きだつよし
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(Microsoftコードページ932はしご高))が含まれています(詳細)。

きだ つよし
プロフィール
誕生日 (1969-08-03) 1969年8月3日(54歳)
出身地 日本 大阪府
主な作品
テレビドラマ『弁護士のくず
中学生日記
アニメ『HARELUYA II BOY
クラシカロイド
特撮『星獣戦隊ギンガマン
仮面ライダークウガ
仮面ライダー響鬼
仮面ライダーウィザード
舞台『センゴクプー?戦国・風?
バクマツバンプー?幕末蛮風?
プーシリーズ Episode1 アマツカゼ ?天つ風?
テンセイクンプー?転世薫風?
体内活劇「はたらく細胞」
テンプレートを表示

きだ つよし(1969年昭和44年〉[1]8月3日 - )は、日本脚本家劇作家演出家絵本作家、ライター[1]。主な作品に特撮仮面ライダー」シリーズ、大野智の舞台「(風)プーシリーズ」[2]NHK Eテレテレビアニメクラシカロイド[3]など。俳優として、劇団TEAM 発砲・B・ZINを主宰していた[1]

大阪府出身[1]大阪府立清水谷高等学校日本大学芸術学部演劇学科卒業。オフィスPSC所属。
略歴

1992年平成4年)に日本大学芸術学部の卒業生が中心に「TEAM 発砲・B・ZIN」を結成、全作品の作・演出を手掛ける。そのほか、テレビドラマ脚本舞台の作・演出も数多く手掛けている(詳細は後述の主な作品リスト項目を参照)。

1996年、Vシネマ『ジャスキス』で映像作品の脚本家としてデビュー[1]2005年仮面ライダー響鬼』のメインライター・文芸を担当(前半2クール)。2012年仮面ライダーウィザード』でもメインライターを担当した。

主宰の劇団TEAM 発砲・B・ZIN2007年5月、同劇団結成15周年記念・解散公演『ジューゴ』をもって解散した。なお、同劇団で制作の余田かおりと2006年6月に結婚した。

2021年令和3年)から「演出家きだつよしのストレスフリーなディレクション講座」も始めている[4]
作風

アクション性の強い演出が多く[5]、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}その中でコミカルさ、シリアスさを柔軟に織り交ぜている。仮面ライダーではシリーズの転換点となっており、響鬼以降の作品はコミカルに、ウィザード以降はシリアスな作風になっている。[要出典]

執筆や演出の際、「フラッグを立てる」「『できない』ではなく『どうすれば(実現)できるか』」に重点を置き、アイデア・思いを考えるという[6]
エピソード

同じく
俳優映画監督笠原紳司とは、舞台『ソウガ』で知り合う以前から互いが互いのファンで、きだ主宰の「TEAM 発砲・B・ZIN」を笠原はよく観ていた[7]

星獣戦隊ギンガマン』へ参加したきっかけは、書籍『スーパーヒロイン画報』(竹書房)の取材で寺成紀にインタビューした際に、脚本の執筆を申し込んでプロットを提出し、寺もきだの舞台を観ていたことから起用されるに至った[1]

『仮面ライダー響鬼』放映当時の思い出として「『響鬼』の仕事は、プロデューサー(寺)の意向をただただ清書させられ自分のカラーをほとんど出せなかったという思いが強く、正直なところあまり楽しい思い出ではない」とブログで語っている[8]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:33 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef