構成要素
筆画 筆順 偏旁 六書 部首
標準字体
説文解字(篆書体)
字様書 石経
康熙字典体(旧字体)
新字体 新字形
国字標準字体 常用字字形表
漢文教育用基礎漢字
通用規範漢字表
国字問題
当用・常用漢字
同音の漢字による書きかえ
繁体字(正体字) - 簡体字
漢字廃止・復活
漢字文化圏
中・日・朝・越・台・琉・新
派生文字
国字 方言字 則天文字
仮名 古壮字 字喃 女書
契丹文字 女真文字 西夏文字
→字音
草書体(そうしょたい)は、漢字の書体の一つ[1]。 速く書くことができるように、同じく漢字の筆書体である行書とは異なり、字画の省略が大きく行われる。文字ごとに決まった独特の省略をするため、文字ごとの形を覚えなければ書くことも読むこともできないことが多い。隷書の時代からあったが、一般に使われるようになったのはそれから数百年の月日が過ぎてからである。楷書体では多くの字が1通りの書き方であるのに対し、草書体は幾通りかの書き方がある場合があり、書家による違いも大きい。 草書の「草」は草稿などの「草」である。また「草」には「下書き」という意味もある(例:起草)。「ぞんざい」という意味もある。 アルファベットのいわゆる「筆記体」も、草書体と呼ぶことがある[2]。 王羲之の書を見ると、草書作品の「十七帖」は知人への書簡集であり、行書作品の「快雪時晴帖」や「喪乱帖」は冒頭に「羲之頓首」の定型句を持つ改まった文書である。この例から判断できるように、草書は『砕けた通常の筆記体』であり、行書は『より厳粛な場に供する書体』と言える。 したがって、草書作品は石碑にはふさわしくなく、紙を媒体として広く常用された。芸術作品としての価値は、唐朝初期を底辺として、王羲之・献之親子やその子孫といわれる智永にかけての六朝?隋朝期、狂草で新たな世界を開いた張旭、懐素以降の唐朝後期から条幅が生まれた明朝にかけて高く評価されている。 前漢前期に隷書を崩した「章草」(しょうそう)があり、漢の時代の篆書・隷書から発生したと概ね考えられている。章草は、現在のように文字を続けて崩していく形式ではなく、1字1字を崩していく形式だった。この章草が漢以降にいかなる工程を経て草書に発達したかは、古文書の他に主だった金石彫刻がないことから碑文研究において不明とされる。 文献では、『説文解字』に「漢興って草書有り」がみえる。一説には前漢の史游や後漢の張伯英が発明したとも言われる(中国の書論#書体の創始者を参照)。3世紀に一般化した。 草書体をさらに崩した書体を狂草と呼び、張旭、懐素などの能書家が有名である。 清代後期には、草書が失われ、一部の学者や書道家で使用されるのみであった。 中華人民共和国において識字率向上の手段として、従来の繁体字を省略した「簡体字」を考案したが、その字や部首の多くは草書を範としている。
概要
中国行草書羅漢賛等書巻 明末期(1603年) 董其昌筆 東京国立博物館蔵、
(釈文)癸卯参月 在蘇之雲隠山房 雨窓無事
(癸卯 参月在 蘇之 雲隠山 房雨 窓無 事)