がま池
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がま池

所在地 日本 東京都港区元麻布2丁目10番
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分12.1秒 東経139度43分46.2秒 / 北緯35.653361度 東経139.729500度 / 35.653361; 139.729500座標: 北緯35度39分12.1秒 東経139度43分46.2秒 / 北緯35.653361度 東経139.729500度 / 35.653361; 139.729500
面積0.001 km2
周囲長0.05 km
水面の標高20 m
成因丘陵地の窪地
淡水・汽水淡水
湖沼型富栄養湖
プロジェクト 地形
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がま池(がまいけ)は、東京都港区元麻布にある
概要

六本木ヒルズに程近い東京の山の手の丘陵地にある小さな池で、現在はマンションの敷地内に位置しているため、敷地外から見ることはできるものの、池付近への立ち入りはできない。かつては約500坪(1,650m2)の面積があって、どのような日照りでも枯れることがないと言われていたが、現在は大部分が埋め立てられている[1][2]

NHKブラタモリにて紹介された(2010年12月9日 三田・麻布 完全版)。
歴史説明

この池は江戸時代には備中国成羽の領主[3]であった山崎家の屋敷内にあった。山崎治正が当主の文政4年(1821年7月2日の大火で周りが焼失した際、山崎家の屋敷だけが類焼を免れたが、それはこの池の大がえるが水を吹いて火を消したためであると言われた。そこで、山崎家では「上」の字が書かれた御札を授けるようになり、防火、火傷のお守りとして人気を集めた[4]。この御札は山崎家の家人である清水家が発行していたが、昭和4年(1929年)からは麻布町内の末広神社で授与されるようになった。末広神社は第二次世界大戦中に建物疎開で竹長稲荷(後の十番稲荷神社)に合併され、御札も途絶えたが、平成20年(2008年)に十番稲荷神社が御札を復活し、授与するようになった。御札の「上」の字は、社伝の史料にもとづき、がま池で汲んだ水を用いた墨で書かれている[1][2][5]

池のまわりの土地は維新後渡辺国武子爵の所有となり、国武の養孫の理論物理学者渡辺慧がマンションを建て、土地会社の管理地になる[6]

1924年3月21日付東京朝日新聞に箱根土地株式会社が麻布区西町3500坪の分譲地の広告を掲載。

脚注^ a bがま池とかえる御守り・上の字様 十番稲荷神社
^ a b十番稲荷神社 岡山県
^ 後述の火事の際は交代寄合。のち維新立藩(明治立藩)により大名
^ 港区史上巻p1054-55
^ 後述の敷地の持ち主の変遷により、山崎家退去以降は実は井戸水が用いられていたが、現在は十番稲荷が年に一度池の水を汲み、これを使用して札を制作している。
^ 麻布本村町 荒潤三/著 ラ・テール出版局 ISBN 4-947681-05-5 p45-46


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