くりぃむしちゅー
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この項目では、お笑いコンビについて説明しています。料理については「クリームシチュー」を、その他のクリームシチューについては「クリームシチュー (曖昧さ回避)」をご覧ください。

「くりぃむ」はこの項目へ転送されています。その他のクリームについては「クリーム」をご覧ください。

「海砂利水魚」はかつてそのグループ名を使用していたお笑いコンビについて説明しているこの項目へ転送されています。言葉の意味や、それを含む名前を名づけるについては「寿限無」をご覧ください。

くりぃむしちゅー
メンバー上田晋也
有田哲平
結成年1991年
事務所プライム(旧プライムワン)
ナチュラルエイト
活動時期1991年12月 -
師匠コント山口君と竹田君
出身コント山口君と竹田君の付き人
出会い熊本県立済々黌高等学校
旧コンビ名島原火砕流土石流(結成当初)
海砂利水魚( - 2001年)
現在の活動状況テレビ中心
芸種漫才
コント
ネタ作成者両者
現在の代表番組しゃべくり007
今夜はナゾトレ
くりぃむクイズ ミラクル9
くりぃむナンタラ
過去の代表番組銭形金太郎
くりぃむナントカ
笑いの金メダル
リチャードホール
シルシルミシルさんデー
ペケ×ポン
世界一受けたい授業
同期オアシズ
やすずん
アニマル梯団
ココリコ
メッセンジャー
ジャリズム
水玉れっぷう隊
藤井隆
土田晃之
TKO
古坂大魔王ほか
公式サイト事務所公式サイト
受賞歴
1994年 爆笑BOOING 5週勝ち抜きチャンピオン
1996年 第6回ニッポン放送高田文夫プロデュースOWARAIゴールドラッシュ年間チャンピオン
2004年 ゴールデン・アロー賞放送賞(バラエティー部門)
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くりぃむしちゅーは、ナチュラルエイトに所属する上田晋也有田哲平からなる日本お笑いコンビ。コンビ名の由来は有田の好物であるクリームシチューから。略称は「くりぃむ」。旧コンビ名は「海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)」(海砂利水魚の略称は「海砂利」)。当時キャッチコピーは「おとぼけツインターボ」「邪悪なお兄さん」で有った。2人とも熊本県熊本市出身。
メンバー詳細は「上田晋也」および「有田哲平」を参照

上田 晋也(うえだ しんや、1970年5月7日 - )(53歳)ツッコミ担当、立ち位置は向かって左。熊本県熊本市南区出身。熊本県立済々黌高等学校卒業、早稲田大学教育学部国語国文学科中退。既婚で1男1女の父。血液型O型。身長172cm、体重63kg。顔にしわが多く、天然パーマ。たとえツッコミ、うんちくを得意としている。好きな食べ物はお好み焼き。好きな女優は仲間由紀恵

有田 哲平(ありた てっぺい、1971年2月3日 - )(53歳)ボケ担当、立ち位置は向かって右。熊本県熊本市東区出身。熊本県立済々黌高等学校卒業、立教大学法学部中退。既婚で2女の父。血液型A型。身長173cm、体重80kg。プロレスラーものまねを得意としている。好きな食べ物はクリームシチュー。好きな女優は菅野美穂
経歴

2人は熊本県立済々黌高等学校の入学式当日に出会い、その後共通の趣味であるプロレスをきっかけに意気投合。揃ってラグビー部へ入部し親交を深める。2人の仲は非常に良く、ラグビー部ではコンビを組んで頻繁に部員を笑わせていた。顧問の先生や部員に面白いあだ名を付けたり、2人が「事件」と呼ぶ数々の笑える出来事が起こった済々黌ラグビー部こそが、くりぃむしちゅーの笑いの原点だったと後に2人は『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の中で回想している。当時の上田はいわゆる学校の番長的存在で、有田はその上田に付いていくような感じだった。有田曰く上田は硬派らしく済々黌で初の童貞番長だったとのこと。

有田は高校卒業後、現役で明治大学法学部二部へ合格。浪人が決まった上田から「一緒に早稲田に入ろう」と誘われ、有田は大学には入学せず2人別々の予備校へ通う。1年後に上田は早稲田大学教育学部国語国文学科へ合格するも、有田は早稲田大学には合格できなかった。有田は自分と同じように上田がまた浪人してくれると思っていたが、上田から「お前は立教がいい」と言われたことで上田は早稲田大学、有田は立教大学へ進学した。

大学在学中だった上田は芸人を志す。芸能事務所に送付するための履歴書を書こうと思っていた日に、たまたま同級生(ラグビー部 N氏)の家で有田と再会。話が弾む内に大学の仲間と行った合コンで馴染めなかった愚痴をこぼすように。その中で有田が「こんなことならお笑いでもやってればよかったな」「俺、お笑いやりたい」と言い始め、上田は「マジで言ってんの? 実は俺、今日にでも履歴書を書いて明日お笑い事務所に送るところだった」と偶然の一致により、2人で履歴書を書いて送付することにした。

後日、2人は山口ひろかず(コント山口君と竹田君)が当時代表を務めていた芸能プロダクションを訪ねる。そこで山口は「大学中退して芸能界に入るか、卒業後に改めてチャレンジするか、どっちかに決めたほうがいい」と2人にアドバイスした。その言葉を受けて2人とも大学を中退。上田は竹田高利の、有田は山口の付き人として芸能活動を始める。1991年12月、コンビ『海砂利水魚』を結成。

1992年から放送開始された『ボキャブラ天国』(フジテレビ)シリーズに出演し、爆笑問題ネプチューンなど多くの芸人と共に人気を博す。

2001年10月にコンビ名を『海砂利水魚』から現在のものへ改名(詳細は後述)。

転機となったのは2000年に有田が東貴博Take2)脚本・主演の東八郎十三回忌追悼公演に出演した際、演出の萩本欽一に自身の不真面目な態度を肯定的に捉えられたことがきっかけでテキトーなキャラクターを確立したことである[1]。更には2003年に上田がバラエティ番組『虎の門』(テレビ朝日)の1コーナー「うんちく王決定戦」で優勝、一躍脚光を浴びる。以降上田は「うんちく王」の称号と共に、薀蓄芸と呼ばれる芸風で数々のメディア出演や執筆活動を行う。「たとえツッコミ」も知られるようになった[注 1]。有田は上田のブレイクに腐ることなくテキトーキャラでバーター出演をこなしてコンビの露出を増やすとともにピン芸人としての仕事でも認知度を上げていった[2]。そして、再度訪れたお笑いブームの波にも乗って、2004年には多数のレギュラー番組を抱える売れっ子となった。

2004年、ゴールデン・アロー賞放送賞(バラエティー部門)受賞。

2004年10月5日、改名後初の冠番組『くりぃむナントカ』(テレビ朝日)が放送開始。


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