こおろぎさとみ
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こおろぎ さとみ
プロフィール
本名.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}興梠(こうろぎ) さとみ
[1][2]
愛称みぃちゃん[3]
性別女性
出身地 日本東京都三鷹市[4]
生年月日 (1962-11-14) 1962年11月14日(61歳)
血液型A型[3][5]
職業声優ナレーター[6]
事務所ぷろだくしょんバオバブ[7]
公式サイト ⇒こおろぎさとみ|株式会社 ぷろだくしょんバオバブ
公称サイズ(時期不明)[5]
身長 / 体重146 cm / 38 kg
活動
活動期間1988年 -
デビュー作こひつじ
(『それいけ!アンパンマン』)[8][9][5][10]
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

こおろぎ さとみ(1962年11月14日[3][11] - )は、日本女性声優ナレーター[6]東京都三鷹市出身[4]ぷろだくしょんバオバブ所属[7]。元夫は声優の中原茂[12]

代表作は『クレヨンしんちゃん』(野原ひまわり)、『少年アシベ』(ゴマちゃん)、『ポケットモンスターシリーズ』(ミュウピチュートゲピー)、など[5][6]
経歴
生い立ち

小さい頃からごっこ遊びが好きで、当時の三鷹市は武蔵野の雰囲気が残っており、駅から離れたところ、桑畑などがあったことから、林、森の中を走り回っていた[4]。また子供の頃からアニメは好きだったという[4]

高校生の時に職業としての声優を認識した[4]。それ以前も言葉としての声優があることは知っていたが、高校生になるまで気にしてはいなかったという[4]

声が特徴があり、昔から周囲から「変った声」と言われており、周囲からは声優になったらいいかもと冗談まじりに薦められていたが、「声優という仕事もあるんだ」という感じで受け止めていなかったという[4]

高校時代になりたい職業が3つあって童話作家、幼稚園教諭、声優であり、童話作家は食べていけないと思い、声優は芸能界なため、「なれるわけがない」と当時は断念しており、幼稚園教諭を選択した[13]
幼稚園教諭・養成所時代

高校卒業後、女子聖学院短期大学[14]幼児教育科に進学して幼稚園教諭になる[4]

その時に当時に映画で見た『アリオン』の影響を受け、声優を志すようになる[4][10]

両親、特に父は反対しており、養成所の費用は全て自分で捻出していた[13]。そのために郵便局、レストラン、OL、社長秘書などのアルバイトをたくさんかけもちもしていた[13]

その後はアニメ情報誌の帯広告で見つけたアートアカデミーに電話をして受験して同アカデミーに通う[4][13]。幼稚園教諭は4年勤めたが、最後の1年のみ、養成所と幼稚園教諭を両方かけもちで通っていた[4]

山田太平に指導してもらって[4]、山田に紹介されたバオバブ学園(現:ビジュアル・スペース俳優養成所)5期生[15]を経て、ぷろだくしょんバオバブに所属[13]
キャリア

デビュー作は、1988年放送のテレビアニメそれいけ!アンパンマン』におけるこひつじ役[8][9][5][10]。洋画デビューは『ビッグ[2]。アニメの初めて準レギュラーは『ミラクルジャイアンツ童夢くん』の麻生かおり役[2]。アニメの初レギュラーは『ハーイあっこです』のハナコ役となる[2]

マイクに入ることだけでも難しく、先輩が襟首つまみ、無理やりマイク前に引っ張ってくれたこともあった[8]。緊張で声が裏返ってしまい、収録できないため、「もういい」とディレクターに怒られたこともあり、泣いて帰ったことは、何度もあったという[8]

声優活動当初は仕事、現場が怖く、不安のほうがはるかに大きかった[8]


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