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きだ みのる(本名・山田吉彦、1895年(明治28年)1月11日 - 1975年(昭和50年)7月25日)は、鹿児島県奄美大島出身の小説家、翻訳者。代表作『気違い部落』シリーズは映画化もされた[1]。 青年期のきだは転居、家出を繰り返し、旅を多くした。アテネ・フランセ創設者のジョセフ・コットに親しく薫陶を受け、後には仏語教師として自らもアテネ・フランセの教壇に立った。開成中学卒業後、慶應義塾大学中退を経てパリ留学。ソルボンヌ(パリ大学)で文化人類学者マルセル・モースに師事し社会学・人類学を学ぶ。 帰国後は戦中戦後の長期にわたり、東京都南多摩郡恩方村(現:東京都八王子市)[2]の廃寺に20年ほど籠もるようにして暮らした。『世界』1946年9月-10月に「気違い部落周游紀行」を発表。1948年(昭和23年)4月刊の『気違い部落周游紀行』で第2回毎日出版文化賞を受賞。1950年代に入ってからは日本のみならず世界各地を渡り歩き、多くの文章を著した。 恩方村の地元では「気違い」扱いへの反発が激しく、きだに鎌を振りかざして寺からの立ち退きを迫った[3][4]。きだは1955年(昭和30年)に八王子市議会議員選挙に立候補したが、得票数23票で最下位落選した[3]。 きだには子が何人かあったが、そのうちの女児一人(広瀬千尋)を養子縁組し、引き取って養育したのが三好京三夫妻である。三好はこの実体験を『子育てごっこ』に著した。 きだの晩年の行状については当時平凡社で担当編集者を務めていた嵐山光三郎の著書『漂流怪人・きだみのる』(小学館)に詳しい。
来歴・人物
きだが死去した際は、「気違い」が差別用語(放送禁止用語)とされるため、NHKの訃報では代表作の名を伝えることができず、「東京都下に住みその体験を元にした作品は有名です」とだけ報じられた[5]。
著書
『モロッコ紀行』山田吉彦、日光書院 1943
『気違い部落周游紀行』吾妻書房 1948、新潮文庫 1951/冨山房百科文庫 1981渋谷実監督・菊島隆三脚本映画『気違い部落』