形や彩色、モチーフなどが多様な「新型こけし」(「近代こけし」「創作こけし」と呼ばれることもある)が多い。ウルトラマンなど特撮・アニメ作品にちなんだ「キャラクターこけし」も生まれている。2000年代になると、こけしはヨーロッパなどで和風小物として知られるようになった。卯三郎こけしでは月に1万個以上輸出をしてヨーロッパにこけしブームを起こした。また、群馬県榛東村、鳴子の桜井こけし店なども輸出に取り組んでいる[6]。 大人の翫賞物として集められるこけしは、棚等に立てて並べられ鑑賞される場合が多い。そのため玩具こけしに比べて胴をやや太く作ったり、作並のように細い胴の場合には下部に倒れ防止用の台をつけたりする等の工夫も行われた。伝統こけしもその形態や描彩は、時代の流行や新型こけしの影響も受け、需要の要請に応じて幾分変化を遂げている。一方で蒐集家によっては、子供の玩具時代の古い様式を望む者もおり、その工人の師匠、先代、数代前の工人のこけしの型を復元するよう依頼することも行われる。それらは「誰それの型の復元こけし」と呼ばれる。 こけしの名称は元来、産地によって異なっていた。木で作った人形からきた木偶 「こけし」という表記も、戦前には多くの当て字による漢字表記(木牌子、木形子、木芥子、木削子など[7])があったが、1940年(昭和15年)7月27日に東京こけし会(戦前の会)が開催した「第1回現地の集り・鳴子大会」で、平仮名表記の「こけし」に統一すべきと決議した経緯があり[3]、現在ではもっぱら「こけし」の名称が用いられる。 幕末期の記録「高橋長蔵文書[8]」(1862年)には「木地人形こふけし」(読みは「こうけし」)と記されており、江戸末期から「こけし」に相当する呼称があったことがわかる。 「こけし」の語源としては諸説あるが[9]「木で作った芥子人形」というのが有力で、特に仙台堤土人形の「赤けし」を木製にしたものという意味とされる。こけしが「赤けし」と同様に、子貰い、子授けの縁起物として扱われた地方もある。またこけしの頭に描かれている模様「水引手」は、京都の「御所人形」で特に祝い人形のために創案された描彩様式であり、土人形「赤けし」にもこの水引手は描かれた。つまり、こけしは子供の健康な成長を願う祝い人形でもあった。 一方、近年ではこけしの語源を「子消し」や「子化身」などの語呂合わせであるとし、貧困家庭が口減らし(堕胎や間引き)した子を慰霊するための品とする説も存在する。これは1960年代に詩人の松永伍一が創作童話の作中で初めて唱えたとされる。
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